この騒がしい脳と共に

全くだ。全く脳が休めた気がしない
外に出ると刺激が多すぎて歩くだけでも疲れる
他人を意識しすぎて過緊張に陥ることが小学生高学年の頃から続いている
社会人になって他人と関わる機会が少なくなったので症状が落ち着いてきたと感じるだけで根本的なものは何も変わっていない
常に何かに怖れていて何かを考えている
中学生の頃に書いたノートを久しぶりに見てみると

自己嫌悪の塊で、自分しか見えていない僕だからこの世界に馴染むことはもう出来ないだろう。やりたいことがまだたくさんあるのになぁ。なんて、ほざいても変わらない自分なのだ。僕は自我から逃げられたことはない。すなわち、四六時中思考しているのだ。それが何とも鬱陶しい。僕は考えたくないのである。この世界から目を背けたいのである。自分の置かれている環境から逃げたいのである。だけど、死にたいとは言っていない。生きたいけど、幸せになれないのである。』

と書いてあった
その時から記しているだけでも六年間、脳内多動に苦しんできた
学生の頃は、ポジティブな未来を連想することがままあったが、今はネガティブなことしか連想できなくなった

小学校低学年の頃までは誰よりも足が早く運動神経がよく、大人達に褒められたものだ。エネルギーに満ち溢れていて勉強はできなかったが運動はできた。
小学校高学年になる頃には、周りの子達にスポーツの成績ですべて抜かされていった
この頃から脳内が多動になっていった
思えば、脳の発達が未熟だった幼少期は体にエネルギーが向いていたが、脳の発達が進むにつれてそのエネルギーが脳内に移行していったのだろう
それでも中学時代は馬鹿だったが高校に入ると才能が開花した
試験の成績は学級で常に一番で満点をいくつも叩き出した
この時期にどうして勉強ができたのかは未だに不明だ
ただ一つ、長らく義父に言われてきた『お前は知恵遅れの子』という発言は覆せたようだ
知的には問題ないが、情緒には多くの問題がある
出来たことが出来なくなるのは残酷なほどに私を苦しめる
運動神経が良かったとか勉強ができたとか
過去の栄光に縋りたいわけではないが
あの頃のように楽しく運動したいし、楽しく勉強をしたい
なのに手につけることすら億劫で出来ても三日坊主で終わってしまう
継続できないから人からの信頼も得られないし、自分として成長していると感じられない
こうなってしまったのは私を乳児院に入所させたからだ!とか愛着障がいのせいだ!とか全て母親が悪と見做していたのだが一つの事実に気づいてからは考えがまるっきり変わった
私は母親にめっちゃ似てる
認めたくなかったけど認めないと前には進めない
整理整頓が出来ないこと
掃除をしないとこ
衝動的に怒りが湧いてくること
物や人への興味の移り変わりが激しいこと
何かに依存しているとこ
気分の波が激しいこと
常に鬱気味なこと
睡眠障害を抱えていること
正職に就いたことがないこと。
これらの共通点は全て発達障害の症状のこと
私は児童養護施設で育って、母親と生活していたのはたかだか4年。それも物心ついた頃からだから、何か母親から教わった経験がない
それなのに、私らってこんなにも似てる
遺伝的要因を加味しなくて何が解決できるのだろうか
私と母親では共通していない事もたくさんあるけど、共通しているところに着目すれば環境や自分の意志でどうにもならない事を「自分の弱さ」だと嘆くのもなくなるだろう
母親はどれだけ苦しんできただろう
自分の意思に反して衝動的で世間から怠け者と言われ
私もどれだけ母親を傷つけただろう
孤独な気持ちと何かに縋らないと生きていけないことがどれだけ辛いかは私が一番知っているはずなのにどうして母親の一番の理解者になれなかったのだろう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?