私はサニーちゃんに普通の子でいてほしいのだ。

私はサニーちゃんに普通の子でいてほしい。

こんなことを書くとSNS炎上しそうだが、私は普段から割と本気でこう思っている。

普通の子、の定義とは何だろうか。

問題を起こさない子?
学力偏差値50の子?
普通の学校の普通学級に行く子?

女の子なら、大学を出たら少し働いて、30歳前に結婚して、安定した家庭を築き、孫の顔でも見せてくれたら普通の子だろうか。

それなら、うちの子には無理だ。
どう頑張っても、普通じゃないことからは逃れられない。

そもそも、母である私自身がもれなく普通じゃないので普通なんてよくわからない。

ていうか、私は普通だ。私からしたらみんながおかしい。

この思考はいつも堂々巡りになる。

『障害のある子はお預かりしたことがないので』
『そういう子がいた例は、今までになかったので』

障害児の母になってから、よく聞くお断りワード。

この言葉を聞くと、とても悲しくなる。

この社会には、うちの子はいない前提で回ってる部分があるんだな。
それでも困ってない人たちは、困ってないから何も気づかず、そのまま回って行くんだろうな。

仕方ないのかな。うちの子は普通じゃないから。

もはや日常となった、私の悲しい気持ちである。

私だって、自分の娘には普通の子でいてほしいのにな。

いちいちお伺いを立てなくても。
いちいち謝らなくても、過剰に感謝しなくても、そこにいていいよ!なんて、言われることすらなく。
どんなときでも平然とそこに存在していたいだけなんだけどな。

先日、特別支援学校の見学に行った。

そこでは、障害のある子がスタンダードで、障害がある子ばかりがいることが前提で日常が回っていた。

(ここに入ったら、うちの子は普通になれるだろうか。)

そんな考えが浮かんだ。

ありのままのサニーちゃんが、いて当たり前。
障害があって、当たり前。
ゆっくりゆっくり、自分のペースで学習を進めるのが当たり前。

朝はゆっくり遊ぶところから始まって、ひとつひとつの学習や訓練をゆっくりゆっくり進めて、中等部や高等部のお兄さんお姉さんの姿をすぐ近くで見て未来への見通しを立てながら、焦ることなく大人になっていく。

大きな集団の中でみんなの姿を最後尾から追いかけるのではなく、みんなと一緒に成長していけるのは、ここかもしれない。

就学相談は、まだこれから。

サニーちゃんの穏やかな生活を目指して、環境選びをしていきたい。


おまけのぼやき。

中度知的障害のうちの子は、かなりはっきりと必要性をアピールしないと特別支援学校判定は出ないかもとのことなので、がんばります(自治体によります)。
のんびり行きたかったのになー。親の情熱にかかってるだなんて、なんだかお受験みたいではないか!と思う今日この頃(´-`).。oO

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