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人それぞれの原動力

僕にとってのガソリン

毎度どうもスニフ村です。

音楽と服とシーシャとゲームが好きと言いつつも音楽の話ばかりをしているので、今回は服に絡めて僕を突き動かすものについて書いていきます。

プライベートの僕を知っている人であればまあ想像はつくと思うのですが、基本的に服はルーズでダボっとしたシルエットの物を好みます。

シンプルにゆるいシルエットやダボっとした質感が好きということもありますが、実はこれは僕の過去に対する反抗から来ています。

きっと誰にでも自分自身を突き動かすガソリンのようなものがあると思います。
実は目を向けていないだけで、その原動力がどこから来ているのか、何が自分をそうさせているのか、読んでくれる人も考えてみると案外面白いものが出てきたりすると思います。

では、果たして僕にとっての原動力はなんなのか、何故こうなったのか紐解いていきます。

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反骨精神が全ての源

もう見出しを見れば分かると思うのですが、単刀直入に表現すると、僕を突き動かす原動力は何を隠そう「反骨精神」なんです。

一体何に対する反骨精神なのか。
それは僕自身の過去に起因します。

僕は幼少期から比較的自由に育てられてきました。
親から「勉強しなさい」と言われる事はほとんどなかったし、その分自分で進路を決めたり、と自分自身の事のほとんどを自分で選択してきました。
なので高校進学、看護師を目指すこと、就職先を選ぶこと、ほとんど親への相談無しに自分自身で決めてきました。

そんな僕でも唯一親の意見に耳を傾けなければいけないことがありました。
それが服です。
小学校高学年あたりからルーズな服への関心が出てきていて、実際そういった服装をしたいと感じていたのを覚えています。
しかし、小中とほとんど服を親に買ってもらっていた間はそういった服装をする事はほとんどありませんでした。
理由はシンプル「親がそういった服装を好まなかったから」です。

比較的サイズ感がピシッとした物を良しとする親にとって僕の目指す服装は悪だったのです。

最近は「親ガチャ」なんて言葉が流行っていますが、正直僕は親ガチャに関しては大当たりだったと心の底から思っています。
こうやって音楽を好きになったのも、感性が豊かになったのも、色んな価値観を受容しようと思ったのも、全て親のおかげだと思っています。
なので、過去に自分のしたい服装をできなかった事を恨んでいたりはしません。
むしろ自分自身でお金を稼いで、好きにするべきだったんだと反省しています。

高校生・大学生となり、自分のお金を使って自分が好きな服を買った時は親に禁止されたりする事はなかったので少しずつ自分のなりたい服装を目指し始めました。


解放という一種の反動

解放というとまるで僕が縛られていたみたいに見えますが、実際強く縛られていたという感覚はありません。

ただ今まで服を買うときにどうしても親の意見を聞かざるを得なかった状況が、僕1人で決めて良い様になったのはある種開放感がありました。

その解放感が、今の僕の服達を作っていると言っても過言ではないかもしれません。「自分が好きなものを着て良いんだ」「どんな服を買っても文句を言われない」今までそこまで強く縛られていたわけではないのに。

こういった感覚が、反動となって今自分が買う服に現れているんですよね。

正直この反骨精神による反動は、親に対するものだけではなくて、昔付き合っていた彼女に「夏は下駄を履こうと思う」と話したら「ない」と言われて諦めたり、友達に冗談半分で「服に着られてるよ?(笑)」と言われたり、と自分の人生にずっと付き纏ってきたものによる反動なんです。

僕は性格がひねくれているので、こういうムカついた事象をめちゃくちゃ根に持ちます。

だから全部復讐する気持ちで今では夏には雪駄を履き、4XLサイズのシャツを着ています。

本当に身長も器も小さいですね。


反動から得た知見

そんな小さい自分を出来るだけ大きく見せようとオーバーな服を着てきた僕が思うことがあります。

好きにやりゃいい

これに尽きます。
もちろん。かといって仕事の規則をいきなり破って金髪にすることも、髪の毛を肩まで伸ばすことはありません。

人が縛られていると感じるものは上手く掻い潜って処理をするか、解放された時に思い切り楽しめばいいんです。

でもうるさい外野のヤジはただのヤジです。
よく聞く言葉ですが、"自分が自分を愛してやらないでどうする"。

今の僕なら人生に影響の出ない範囲で自分を表現します。
昔のように、彼女の意見を気にしたり、周りの目に敏感になったりしません。

多分周りの目を気にしていたらこんなnote書けません。

髪を切って職場に行った時、「女の子みたいな髪型じゃんもっと短い方が似合うよ」という言葉にも、今では中指を立てながら「俺が良いと思ったら良いんだよ」と言い返すようになりました。

これも一種の反骨精神なんでしょうね。

でも僕はこの反骨精神を大事にしたいです。

きっとこの反骨精神が僕の個性なので。

最後に僕の好きな古着屋さんの言葉を残します。
人は、何を着たいか、どう着たいか、ファッションは「十人十色」である。

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いかがだったでしょうか。

きっと皆さんにもこの反骨精神のような原動力があると思います。

自分の燃料になるものは、その人がその人である理由になるはずなので、是非大事にしてもらいたいものです。

それでは皆さん良いファッションを。

スニフ村

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