小説:そんな私の光る刻(とき)

§1:日常

『私にも話させてよ、もうっ、、、。』
初冬の夕日が沈みかける街の下で。
週末土曜にふさわしい程度の
歓楽街のちょっとした雑踏の中を
1人のうら若き女性が
思いつめた感の表情で駆け足で走り抜けている。
暖色系のベージュのジャケットと、同色のスカートとを
ブラウン系のヒールの上で纏ったそのスーツの女性は、
きりっとしながらも優しさがにじむ大きな柔らかな瞳を
飲食店の並ぶ商店街の奥地へ向けて
その細身の体自体を揺らして走っている。
シルバーの品のある腕時計を見やると時刻は午後5時48分。
『まあ、仕事には間に合う、か。』
15分前、その女性が走り出す前の午後5時33分、
歓楽街の最寄り駅である黒崎駅のコンコースで
その女性はとある男性のちょっとした詰問を受けていた。
「だからひかりちゃん、今度また会おう、ってば。」
「あのぅ、私、これからアルバイトなので。失礼します。」
「えっ、返事になってないよ、ちょっと、
 ひかりちゃんというか宮本さん、、、。」

男性の言葉をすべて聞くまでもなく、一礼し、
宮本ひかりは黒崎駅を背に走り始めた。
実際にアルバイトが始まるのは午後6時で、
駅からバイト先までは10分もかからない。
けれど、男性から早く身を避けたい、その一心で
ひかりはコンコースから商店街に通じるエスカレーターを降り始め、
エスカレーターの階段も駆け降り始めた。
『もう、何で私に言い寄ってくるんだろ、、、。』
『好意は嬉しいけど、私が好きなわけでもないのに。』
言葉に出したか、出していないかわからない、
いわゆるつぶやきとなっていたかもしれないが、
ひかりはこのところの異性運に首をかしげていた。

『私が好きな人と両想いに成れれば、それでいいのに。』
『なんで、相手の恋愛ばっかりで私が恋愛できないの、、、?』
年頃の女性といってもよい、短大2年で19歳のひかりは、
もともと他人様からモテていたことは自認していた。
でも、ひかりのポリシーとして、
モテることにあぐらをかいたり、モテ能力を悪用するような人間には
決してなりたくない、という自負もあった。
また、ひかりとして、
もし交際するのならばきちんと責任のある考えをもって、でないと、
とも思っていた。
責任、、、それは、言葉に出すのは恥ずかしいけれど
もし交際するなら結婚を前提として、の意気込みは欲しかった。
母子家庭で育ったひかりにとって、ひとり親の母のことも考えると
「交際」というものも、他の同年代の人たちよりも真面目に、
家族の幸せも考えて交際を考えたかった。
だから、プライベートの場で話してくる男性へ決して見限る気もなかった。
好意をいただけることへの感謝は忘れない、
それがひかりなりの優しさであるから。
ただそれがまた、世の男性陣には輝きにもみえるのだろうか、
ここ数か月、ひかりには自分のモテ期がずっと続いているような
気がしてならなかった。
だけど、
『楽しくない、面白くない』
のだ。むしろ、『大変で息苦しい』、のだ。
それは、贅沢な悩みなのかもしれないが、
ひかり「自身が」本命に思うような男性との交際でなく
あくまで受け身での話ばかりだったからに他ならない。
『私が好きな人と楽しくしたいのに。話がしたいのに、、、。』
本懐を遂げる、という言葉がある。
そこでのふところの字は紛れもなく1人称の己自身のものである。
意外なことに、ひかりはモテ期が通年になっているのに、
他人様の本懐を受けるばかりで、
自身の本懐を一度も遂げたことがなかった。
『私自身、努力しているのに、、、。』
『私、ちゃんとした大人のはずだよ、なのになぜ、、、?』
ひかりには、その他人様系本懐の困惑の種がアルバイト先にもあった。
『あの人には、会わないように、できるだけ、、、。』
『私がどうかなりそうだから、今日は会えないで居れるかな・・・?』
・・・・・・・・
アルバイト先に着いたひかりは
きちんとまずは上司の男性店長と女性マネージャーに挨拶する。
ひかり:「おはようございます。」
店長:「おはよう、今日もファッショナブルだね。」
ひかり:「ありがとうございます。」
マネ:「おはようございます、ひかりちゃん。」
ひかり:「おはようございます、マネージャー。」

会釈しながらの挨拶も軽く終え、
1階にあるその飲食鍋店でユニフォームに着替え、
2階の事務所にある打刻機でタイムカードを打刻しに行く。
時刻は午後5時53分。
午後6時より最低5分前には始業の準備に入るのも、
アルバイトとしてでも、ひかりなりの大人な流儀、であった。
ひかりが業務に入る飲食店は
商店街の奥端にある雑居ビルの1階に開いた和食鍋屋である。
その2階は鍋屋と同じオーナーの洋食肉系居酒屋で、
互いの店の事務所は
その2階居酒屋の客席と厨房との間のスペースにあった。

