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小津安二郎と聖書

夜が深まって、机の電気だけつけて暗い部屋の中でパソコンに向かう。netflixを片目で見ながら作業してる時間とも、youtubeでr&bのリミックスを聴きながら今月の家計簿を考えている時間とも全く種類の違う、孤独だけど温かくて自分らしくいられる時間。

小津安二郎の映画を見た。家族との会話、近所や同僚のおせっかい、日常の延長が映画になっているところが、日本での家族や友人の温かさ、日々の生活に見える美しさを思い出させてくれる。祖母からの夕飯何食べたい、同僚からのあんたそんなんじゃダメだよ、そんな日常に溢れる言葉を誰かの目を通して見るだけで、とてもノスタルジックに聞こえてしまう。場所も時代も違うけれど、私の日常と、身の回りに溢れる愛情を思い出させてくれる。

週末、思い立って聖書を読み始めた。聖書と言っても、66巻を活字でなんて読んでいられないので、とりあえず漫画から。旧約聖書の漫画を読み終えて、数時間だったのに、この数年ヨーロッパで経験したことがぐわっと繋がってなんだか不思議な感覚に陥った。絵画を見るときも、旅行先の歴史を勉強するときも、友人との会話でも、ああもっと聖書の知識があったらな、と思ったことは数え切れないほどあったけど、そのバラバラなモーメントが聖書を理解することで花開いた感覚。この話にはこういうバックグラウンドがあって、こんな姿になってたのか、と数年越しの伏線回収。聖書を漫画で読むのなんて馬鹿げてるとかいう考えも頭をよぎったけれど、字を読めなかった昔の人は教会のステンドグラスやデコレーションで聖書に親近感を持たせて理解させようとしていた、そんなことを考えると大したことはない。

聖書と小津安二郎の関係なんか微塵もないんだけど、今週の大きなインプットというかラーニング経験がこの二つ。どちらも自分に必要なものだったし、認知はしてないけど欲していたものだったようにもおもう。キングオブコントで笑いをチャージするのも人生に欠かせないけど、youtubeで片手間にまとめ動画を見て知った気になるよりは、遠回りに見えつつ随分有意義な時間を使えたと思うな

読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートで、朝にお気に入りのカフェでコーヒーをいただいて、少し本を読んで、それから新しいnoteを書こうと思います。