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食卓文化の向こうに見えるもの    vol.2 ~オランダ皇室の晩餐会~

※リバイバル記事です

2013年ウィレム・アレキサンダー国王即位式の前日に、ベアトリクス前女王主催による晩餐会が国立博物館にて行われました。

レンブラントの「夜警」を背景にした美しい晩餐会の様子を写真でご覧になった方もたくさんいらっしゃることと思います。

私としては新教会や船のフラワー装飾など気になるところは色々ありましたが、先日訪れたHet Loo宮殿で、偶然にもその晩餐会のテーブルセッティングを再現した様子が展示されており、わくわくじっくりと拝見してきました。写真を撮ってきましたので是非ご覧ください。

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晩餐会のテーブルウェア

まず食卓上の大きなフラワーアレンジメントが飾られているセンターピースですが、ブロンズの上に金のレイヤーを施したもので、ウィレム1世がパリで注文したものだそうです。
1815年王位就任の後のことでしょうから200年近く前のものです。権威を感じる豪華なセンターピースですね。

お皿はフランス・セーブル窯の時期、W(ウィルヘルミナ女王)、JB(ユリアナ女王とプリンスベルナルド)の金のモノグラムの装飾がある19世紀後半~20世紀にかけて作られたもの。

テーブルクロスやナプキンやイタリア製でオランダ王国の紋章が彫られており、銀のカトラリーにも銃が刻印されているため、それを見せるように置かれています。

また美しい網模様が施されているグラス類はベネチア製、1840年にウィレム1世がオーダーしたものだとのこと。

100年以上の歴史あるテーブルウェアがこうして並ぶ様は圧巻ですね。そしてこの晩餐会の給仕方法は "a la Russe"(ロシア式)で行われた、とありました。

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フランス式サービスの起源は〇〇〇からきた

さて、今では西洋のコース料理というと一皿ずつ給仕される形式が一般的になっており、その起源はフランスにあると考える人が多いかもしれませんが、そもそもはロシアからきた習慣です。

18世紀末までフランスの晩餐会における料理サービスの方法は食卓に全ての料理を完璧に左右対称に並べるものでした。ゲストの数によっては百を超える数のお皿が食卓上に所せましと並ぶことになり、一度に全てを出されることから温かいものも冷めてしまって当たり前でした。またスープだけでも何種類も作らなければならず、主催者側にもかなりの負担となっていたのです。

 1810年パリ近郊のクリシーにてロシアの外交官 Prince Borisovitch Kourakine がゲストをディナーに招き、私達にはすっかり馴染みとなっているロシア式で初めてゲストをもてなします。

それまでは招かれた晩餐会会場へ入ると目に飛び込んできた美しく左右対称に配置されたご馳走の数々はまったくなく、食卓の上にお皿とカトラリー、グラス、そして中央に花・・・の場面は驚きをもって迎えられたことでしょう。

一皿終わるごとに給仕人が下げ、宮廷台所で調理された次の料理を賓客にサービスする方法はコストの面でも節約となり、まずパリで流行した後、各国へと伝わっていきました。

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今、この写真を再度見ると、センターピースの上に華やかな生花(展示では造花でしたが晩餐会では生花)が飾られています。
これも食卓上が華麗な料理で埋め尽くされていたフランス式から、一皿ごとに給仕するロシア式サービスへと変わった後に登場してきた装飾方法なのは頷ける展開ですね。

サービス方法の変化に伴い、それまでの陶器製装飾から生花のアレンジメントや果物を盛った鏡面つきのセンターピースなどが食卓の中央に置かれるようになるのです。

家庭でのおもてなしのキモ

 さてこれまでは華麗なる王侯貴族のお話。私のような庶民が友人やお客様をお招きするときには、やはりそれなりの身の丈に合う方法でするより他ありません。

楽しい時間を共有できるよう、清潔で無理なく、でも出来れば見た目もちょっぴり美しく、ホスト側もジタバタせずに行いたいものです。

そして温かいものは温かく、冷たいものは冷たいうちに・・・と書いていると、ほとんど無理難題に近い気もしますが、一番大切なことは「段取り・計画」に尽きると思います。

まずは家族との食事の時間からチャレンジしてみるのも楽しいですね。

                         (2014年2月 記)


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