想像を超えた先に

雪組公演「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/Frozen  Holiday」を観劇してきました。
特に、お芝居の方はタイトルとあらすじを見た時から絶対面白い!と楽しみにしていた演目でした。
やっと観られた「ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル」について、感想を書いておきたいと思います。

あらすじとしては、コナン・ドイルの半生を、ホームズシリーズ執筆時に、架空の存在であるシャーロック・ホームズがドイルの前に姿を現して共に過ごしていたら…という設定で描いている作品です。
突飛にも思える設定の本作ですが、この作品を通して生田先生が伝えたかったのはとてもシンプルなメッセージだったのではないか、と思っています。

物語の始まりは、診療所に患者は来ず、書き上げた原稿も鳴かず飛ばずのドイルがひょんなことから心霊現象研究協会に招かれ、そこで「魔法のペン」を手に入れる場面。
「魔法のペン」を使って早速原稿を書いてみると、たちまち「魔法のペン」は怪しく光り、目の前に「シャーロックホームズ」を名乗る男が現れるのです。

ホームズの初登場シーンはド派手で、さながらアラジンの「フレンドライクミー」を彷彿とさせます。
ミラーボールがくるくる回り、ギンギラの衣装でホームズが歌い踊る。
それを見たドイルは困惑してホームズに「君は妖精?それとも幽霊?」と尋ねます。
しかし、ホームズは「僕は君の想像から生まれた」と言うのです。
確かに彼はドイルの昔書いた設定通りで、彼と話すうちにするすると新しい物語が書き上がっていきます。

ホームズの冒険譚は瞬く間に人気になり、まちの人たちはホームズのことで頭がいっぱい。
続きはどうなるんだろう、ホームズってなんて素敵な男性なのかしら、編集部に行けばホームズに会えるらしい…
人々がそれぞれに「ホームズ像」を作り、時に真実だと思い込む姿は現代でも見覚えがあります。
ホームズに会えると思って編集部に雪崩れ込んだ女性たちに「なぜここにホームズがいると思ったか」と尋ねた時、「みんながそう言っているから」と答えたのにはゾッとしました。

そして、そんな熱狂を目にしてドイルは戸惑い、ついにホームズの連載を止める決心に至ります。
まちはたちまち大騒ぎ。ホームズが殺された、ホームズを返せ、ドイルを許さない…
ドイルの想像から生まれたホームズを人々はそれぞれ我が物のように思い込み、ドイルを悪者に仕立て上げる。
これもまた見覚えのある光景でドキッとしました。

そんな中で、ホームズは「僕は君の想像から生まれた」と繰り返します。
ドイルがホームズを拒絶し、悪魔のように思っているときのホームズは攻撃的ですが、ドイルがホームズを受け入れ、もう一度会いたい、書きたいと思っているときのホームズはドイルの大切な人を元気付ける力をも持っています。
物語はまるで鏡のように、その時々の気持ちを写し、少しだけ強くして自分に返してくれるのです。

劇中で「私たちはみな物語の中を生きている」という台詞がありますが、私は「物語の中を生きる」というのは想像をし続ける、考え続けるという意味だと思っています。
物語は時に私たちを混乱させ、人生の困難すべてを解決する力は持たないけれど、想像を止めなければ今想像できる限界を越えた、もっと良いことが起こり得るはず。
そう信じて想像を巡らせることをやめたくない、考え続けたい。
そんな想いが演目に込められているように感じました。

ここ数ヶ月、宝塚やミュージカルを観るときについ色々と考えを巡らせてしまう日々が続いています。
劇中のドイルのように、物語の中を生き続けるのは困難で、物語を作る人たちにも不本意ながら困難は付き物となってしまいがちですが、健全に物語と共に生きる術が一刻でも早く見つかればと願っています。

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