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追憶

ここ一週間ほど、お仕事の方で忙しい日々を過ごし
ようやく辿り着いた週末
何もせず空を眺めては、ぼーっとしたいような
いやいや、せっかくのお休みだし平日にできないことを
とか思ってみたり


動いていると、次から次に考えることが出てきて
余計な事を考えずに済む
立ち止まっていると、思考がまとまらない事も
ふと、過去を思い出して複雑な気持ちになったりする


振り返ると、SNSを始めたきっかけはメンタルが落ちた頃
なにか今までと違う事を始めたくて、と言うのが当時の思い
そうして始めたのがTwitterだった
始めるにあたって、自分に決まり事を設けた


① 自分のコアな個人情報は明かさない
② フォロワーさんとは、あくまでSNSの中だけのお付き合い


そうして始めたTwitterだったけれど
最初の頃はフォロワーさんも少なく、どう交流していいか分からず
そのうち自分の趣味を中心に呟き続けていると
みるみる交流の輪が大きくなっていった


だんだんとSNSでの交流が楽しくなってきた頃
ある方とDMで交流できるほど仲良くなった
個人的に一対一の交流は苦手ではないし、楽しくも感じて
けれどその時、それが「終わり」の始まりだと気付かずにいた


その方は所謂「出会い」を求める方で
どんどんわたしの望まない方に向かっていった
そして前述の「決まり事」のことを伝えると・・・
一気に態度が豹変した


その方は自分のフォロワーさん相手に、わたしの事を否定的なツイートで貶め始め
周りの方はその方に同情し、一緒になってわたしの事を貶め始めた
その時、初めて体験したのです
SNSの闇を・・・


どんな世界でもそうですが、世の中にはいろんな考えを持った人がいる
もちろん、わたしに寄り添ってくれる人もいた
「イジメは良くない」とはよく聞く「正論」
でも、当事者にその意識がないのでは、止まるはずもない


そうしてその人と、そのフォロワー達とは縁を切った
リアルでもSNSでも同じ
いや、顔が見えない分SNSの方がキツいのかもしれない
それ以後も、どちらかというとTwitterでは良くない目にあってきたように思う


こんな言い方は語弊があるかもだけど、あえて言おうと思う
Twitterは利用者が多い分、ややこしい人の割合も多いのだと感じる
わたしはこれまで、Twitterのアカウントを二度消している
それはもう、消す時にはすごく悩んだし葛藤もした


二度目のアカウント削除をして、しばらくはnote一本だったけど
思い直して再々度Twitterを始めて約一年
風の噂で「消して戻して また消して戻して 愚かだね」
とか、以前フォロワーだった人が呟いていたらしいけど


なんと言われようが「わたしはわたし」
その人の言動に不満や言いたいことは、わたしにもあるけれど
今さら言っても仕方ないことだし、正直それで今がある訳で
そういう意味では、あの時間には感謝している


今でも理想と現実のギャップに苛まれ
苦しみを抱えて、裏と表を行ったり来たりしているのだろうか?
それもまた、今のわたしにとっては・・・
そんな取り止めのないことを、時間があると考えてしまうのだ

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