ひかりが打刻しようとして
普段夕方は誰も居ない事務所に入った時であった。
ひかり:「失礼します。」
男:「あっ、おはようございます。」
1人の男性が事務所のパソコンデスクに座って居た、
それに気づいたひかりに緊張が走る。
ひかり:「おはようございます、、、。」
顔を合わせたくなかったひかりは、うつむき加減に
打刻機に足早に向かいタイムカードを打刻、すぐに事務所を後にした。
『青野さん、前よりは元気そう、、、
 ま、私が考えることではないんだ、、、しっかりしなさい、私。』
1階へ通じる螺旋階段を降りながら、
ひかりは3か月前の出来事に頭が一瞬フラッシュバックし、
一度胸を押さえながら、現実に回帰、鍋屋の作業に入った。

§2:3か月前

 青野慶輔は、れっきとした洋食居酒屋「縁月の翔」の社員である。
 もともとは、円環ウイルスで疲弊した飲食業界に風穴を開けるべく、
慶輔の高校時代の同級生でもあり、
縁月の翔(えんげつのしょう)社長である赤成の発案で作った、
インターネットショップでのPC管理担当として雇われたのが、
慶輔自身の出自の馴れ初めであったが、
ネットだけでなく実店舗での経験も備えた方が、
より深い業務に精通できるということで、
現在は縁月の翔のホール担当として主に活動しているのが
慶輔の役割であった。
 慶輔の仕事は、アイデアマンたる社長赤成の思いを
如何に現実に実現できるか?に尽きていたが、
慶輔自身が飲食業界的に不慣れな新人同然であったことから
PC管理よりもアルバイト・パートの人員を
どのように能率、効率よく管理マネージメントできるか、
新人アルバイトやパートさんと慶輔とがお互いに実力を吸収・成長できるかが
業務遂行の鍵であった。
 慶輔自身は、不器用を自負する程いろいろな感覚に鈍い人間であるため、
日頃からのホールでの活動の反復以外にも
自らの少ない特異能力(主にPCや設備機械操作系)を生かすことで
周りの人の飲食業的能力に拮抗するバランスをとっていた。
 その慶輔の視点には、また社長赤成の視点にも、
慶輔と同時期にホール職務修行に入った新人アルバイト生10人の中で、
自らの持つ能力ややる気をいかんなく発揮しだした2人の女性を
「この子達を主軸にバイト達をまとめ上げたら、組織としてうまくいく。」
という考えが出るに至り、
特にその1名が
自ら縁月の翔のホールのオペレーションマニュアルを作成して
提示する程にまでやる気をだしてきたため、
慶輔自身も社員として良い刺激を受けるに至った。
その1名というのが宮本ひかりだった。

実際、当時の宮本ひかり作のマニュアル原版は
慶輔の手も加えることで
縁月の翔グループの系列他店でも参考にされる程精度が上がり、
慶輔の経験値としても、
「能力を持つアルバイト人員の長所を伸ばすと素晴らしいことが起きる。」
ことが実証され、大変嬉しさでいっぱいとなっていたものである。
「時給も上げてあげた方が信賞必罰的にも良い」という考えで
社長赤成、慶輔双方の意見も一致し、
さあ次のステージ、というときに事件は起こった。

事の発端は、ひかりが学業の試験のためアルバイトを一時休業することへの
慶輔の勘違いからのひかりへの気配りが原因であった。
慶輔の勘違い、、、
それは、ひかりの休暇申請が事前に
退職した人事担当前任者や
社長赤成に話のあったものであることを知らずに、
ひかりに無用のアドバイスをしたことに依るものであった。
社長赤成の心象を損ない、時給UPに悪影響が出ることを心配し、
よりひかりが良い条件で働けれるようにすることを考え、
一旦時給UPを辞退してでも後々より良い条件が引き出せる時が来ると
判断した慶輔と、
そんな社長の一存だけで時給が決まることへの会社に対する不安、反感を
慶輔にぶつけざるを得なかったひかりとのやり取り、、、。
それが結果、もともと過労気味で病的となっていた慶輔の心的体調を害し、
慶輔はひかりにアドバイスしたこと自体、
またその後SNS上で言い争いになったことが、
半ば無理やりにひかりを強烈な恋愛対象としていると、
話を聞いた第3者から決定づけられ、
ひかり自体もその断片的情報を
後に社長赤成に相談することで聞くことになり、
かつ息が絶え絶えになっていた慶輔の病的コメントを
真正面からSNSで受けることとなり、
慶輔に限らず、生の人間の闇に当たる心理を見せつけられた感から、
対人的に深いトラウマめいた影を持つに至った、というのが
その事件の一部始終であった。
 慶輔としては、
半ば強制的に、俗にいう好きバレ状態がひかりに対してできたことへの
負い目が残ってしまっていた。
また実際に気持ちが定まらず、
情緒不安定のままSNSの自らの情報を破棄してしまい、
記憶の中で残る、日常「肯定的にとらえていたひかり」に対する反動からの
一時的な軽蔑を交えた冷酷な対応を、
そしておそらくは怯えに近い心的傷害をひかりに負わせてしまったことを、
まずは申し訳ない、の一言ではぬぐえないほど、責務を感じている状況が
ここ数週間続いている、というのが現状であった。
 ひかりがその後
『青野さんに関わるとなにか嫌なことが起こりそう』だし、
『私は、赤成社長の会社で仕事をしに来ているのだから、
 変なことにはかかわりたくない。』という考えを持つのも当然だ、とは、
実は慶輔自身も、
客観的にひかりの立場に立つと分かっていることではあった。

