表現とは、私が思うよりずっとずっも懐が深いもの
こんにちは
日陰、特に木陰で、風に吹かれているとき
なんて気持ちいいんでしょうね
しあわせ。
もっと世の中に木影を。と思います。
さて、表現とは、なんなんでしょう。
私は、
何かすごいもの、人より優れたものとか、できることとか、なにかそうゆうものを、
とくべつなひとだけがゆるされ、出して表すこと、と長年思っていました。
最近、改めて 表現とは と考えていて、
べつに特別であることが表現になるわけではないのか、という思いにあたりました。
人それぞれの考え方、捉え方があると思うので、これが正解かどうかは、おいておきます。
それこそ、それぞれの表現になるのかな。
何も特別じゃなくても、
表現することはできる、
というか、んー、
「何を」表現するかというのが「表現」と思っていたんだけど、「何を」よりも、まず「表現する」という動詞なんだなということなんだな、と捉え直したというのが近いのかもしれません。
何を表現したらいいんだろうって考えていたけど、
それは表現のごくごく一面で、
表現するという動作がスタートだった。みたいな、
なにを今更といわれそうだけど、
気付いたが吉日。
表現する上で、何を表現するのかというのも大事な要素だとも思うけれど、
うまく書けているのだろうか、、、
考えながら書いているから、まとまりがなくなっているかもしれない。
そう、そうゆうのも含めて表現になるというかね、
んー、未完成でもいいというのでもないけど、
表現というのは
私が考えいたよりもずっとずっと
懐が深いような気がしているのです。
だから、ちっぽけなことにこだわることもなくて、
そのまま、ありのまま、
むしろ、
それでやるしかないことというか。
そうゆう表現というのもあるんだなと思った、感じた次第で、それをちょっと、書き留めておきたいなあと思い、今日はこんなことを書きました。
おつきあいくださって、どうもありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?