厨二病(永遠の14歳)の私がいきてきた道。
はじめまして。
株式会社SUNITED 代表取締役の福富と申します。
当社は、Corporate(IT/管理部門)×Organization(組織)を整えるコンサルティング支援を行っております。
実は以前に、自己紹介に先立って、コーポレート部門の現状を憂いた記事を書かせていただきました。
(まだ読んでいない方はご一読いただけると嬉しいです!)
そこにも書かせていただいたのですが、SaaS系企業のエンジニアに比べて、コーポレート部門(特に社内情報シス)はあまり人気がありません。会社の中核を担っているのにも関わらず、その魅力が伝わり切っていないことが残念でなりません。
そこで今回は、コーポレート部門の魅力を少しでも伝えられるよう、私のこれまでのキャリアを振り返ってみようと思います。
一風変わった経歴をご覧いただき、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
よろしければ最後までご覧ください。
魚屋の息子
両親は、引き売りから店を始めて魚屋を創業。
私は、魚屋を営む両親のもとに生まれました。
商売というものは波あり谷あり。いろいろなことがあります。
決して裕福とも言えない状況はたくさんありました。
放課後は大人の長靴をはいて、お店を手伝い、毎日夕飯はお店の終わる21時頃。
コタツのうえで売上を数えて・・・のような小学生時代を過ごしていました。
幼い頃の私は、「魚屋の息子!」と言われるのが嫌で、生魚以外は極力食べず、肉が食べたい!とずっと言っていました。
気付けば今も、ハンバーグ、唐揚げ、焼肉、カレーライスみたいな子供が好きそうな茶色いメニューばかり食べています…
今思い返すと楽しいこともあれば、苦しい悲しい思いもいろいろある幼少期だった気がします。
将来どうありたいか?何になりたいか?といった具合にアイデンティティを確立出来てない自分は、やることなかったので、妄想したりファンタジー小説読んだりゲームしたりしていました。
昔から、いつも誰かにイジられて、一時はイジられる事を避けるような時もありましたが、今考えると、イジっていただける事はとてもありがたい事でした。
たくさんの人々がいる中で、自分をわざわざ選んでイジり、笑って頂ける。
そんな事って大人になるとなかなか無いのではないでしょうか?
ある意味、これがイジメというものなのかもしれませんが・・・
学生の頃は、売上によって家計が左右される暮らしへの反発からか、安定を求めて公務員を志すようになっていました。
大学も、無難に法学部を選択。
真面目に授業を受けて単位をもらう四年間。
そんな私に転機が訪れたのは、高校時代の友人(上杉さん)のバンドでした。
気づいたら年100本近くのライブに行くようになっていました。
※ボーカル(上杉さん)は元々エンジニアとして活躍しており、今はHEYにいます。
エンジニアというと同業っぽい感じにも思いますが、彼は技術系、自分は事業会社の社内SEという形で微妙に守備範囲が違います。
https://vimeo.com/630731779?fbclid=IwAR3OTNh9_HF7ewE9fQ-Y20rpz5W8mzjbwmsqM3WESyUgAFvNeN6oAU3eLlQ
バンド名はENDZWECK(エンズウェック)
CDジャケットやフライヤーなどを作るようなお手伝いをしていました。
彼らとの出会いは、内向的で、人見知りな私の性格を少しづつ変えていきました。
バンドって営業もして、(音源)制作もして、物販もして、ツアーもして、お金の管理して・・・とメチャクチャ大変だと知り、何でも自分たちでこなす事の重要性に気づきました。
気づけば、同バンドは海外ツアーなどもやるようになって、
目の前で何かが大きくなっていく様を見て、人が人を集めていく体験を初めてしました。
彼らとの出会いは私の人生に大きな影響を与えてくれました。
人を巻き込む力の大切さや継続性の大切さをとても学びました。
この日々に学んだことを自分の座右の銘にしています。
「Friendship, Unity, and Passion」
現在、バンドの各メンバーがいろいろなことをされており、SUNITEDのTシャツは
ドラム(通称:宇宙さん)のTシャツ屋さんに制作を依頼してます。
ゼロイチで事業を作るということ
バンドを抜けた後私は、特になりたい自分、ありたい自分も見つけられなく会社を点々とします。
その中で、出会ったのがアートディレクターの木村さん(http://elenalab.com/)と生本さん(https://balcolony.com/)でした。
まだ二人とも個人事業主で二人のシェアオフィスを探したり準備したり、ほぼ毎日のように事務所に入り浸る生活に。
普段は別で仕事をしていたので仕事帰りにちょっと寄る。
または気付いたら事務所でゲームして、話をしている。そして、うっかり寝泊まりする・・・そんな日々を送っていました。
二人の活躍の幅が広がり、ちょっとずつ社員も増えていく様は目に焼き付いており、ゼロイチで事業を開始して規模拡大していくのを見るという、とても良い経験が出来ました。
アートディレクターという職業は、
お客様の根っこの部分を汲み取り咀嚼して形にする
という、とても素敵な職業であることに気が付きました。
自分もクリエイティブな仕事が出来るようになりたいと思った瞬間でした。
月日が経ち、色々なご縁が重なり、ブックオフへ転職する機会をいただけることに。
私が行くか迷ってた時、木村さんが一言
「トミー(福富)は、ブックオフの話をしている時が一番楽しそう。行った方が良いと思う」
と言ってくれたのは今でも覚えてます。
そして生本さんは「必ずトミーは大成する」と。
過去、同社の外部ヘルプデスク立ち上げ支援をしていた経験もあったので、元々知ってる方も多く、緊張することなく入社できたのですが、そこから怒涛の日々がスタートしました。
