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雑巾とファーストペンギンと資本主義(ミームと人類の未来)

上の写真は何に見えますか?
答えは、、、

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雑巾でした。雑巾ってとても尊い存在ですよね。これがなくちゃ、いろんなものがキレイにならない。
でも、何かをキレイにする代わりに自分がどんどん汚れていく。今の時代、表面的なことが多くなっている現代社会だとそういったことが敬遠されていくのかな、なんて思ったりもしますがどうなんでしょう。
生物でも雑巾のような働きをするものがいます。前回の記事で書きましたがミームによるものですがアリ・ハチの仲間はそうでしょう。働きアリたちは自分のためではなく、女王アリ、卵のためにいろいろと行動します。
そしてタイトルにも載せましたがペンギンにも面白い習性があります。ファーストペンギンというのは欧米で使われている慣用句ですが、みんなが勇気と行動力のある人、成功者を表現する時に使用されるみたいです。これは実際のペンギンの習性に由来しています。集団で生活するペンギン。食料は海にいる魚ですが海の中には鮫やシャチ及び海獣などの天敵が迂闊に飛び込めば彼らの餌食になります。ペンギンの集団が一気に飛び込んでしまえば、多くの被害が出てしまいます。そのため集団は最初の一羽が海に飛び込み、海の中に敵がいないかどうか確認し、敵がいないようであれば集団が海に入るという習性があります。最初に飛び込むペンギンは食べられてしまうリスクもありますが、敵がいない場合は他のペンギンよりも早く、また多く魚を得られる可能性があります。上の慣用句的な使い方は後者の成功したペンギンに例えた使い方になりますが、個人的には前者、失敗したペンギンにスポットをあててしまう。よくあることではないけれど、失敗する可能性が高いし、だからこそ誰もやろうとせずに何も動かずに時間だけが過ぎていく。ペンギンの集団も誰も海に入らなければ餓死してしまうだろうが一般の社会でも同様に行動しないと競争から脱落していくケースもある。ファーストペンギンというのは成功したペンギンだけでなく、むしろ貧乏くじを引いたペンギンもたたえるべきものではないか?と思っている。失敗したことが集団にとっては結果的によく、次に繋がる。なんとなく失敗したペンギンは雑巾と同じで誰か、社会のために犠牲になってくれた存在のように思えてしまう。

ただ資本主義という考え方は雑巾に対してどのような感覚を持つのだろうか?もちろん感謝する人も多いだろうが汚いなどの表面的なものの見方をする人も出てくるように思う。それはコロナ禍の中。特に最初のころとかで感染者を叩く人もいたがあれも表面的なものの見方しかできない人だと思う。ファーストペンギンとペンギンの集団ではないが医療従事者など感染リスクが高くてもそれをやってくれる方がいるからこそ社会が健全になっている。狭い視野で自分の利益ばかり考えてしまうことは結果的には最善の答えではないこともある(囚人のジレンマ)。情けは人の為ならず、ということわざもあり、自分のために他人に優しくすることも有効なのだが、資本主義が行き過ぎて、自分の利益ばかり優先してしまうことが事態をより悪い状況にしてしまうことも起こり得る、特にコロナに対しては。コロナは変異しやすく、デルタ株は有名になったが世界のどこかで感染が拡大すれば変異の可能性も高くなり、変異が起こればデルタ株のように世界に拡がる可能性もある。ワクチン外交という言葉もあるが世界、国家レベルでもあまり資本主義的なことが多いのは危険で情けは人の為ならずという気持ちを持つことが大事だと思う。

以前、日記的に書いた内容と被ってしまいました。もし以前のものを読んでいただいた方、すいません。

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