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時は金なり。わたしの解釈。

時は金なり。











二宮和也。




じゃなくて。



「時は金なり」、誰でも一度は聞いたことあるのではないでしょうか。
時間はお金と同様に大切だから無駄にしちゃだめだよ。」的な言葉なのはみなさんご存知のはず。

しかし、つい先日のとある出来事で、『「時は金なり。」って言葉、実はこういうことも意味してるんじゃない?』と思ったので、今回はその話について書きます。


 ☀︎エピソード


先日、外出先で居酒屋に行ってきました。こぢんまりとしたお店で、中には先客が数名、時々明るい笑い声が聞こえる、そんなお店です。

今回はお店の話じゃないのでいろいろ省いて、カウンターの向こう側にいるオーナーさんと仲良くなったので、話のついでにハイボールを注文しました。

すると、オーナーさんがご厚意で、「ハイボール好きなら熟成したウイスキーあるからせっかくなら入どう?」と聞いてくれました。わたしはウイスキーも好き(Alc.でよくむせるけど)なので、ぜひ、とお願いして一杯いただくことにしました。

いざ飲んでみると、普段飲むようなのウイスキーとはまるっきり別物で、ふわっと丸い華やかな香りと角のとれた落ち着きのある味わい。むせることなく感動と驚きに包み込まれ、オーナーさんとアイコンタクト。溢れる気持ちを表情と言葉に乗せて伝えました。

素敵な人とお酒との出会いに心踊り、その後も楽しく、感動の余韻は翌日まで続きましたとさ。

おしまい。


 ☀︎気付き


で、次の日のわたしは、見えにくい時間こそ価値だな、と思ったわけです。

まず、店の中で流れる時間。出てくる料理やお酒に価値(料金)があるのは当然として、この居心地の良く、出会いをくれた空間と、店にいた時間そのものにも、(対価を払うことはなくても)価値があるということ。

次に、古いウイスキーにも時間の分だけ価値があるはず。今回飲ませてもらったのは、オーナーさんか誰かが時間をかけて育て、熟成したもの。ほったらかしの時間だったのかもしれないし、丁寧に管理保管をしていたかもしれない。でも、どちらにしろ、お酒を買えるようになってまだ浅い、ひよっこの自分には作り得ないもの。そして、誰もが熟成をできるのなら、単に昔のお酒というだけで跳ね上がる価値はつかないのではないでしょうか。
誰かが時間をかけてくれたからこそ、お酒に巡り会え、大きな感動という価値を得ることができたということですね。

そして、朝までの余韻。お酒を飲んだ、お店にいた、その瞬間だけでなくて、素敵な出会いだったと感動していた、あの朝までの時間も価値アリだなと思いました。



 ☀︎おわりに


時は金なり。

本来は「時間はお金と同じく無駄にしてはいけないよ」、という、戒めのようなことわざですが、今回は、


「ものごとには時間がかかっている。だから、その価値を感じれるようになろう。」
という、


前向きなメッセージ
に感じたお話でした。


今回はこのあたりで。また明日も何かしら書きたいなと思っているので気が向いたら遊びに来てください!それでは!

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