金は天下の 愛が世界を

星組博多座公演「Me And My Girl」を観てきました。
1937年にロンドンで初演された大ヒットミュージカルで、宝塚でも度々再演を重ねてきた人気作品なので曲はいくつか聞いたことがありましたが、ようやく観ることができました。
初見の感想を書いておきたいと思います。

舞台は1930年代のロンドン。
お世継ぎのいない名門貴族の家付き弁護士が、隠し子であったビルをお世継ぎ候補として屋敷に連れてくるところから物語は始まります。

お世継ぎ候補がやってくると聞いてざわつくヘアフォード家。どんな人だろうと貴族たちはお世継ぎ候補の噂で持ちきりです。
そんな中で一人、お世継ぎ候補と結婚してトップに登り詰めると息巻くのが、貴族の娘ジャッキー。娘役初挑戦の極美慎さんが演じます。
私はこのナンバーが大好きです。ご贔屓のナンバーということもありますが、彼女のように賢くて自信満々な女の子は心からの憧れで、私を元気にしてくれます。
ジェラルドというフィアンセがいるのにこの態度はどうなの、とも思いますが、長い手足でくるくる踊りたくさんの男役にリフトされながら「買えるもの全て欲しい」「トップへ登るわ」「さあ見てるがいいわ」と言われてしまうといっそ清々しく、終始惚れっぱなしのジェラルドの気持ちもよく分かります。

お屋敷に連れてこられたビルと対面してみると、彼は下町育ちの粗野な言動の青年。さらにサリーという同じく下町育ちの恋人まで連れてやってきました。
お屋敷にやってきた2人はあまりの豪華さに大はしゃぎ。そのうち、サリーはビルが当主になったら他の女性と結婚してしまうのではないかと不安になります。
そこで歌われるのがタイトル曲の「Me And My Girl」。
サリーとビルの素直さがかわいらしいのはもちろんのこと、不安がる様子からサリーの聡明さ、愛を伝える様子からビルの実直さが伝わってきてとても素敵な場面です。
また、「My Girl」の直訳だとは思うのですが、ビルが度々口にする「僕の女の子」という台詞回しがかわいらしくて印象深いです。

こうして愛を確かめあった2人ですが、教育を受けて貴族らしくなっていくビルの姿にサリーは自分が不釣り合いなのではないかと思い始めます。
そして迎えたビルの社交界デビューの日。
ビルは教えられた通り振る舞い、若干の違和感がありながらもパーティーは進んでいきます。
そこに現れたのは下町の仲間たちを連れたサリー。
下町からやってきた彼らに貴族たちは眉を顰め、場は騒然となります。
サリーがビルとの不釣り合いさを証明するために仲間を連れてきたことに勘づき、サリーの気持ちを慮ったビルは「メイフェアにはメイフェアの歩き方があるように、ランベスにはランベスの歩き方がある」と言い、「The Lambeth Walk」を歌います。
この歌の良い所は貴族の世界(メイフェア)を決して下げないところ。
原曲の歌詞にも「It hasn't got the Mayfair But that don't matter」「We play a different way」とあるように、ビルやサリー、その仲間たちは「ランベス・スタイル」を愛しているだけなのです。
初めは眉を顰めていた貴族たちも歌声に誘われて踊り出し、客席も手拍子でパーティーを盛り上げます。
余談ですがこの手拍子、裏拍かつテンポアップするのでかなり難しく、観客たちも並々ならぬ集中でパーティーに参加することになります。
夢物語のような展開ですが、本当はこのくらい簡単なことなのかもと思います。互いを認め合って踊る一夜があっても良いと思うのです。

1幕はハッピーに幕を閉じましたが、そう簡単にハッピーエンドはやって来ません。
サリーはビルの叔母マリアから、ビルにもう愛していないと言うように釘を刺されてしまいます。
そこで、ビルに別れを告げる決心のついたサリーが歌うのが「Take It On The Chin」
有名な曲なので何度も聞いたことがあったのですが、お芝居の中で聞くと全く印象が違いました。
今まで不当な扱いをたくさん受けてきたであろうサリーの強い覚悟が感じられ、彼女が今まで乗り越えてきた「くだらないこと」に想いを馳せて涙ぐんでしまいました。

物語の最後には、サリーは教育を受けて貴族の言葉遣いや所作ができるようになってお屋敷に戻ってきます。
ここで印象的なのは、サリーの「私たちは正しい扱いを受けると心が動かされがちになるのです」という台詞。
少し直訳っぽくて意味が取りづらいですが、マイフェアレディにあった「レディと花売り娘の違いはどう扱われるかにある」という台詞と同義かなと思っています。
ここで大事だな、と思ったのは貴族と同じ振る舞いをするための教育をサリーが「正しい扱い」と表現したこと。
自分たちも正しい扱いさえ受ければ、という貴族への皮肉もあるかもしれませんが、サリーが教育を受ける中で自分はこう扱われるべきであったと思い、望んで貴族になったという感じがして良いなと思っています。

一般家庭の生まれだった人が突然お金持ちに!というのは物語の中ではよくある展開ですが、この作品を見ると果たしてお金持ちって幸せなんだろうかと思ってしまいます。
ジャッキーが「買えるものすべて欲しい」と口にしながらも働かず借金の多かったジェラルドと結婚したこと、パーティーに集まった貴族たちがランベスの音楽にのせられて思わず踊り出してしまったこと、マリアによる貴族になるためのレッスンがなんだか滑稽に見えたこと。
それらを思うと言うほど貴族って羨ましくないかもと思ったり。
お金持ちになること=幸せとは限らないのであれば、私たちは何を基準に生き方を決めていくのだろうとふと思った時、「愛が世界を回らせる」と幸せそうに歌う酔っ払い2人が脳裏によぎります。

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