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承認欲求

永遠に満たされることのない欲求


大学に入学してから、承認欲求が増した。

理由は2つ。
関わる人が増えた。Instagramを始めた。


関わる人が増えると、人と自分を比較する回数が増える。

例えば、あの男より私よりイケメンだ。あの子は私より頭が良い。あの人は私より友達が多い。など。

大学に入り、毎日誰かと比較する生活。
優越感を味わいたい。あの人に下と見られたくない。他人の目を伺って暮らす生活。
日本人は周りの目を気にしすぎていると言われる。私も生粋の日本人であると再確認した。

他人と比較する回数が増えるに伴い、劣等感を抱く回数も増えた。
その空いた穴を塞ぐために、承認欲求が登場する。しかし刹那的に塞いだとしても、すぐに新たな承認欲求で補填しなければならないのが欠点。


Instagramを始めると、いつ、どこにいても、他人の幸福を目にしなければならない。

承認欲求にとって、SNSは狩場。
いかに幸福を演出できるか、友達に知らしめるかの勝負。

関わる人が増えても、比較するのはその人と会うときのみ。
しかしSNS、特にInstagramは夜中の3時であろうが、1人家にいようが、他人の承認欲求を目の当たりにする。承認欲求と隣り合わせの世界。

Instagramの凄みは、ストーリーの閲覧者を確認できる点である。承認欲求を目に見えて感じることができる。

SNSは承認欲求を最も手軽に満たすことのできるツールである。しかし承認欲求を簡単に満たすことが可能になるため、その度の快感が薄れ、すぐに承認欲求が再び沸き起こってしまう。承認欲求スパイラル。

Instagramに投稿したいがために、観光スポット・アミューズメントパークに訪れる人もいるのではないだろうか。目的の移り変わり。


承認欲求がさほどなかった時は、何で快楽を得ていたのかを振り返ってみた。
テニスうまくなりたい、アイドルを応援したい、好きなラジオ番組を聴きたい、などなど。

欲求は誰かに認められて得る快楽ではない。ただ自分のみが幸せだと感じるのであれば、それは紛れもなく幸せであるのだ。

承認欲求に雁字搦めにされた生活は息苦しい。
人の幸福を目のあたりにすると、「いいね」だけでは済まない。対抗したくなる。
常に幸せをアピールしないと壊れそうになる。


私はInstagramを辞めた。
辞めたと言っても芸能人・雑誌のアカウントのみフォローしているアカウントは存在している。しかしそれは、情報を得たいためだけの目的である。春休みの間、承認欲求を極力得ずに暮らしてみたい。

noteも「承認欲求を得るために投稿しているのでは?」と思うかもしれない。たしかに承認欲求を得たい気持ちは少なからずある。
しかしそれ以上に、心に思ったことを書き起こしたい欲の方が強い。

承認欲求から離れる。時代に逆らった生き方。
そこに待っている以前の欲求を再び味わい、もう承認欲求の元へは戻りたくない。
ありがとう、さようなら承認欲求。

写真は紀の善のあんみつ。 http://www.kinozen.co.jp/01main.htm