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女王アリと働きアリ(ミームと人類の未来)

女王アリと働きアリ、もしアリに生まれ変わらなければいけないとしたらあなたはどちらを選択しますか?

少し前からミームについて記事を書いていますがアリはミームと深い関係があります。アリの人生というものを考えた時に巣の中でほとんどの時間を過ごしている女王アリの一生というのは幸せなのだろうか?確かに巣の中で特別な存在で周りから大事に扱ってくれるがそれで満足するのだろうか?それよりも外に出て、いろんな危険、苦労はあるだろうし、長くは生きられないかもしれないが働きアリの一生のほうが人生(ヒトではないから人生ではないか?)、生涯のほうが個人的には幸せなのではないか?そんなことを思ってしまう。
自分が詩人やシンガーソングライターみたいな存在であれば働きアリをモチーフに文学的な作品をつくるのかもしれないが理系脳の自分には今は無理でミームと人類の未来について考えてしまう。
これは自分の勝手な考え方、捉え方であるけれど、アリという生き物は働きアリ、女王アリと区別はあるもののそれらは一つの細胞、動く細胞みたいな存在で巣という形態で一つの生命体と考えてもいいのではないか? まぁ細胞は小さくし過ぎではあるけれど、頭、手足、心臓、、、などの部位というイメージで捉えています。まぁ女王アリが生殖器、働きアリが手足、雄アリは精子という程度になりますが巣全体で一つの生命体と考えれば、女王アリと働きアリの関係なども合点がいくように思っています。細胞も動けないものの生きている。もし生物が進化する過程で細胞を移動させるということを試みた、ということもあり得るのではないか?
話が脱線したが別にアリの話をしたいわけではない。ヒト、人類もアリの社会のようになる可能性もあるのではないか?そんなことを思ったりもする。アリの社会のように子供を産む役割と生活・社会を支える役割を分けて、それぞれ役割分担をする。そんなことを考える人が出てくる可能性もある。子育て、育児というのは大変な労力が必要である。生物は遺伝という大事なものがあり、それが生きる目的になっているようにも思うが遺伝というのは未来に自分の情報を伝えることだが現代の人間社会では本などの紙媒体だけでなく電子機器も含めいろんなものを使い情報を未来に残せる。必ずしも遺伝だけが自分の情報を未来に伝える手段というわけではない。
無意識にそういう人間もいたかもしれない、ニュートンも子はいなかったとされるがニュートンの功績、物理学は人類に多大な影響を与えていて、子孫を残す、遺伝をすることよりも自分の情報を多く伝えたかもしれない。ニュートン以外にも多くの偉人で子を残さなかった人たちがいるがそれらは無意識にそちらを選択しただろう。しかし、今、これからの未来はまた別な話になる。上記したように今は未来に情報を伝える手段もあるし、ミームという存在もわかってきている、意図的に人間の社会、人類のシステムを変えようとする存在が現れる可能性もある。もしかしたらそれは個人の意図ではなく、ミームによって動かされている人物、寄生されて自分の意志とは無関係に行動する動物のようにミームもしくは他の何かに動かされて人類・人間社会のシステム変更を行う、そんな可能性もなくはない。アリの社会のように子を産む、産まない存在がはっきりとする、そんな社会になる可能性もあるんじゃないか。

素人考えで現実離れしている部分も多いとは思うがいずれミームという存在が分かってくる、浸透していく中でこういったことを考える人物が出てくるかもしれない。性善説で作られたルールのようにモラルだけでは人の行動を止めることはできないこともある。未来になればそういうことも問題になるかもしれない、「備えあれば患いなし」ではないがきちんと考えておくことだと思う。まぁ、個人レベルの話ではどうにもならないが個人の集合体で人間社会は構成されているから国家レベルで意識していくくらい意識する人が増えればいいのだろう。

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