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へちまのように俺はなる!


っていうタイトルだけ書いて、下書きに残ってました。

はい、朝活が順調でなんだかんだ連投できています。

まだ真っ暗な6時に起き、コーヒーを淹れ、
同居中のパートナーは読書、わたしはnoteと向き合う時間。
眠いけど、起きてたら目は覚めてくるし
寝つきがいい!!!
おっと、朝活について語ってしまいそうなので
へちまに戻ります(笑)

このタイトルの下書きは、10月のものなので
詳しい内容をしっかり忘れました(笑)

記憶にあるのは、訓練校の先生のお話がヒントになっているということ。
なぜへちまの話をされていたのかは覚えていませんが


切られても切られても、空に向かって伸び続けるへちま。
邪魔が入ったら迂回して別の道を見つけて
へちまはまた空に向かって伸び続けるんだよ。

というようなことを言っていて
○ンピースのあの主人公のようなタイトルを書き留めたんだと思います。

わたしは、これまでの人生の中で、困難やつらい過去が
すぐに前には出てきません。

例えば誰かに具体的に話を振られたり、
「家、火事にあったことある?」とか。

そういうきっかけがないと、
つらい過去に関しては思い出すことがなくて
人間の記憶の能力について、”よくできてるなあ”って思います。

だから、日常的に、
「わたしは幸せ者だ、苦労せずに生きてきた。苦労を知らずにぬくぬくと。」
なんて思ってしまうんですが、
しっかり考えると、なかなかにそれなりに、
人並み以上の辛い体験は、あったなあと思い出します。




人はきっと、見えないところで、
それぞれに痛みやつらい過去を抱えています。

「こんなの〇〇さんに比べたら辛くない過去だよ。」
「こんなの世界のどこかでいつ爆弾が落ちるかの地域に暮らす人たちより辛くないよ。」

そんな風に、自分で思っているかもしれない。
人に言われることもあるかもしれない。

でも、感じ方も、環境も、違う。
そんな風に、比べることができないのです。


どんなにナイフで切り付けられるような
胸が張り裂けそうな痛みを経験しても
目指す空(未来)に障壁が現れても
空(未来)を目指して、
みな歩み続けているのだ。

               ハル


まさに、人生はへちまのようだなあ。


なんて、
このタイトルが下書きにあったことで
朝から人生について考えることができた。(笑)

ありがとうへちま。ありがとう過去のわたし。


最近、メモの魔力(今更かよ)を読んだのですが
今この記事を書きながら、メモの大切さを再確認しました(笑)
タイトルだけじゃ思い出すの大変だね。

でも、「へちま」という具体的な対象から、
「へちまとは人生である。」
という抽象に持っていき、
人生をへちまのように、未来に向かって生きよう
という転用ができたのは、メモの魔力のおかげかも。

メモの魔力、面白いのでぜひ。


今日も朝活お疲れ様でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!!


PS. へちまの画像はさすがに持ってなくて
イラストACさんで貰ってきました。


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