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私は息子をどうすることもできない

 保育園のお迎え後、息子の希望があれば公園でしばらく遊んで帰る。
 息子は保育園で軽めの夕飯を食べており、お昼寝なしで夜までもつ体力もあるのでよほどのことがない限り元気いっぱいだ。仕事が終わって私が保育園に着くのは18時前後で、公園で遊ぶ小学生もほとんどが帰宅し始める頃。自転車にまたがり「ばいばーい」と声を掛け合う小学生たちを横目に、公園で1時間近く遊ぶ。いつもの公園は保育園と隣接しており、タイミングが合えば同じ園のお友達もたくさんいる。親に見守られながら保育園の延長のようにお外遊びが出来るというのは、元気いっぱいの園児にとってとても魅力的なことなのだろう。夕方、お迎えに来た親の顔を見るなり「今日は公園行ってもいい!?」と尋ねる、体力の有り余る子をよく見かける。

 金曜日、息子が「今日はいつもと違う公園に行きたい」と言うので、保育園から少し離れた公園まで自転車を走らせた。幅の広い大きな滑り台があり、その影に隠れるように小さな砂場がある。明るい時間帯は放課後の子どもたちで賑わう公園だ。陽の落ちた夕飯どき、静かな公園の隅に自転車を停めた。時折近くを通る車の音が聞こえるだけで、昼間とは打って変わって子どもの声は聞こえない。
 街頭に照らされて薄暗闇にぼんやりと浮かぶ砂場に、スコップが1つだけぽつんと落ちている。息子はおもむろに誰かの忘れ物であろうスコップを手に取ると、せっせと手を動かし始めた。私は少しずつ少しずつ大きくなる砂山と真剣な表情の息子を見ながら、これは長丁場になりそうだとお砂場の隅に腰を下ろした。

 息子は小さい頃から、とても長い時間1つのことに集中的に取り組む子だった。公共の場で遊ばせていて初めて気が付いた。息子が1つのおもちゃで遊び始めてから何人も何人も、かなりの数の同世代の子たちがやってきては飽きて去っていく。
 這いつくばって雨水の流れる側溝を30分眺めていた0歳の息子。ビーズコースター(レールに木製の輪が通されているおもちゃ)1つで40分遊ぶ1歳の息子。ブランコに1時間乗り続ける3歳の息子。本を1時間半読み続ける4歳の息子。
 仕事をしている以上、時間の制限をかけざるを得ない場面はある。それでも出来る限り、私は息子の邪魔をしないように、息子が何かをし続けるときにはただ静かにそばで見守ることにしている。

 「私にとって育児とは」なんて言葉は大袈裟すぎるかもしれないけれど、言うなれば私にとって育児とは、息子の自然な成長を守ること。周りの環境を整え、タイムマネジメントし、成長の邪魔をしないこと。私はきっと息子をより賢くは出来ないし、より強く優しくも出来ない。私にそんな力はない。息子はもともと賢くて強くて優しくて、私が1番気にすべきは息子が持って生まれた素敵な部分の成長を阻害しないようにすることじゃないかと、そう思っている。子どもにどんなふうに手をかけたら、どんなものを与えてあげたら能力を伸ばせるか、私を含む大人たちはそんなことばかりを考えてしまうけど、きっと一番大切なことはその子の生まれ持った素敵な部分を壊さないようにすることだ。

日々の忙しさに埋もれて、たくさんの情報に押し流されて、大切なことを見失ってしまわないようにしたい。自戒をこめて。


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