当時のブックオフは急速に拡大しており、月に20〜30店舗、店舗が増えることがありました。
その中で、一日に20店舗近くのインフラを整えることになり、ダイヤルアップ回線(※1)から光回線に変える作業や、Tポイント導入(現在は独自のハウスポイント)の対応など初期の頃は目まぐるしい毎日を過ごしていました。
(※1)電話回線を用いたインターネット回線のこと。
そして、基幹システム入替などを幾つかやらせて頂き、最後はヤフーとの資本提携「ヤフオフ!」プロジェクトなど新規事業の立ち上げにも携わらせて頂き、とても感謝しております。
今は無きヤフオフ渋谷センター街店でのオープン当日の「よむよむくん」の着ぐるみの中にいたのは自分です。
いろいろな人との出会い、プロジェクト推進、学ぶことしかない日々でした。
私は、今も昔もブックオフという会社が好きです。
みんなが真っ直ぐで、直角に曲がるような意思決定も組織として出来る。
チームそのものと、それを支える理念と文化。
ビジネスモデルとしての素晴らしさは勿論ですが、日々変化すること、意見が割れたときはぶつかり合って納得するまで議論すること。
そんな組織に10年近くいさせて頂いたのは感謝でしかないです。
行き着いた先は、ブライダル業界
その後、大好きだったブックオフから転職します。
理由は、新しいことにチャレンジしようと思ったからです。
今までとは違うビジネスモデル(顧客単価の違い、ユーザがリピートするようなビジネスモデルではないなど)を学ぶことでより顧客心理を学びたい。
そう思いました。
転職先は、本当は他社(アパレル関連)に行く予定だったのですが、とあるご縁からエスクリ(ブライダルの会社)に行くことに。
今考えると、心のどこかで創業オーナーの下で仕事したい気持ちがあったからだと思います。
エスクリに入社してまず驚いたのは、オペレーションが全てデジタル化されてることです。
書面が多い結婚式の準備やオペレーションですが、席次表、新郎新婦のマイページ(タスクなど)などなど入社時点(今から10年弱前)で相当デジタル化されてました。
その時、「事業 × デジタル(IT)」というのは当たり前なんだなと実感しました。
そして2年近くの月日が流れて・・・
ここからは、今のSUNITEDにつながる話です。
前職を退社してから、私は、ワタベウェディング株式会社に転職をしました。
インフラ統合、システム統合、ホームページやCRM構築など全般的に携わって業務をさせて頂きながら、仕事の合間を縫って、副業としてIPOを目指している企業のIT統制整備をさせて頂くことになりました。
そんなこんな毎日を過ごしている間に、徐々にご支援する会社が増え始め・・・
結果として、ワタベウェディングのグループ子会社としてSUNITED株式会社を設立。
元々、独立したかったこともあり、現状の形となりました。
徐々に、ブックオフ時代、エスクリ時代の同僚にも参画頂き、元々ワタベウェディングで働いていたメンバーを基礎に組織をスケールアップしていきました。
「訳わからない」ような、この事業にお付き合い頂いてる事にとても感謝す。
そしてコロナ禍に。
SUNITEDの事業としては拡大傾向でしたが、親会社の主軸のブライダル事業としてはグループを離れる人がたくさん出ることとなりました。とても残念なことで悔やむことも多いです。
新卒プロパーで長年務めてきた人たちが居なくなるのは悲しいことでした。
彼らにしか出来ないことがたくさんあったはず。
例えば、大きな意思決定をオーナーがする際、最終的にオーナーの心を動かせるのは、オーナー企業である以上、生粋の企業遺伝子と理念を持つ彼らしかいないのに・・・
と思うこともありました。
今は興和株式会社が支援をしてくれて、興和グループの仲間入り、ワタベウェディング株式会社としては第二創業でもあり新しい門出になりました。
もともとのワタベスピリット(盛和塾)を大切にしながら、どう化学反応を起こしていくのか?これが今後の同グループとしてのテーマです。
そして、2021年末、SUNITEDは興和直下の子会社になりました。
2019年に創業して毎年資本に何かあるような状況ではありますが、わざわざ自分たちを訪ねて来てくれるお客様、そしてお仕事を頂ける事に感謝です。
グループ内のお仕事も、社外のお仕事も、たくさんの企業がある中、自分たちを選んで頂ける事に感謝です。
幼少期にあった「イジられる」という事への感謝も今だからこそ気付けた事かも。
よく、いろんな人からお前は変わっている。と言われます。
とても有り難いお言葉であると感じております。
一風変わっている人間だからこそ、出来るお客様サービスがあるはず。
それを信じて日々過ごしております。
私のキャリア論
私は、常に誰かに出会い、誰かに教えて頂き、生きてきました。
20代の頃の自分では全く思いもしなかった現実が今あるように思っています。
いかなる時も、Friendship(仲間)・Unity(結束)・ Passion(情熱)の三つを大切にし、心の動いた仕事を選ぶことを大切にしてきました。
その上で自分が下した決断に後悔がないよう全力で仕事に取り組む。
これまでも何度か転職をしましたが、友人の会社に転がり込んだり、オーナーの姿を見て転職を決めたり、いつの間にか働いていたりと、理由は様々。
ですが、どの決断にも後悔はありませんし、愉快な仲間とやりがいのある仕事に巡り会えたと胸を張って言えます。
これを最後まで読んでくださった方にも、そんな素敵な出会いがあることを願っております。
全ては自分次第です。自分の心が揺さぶられる選択をし続けてください。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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