夢を追うことが美学なんて誰が決めたんだ
どうもスニフ村です。
ご無沙汰してます。
4月1日ですね。
所謂新年度が始まる日で、社会人になったり環境が変わったりする人が多いと思います。
希望を持って、新しい世界に飛び込む人には今回の文章は少しつまらないかもしれないですが、しんどくなったら読んでください。
しんどい時期は必ず来るので。
タイトルにもある通りのことを、僕の経験を踏まえて書いていきたいと思います。
それでは綴っていきます。
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夢に向かっている人はキラキラして見える
そんな言葉をよく耳にします。
では、夢に向かっていない人はどうなんだろうと考えたことのある人はいるでしょうか。
おそらく少ないかなと思います。
何を隠そう僕は夢のない人間です。
小学生の時に「将来の夢を書く」という問いに全く答えを出せず、「1人暮らしがしたい」と書くくらい昔から自分の夢なんてものはありませんでした。
生まれて24年経ちますが、具体的に自分が何になりたいのか。
未だにわかりません。
そんな僕でも何かを目指したことはあります。
高校生の時に何にもなりたいもののなかった僕は進路に悩みます。
将来性等を考えて看護系の大学へと進み看護師を目指しました。
あーだこーだ言いながらも勉強したり、実習を乗り越えたりと、大学時代の僕は夢に向かうキラキラした人間だったのかもしれません。
紆余曲折ありながらもその後、僕は無事に看護師になりました。
側から見たら夢を叶えたように見えてもおかしくありません。
皆さんは、夢を叶えた人間がその先どうなるか考えたことはあるでしょうか。
きっと新たな夢を見つけて、また夢に向かって行くんじゃないかと思うはずです。
では、なりたいものがないから消去法で看護師になった僕はどうなったと思いますか?
目標もないのに、医療職としての高い志を押し付けられ、あたかも念願叶って看護師になれたかのように扱われる苦痛。
きっと、僕が昔から看護師になりたくて看護師になった人間なら耐えられたんでしょう。
周りから夢を叶えたように見える僕は、自分のなった職によって心を壊されます。
とりあえずでなった職に就く人にとって僕が成れの果てと考えると億劫ですよね。
でも心配しないでください。
僕はこうして生きています。
長々と自分の経験を書いて一体何が言いたいのかというと
夢なんてなくても生きて良い
これだけです。
僕は昔付き合っていた人に、「看護師になろうと夢を追いかけている君が好きだった」と言われたことがあります。
世界は、何かに向かっている人に幻想を抱きます。
「この仕事に、この会社に就いたということは、この人はこの仕事が夢だったんだ。素晴らしい。そんな人なら、多少の苦労も糧にして乗り越えてくれる。」と
クソ喰らえ。
僕が仕事をするのは生きるためです。
いつから夢を叶えた先が仕事になったんでしょうか。
僕は真っ向から、この夢を追うことを美学とする文化に中指を立てます。
だから安心してください。
生きるためなのにしんどい思いをしながら仕事をしなくて良いです。
生きるために仕事をするんだから楽をしようとして良いんです。
仕事にプライドを持ちすぎないでください。
結局人間生きるために日々を過ごしているだけです。
疲れたら一息ついてください。
別の環境も視野に入れてください。
僕は夢だと思われていた看護師から足を洗うために仕事をしています。
そんなアホもいるんだなと笑ってください。
もちろん。
夢を叶えて仕事に就いた人は頑張ってください。
でも、無理はしないでください。
たかだか自分の人生です。
好き勝手やってください。
どんな夢を追っても、どんな目的があって仕事をしていても、その人の勝手です。
新たな門出の人へ向けていきなりこんな話をして希望を濁してしまって本当にすみません。
でもきっと、「あぁスニフ村が言ってたことも間違ってなかったのかもなぁ」と思う日が来ると思います。
できればそう思わない日々を過ごして欲しいんですけどね。
何かに迷ったり、疲れたらこの文章を読んでください。
読んでくれた人がどこの誰だか僕は知りませんが、僕はあなたの選択を肯定します。
でも、夢を見つけた時は教えてください。
僕も夢を見つけたらまた文章にします。
それでは皆さん良い門出を。
スニフ村