§3:今、そして今の後へ

 慶輔的には、オーバーワークの上で人と接することは
自他ともにかなりの危険を伴うことは今回の1件でしっかり経験を積んだ。
 そんな中、曲がりなりにも慶輔への接し方で
ひかりの対人的なバランス感覚の素晴らしさに気づけた点、
また慶輔自身が体調を整えてカムバックしてから、
その後のひかりの件を含めた実情を、
離れた立ち位置で暖かく観ることが出来る環境に対し
感謝の念が絶えることはなかった。
 なにより、そもそも結果、ひかりの時給は上がったし、
ひかりがダブルワークでなく縁月の翔1本で残りの学生生活のアルバイトを
おこなおうとし始めたこと、
それは、本来やる気のある子がアルバイトの主要メンバーになって
バイト活動自体が、
アルバイト生各々の今後のバイト卒業後の社会人生活で
羽ばたく糧となってほしい、
と思っていた慶輔の初志貫徹にもつながることで、
慶輔への他人からの心象がたとえ悪くなるにしても
結果オーライだと思えたのである。
 また、本来皆が勘ぐるまでの思い入れはなかったにせよ、
慶輔のひかりへの親心的思いやりの気持ちが
(屈折はしながらも)伝わったことを
「肯定的に」とらえようとしたとき、
残りの卒業までの共有時間内で
職場でのひかりとの接点をどのように良いものにして
ひかり自身の、そして慶輔自らや公のためにどう開拓するのかが、
大切な今後・未来なのかな、とも思えているのであった。
 自らが危めたひかりの傷は、
できるだけ誤解の糸を解きながら
及ばずながら慶輔自らが癒せたら幸いだな、
そしてより良い各々への価値観=光る刻へとつなげたい、
そう思っているのが今の慶輔そのものであった。
 対して、午後10時33分、週末土曜の鍋屋の作業が終わり、
ほっと一息ついたひかり。
客はあと1卓となっているが、
店長が今日の労をねぎらいながら言葉をつづけた。
店長:「ひかりちゃん、おつかれさま、あとは大丈夫だから。
    ゆっくり身支度して、今日はあがっていいよ。」
ひかり:「承知しました。では、着替えてあがります、お疲れ様です。」
店長:「おつかれさま。」
 実際深夜まで黒崎駅界隈の電車は走っているが、
なるべくなら早く帰れるときは
それに越したことはない。
 1階の更衣室で身支度を整え、
ファッションミラーで自らの姿を確認するひかり。
『よし、この姿なら決まってるぞ、私。』
週末の夜である、誰が見ているかわからないし、
その点の抜かりこそないようにしっかりしているひかりは
『私、しっかりとした大人だよね、うんっ。』
と鏡の中の自らに自問自答して更衣室を出た。
 2階に上がる階段の、吹き抜けの外付近は
やはり初冬の外なだけあって、肌寒い。
『もう、縁月の翔ももうすぐ閉店時刻よね。』
シルバーリングがまぶしい腕時計をみると時刻は午後10時42分。
『もし他店を回覧していなかったら社長に、
 そして帰りぐらいはきちんと青野さんにも挨拶しないとね。』
そんな心境の下、縁月の翔の引き戸を開けたら、
いきなり慶輔にかち会った。
慶輔:「ひかりさん、おつかれさまです。」
ひかり:「あっ、青野さん、おつかれさまです。」
久々に普通に慶輔と会話ができた、と思ったその時、
慶輔:「ひかりさん、この紙の中のQRコードで
    店のレビュー書いてもらえる?、前にお願いしていたもの。」
といわれてひかりは、折りたたんだ紙を渡された。
ひかり:「あっ、はい、わかりました。」
会話が途切れる前に早々に別れる二人。
というより、縁月の翔はまだ客が何卓か残っているようで
慶輔はまだ忙しいようだった。
事務所でタイムカードに打刻して、
社長の不在を確認してからひかりは足早に店を退出した。
『レビューの紙、って言っていたけど何か厚いな。』
本来レビューの申請用紙は1枚だけなのに、複数枚紙があることを確認し、
ひかりはQRコードのレビュー申請用紙の下の紙をめくった。
、、、付箋が貼ってある。
付箋:<こちらの小説を読んでいただき、感想聞かせてください
   【小説:そんな私の光る刻(とき)】>
『うん?』と思ったひかりの瞳に、上の題名が飛び込んできたのだった。
(完)

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