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魔法使いの約束とタロットの話 ㉑スノウ/㉒ホワイト

初めましての方は、大アルカナ全般的なことについても記載しているので上の記事もご覧いただけるとよいかな、と思います。

年齢順でミチルから書くつもりでいたのですが、よし、やるぞ!となってから割った卵が連続して双子だったという圧に耐えかねて双子から行きます。各キャラ全部説明し終えたあとに、ラストの「世界」の話が改めてできるといいなと思うので、内容がそことも重複するかも知れないのですが、敢えてスタートに彼らを持ってきたいと思います。

【キャラ別解説:北の双子】
キャラ名(所属):背景表示の番号・タロットのタイトル で行きます。

●スノウ(北の魔法使い):㉑世界
双子の魔法使いホワイトの片割れ。普段は子供の姿だが、大人の姿になることもできる。実は数千年も生きているという噂。思慮深く堂々としているが、たまにお茶目な一面も。

●ホワイト(北の魔法使い):㉒愚者
双子の魔法使いスノウの片割れ。いつでもスノウと共に他の魔法使いたちを優しく見守っている。仲良しで息ぴったりの双子。だが、ホワイトには大きな秘密がある。

名前の通り「白雪姫(Snow White)」がオマージュ元と言われています。

まあ、全員ヤバいのですが(ヤバくない取り合わせがまずないのですが)双子。特にこの双子。ホワイトの立ち位置があまりに絶妙で恐ろしいんです。

タロットだ、と気づいてから鳥肌立ちまくりだったのですが、一番呻いたのが双子なんです。運営がこれを狙っていたとすると本当に震えます。

なぜなら、スノウ・ホワイトという、北師弟系譜の長。それでもって弟子たちの心にもしっかりはっきりと傷を残した、彼らの明確な隔絶が、タロットカードに置き換えたときにもはっきり出る立ち位置になっているからです。

そのためにも、導入でもご説明した、意識レベル/経験の領域に応じた3つのグループ。こちらを改めてご覧下さい。

0 愚者
1-7 意識(コンシャスネス)=社会における人生の外的な関心事
8-14 下意識(サブコンシャスネス)=自分が本当は何者なのかを見つけるための内的な探究
15-21 超意識(スーパーコンシャスネス)=霊的な気づきの発達と元型的エネルギーの解放

既に、というか、このタイトル自体からめちゃめちゃツッコミどころがあるんですよね。
次のように思われた方が多いのではないでしょうか。
あれっ、ホワイトの背景22なのに、愚者は22じゃないの?
と。
ていうか、3グループに分けると言いながら、3グループじゃないじゃん?
と。

そうなんです。ここで一番話したいのは、実は、まさにその”愚者がなぜ分けられているか”。そして、まほやくにおいてなぜ22とされているか、その位置取りについてなんです。

この1周年SSRはすべてのキャラでタイトルが一致しています。
【22人は運命を共に】
これは、1人の賢者と21人の賢者の魔法使いだから、22人。
大アルカナも、22枚。
ただ、元になっているウェイト=スミス版においては、愚者に与えられた数は0なのです。22ではないのです。にも拘わらず、今回ホワイトはあえて22番が与えられています。

ホワイト・愚者/XXII(22)

それはなぜなのか。

22という数字にすることで、カード名とのバランスが取れるから。
21番である世界に続いて、スノウ・ホワイトと言う双子の連番が叶うから。

数秘でいう22はマスターナンバーとして、一段違う次元を示す数でもあるから、かも知れません。

本来の愚者は0なので、実数ではない。
上記の3グループの分類は、1-21の“実数を与えられている21枚”を3グループに分けたものなのですね。

ちなみに、この1段を7枚とする”7”というこの数字。これとタロットもまた縁深いとも言われていて、22*7=154(足して10の完全数)、さらにこれを2で割ると77となり、愚者を除いたタロットカードの枚数になるとのことです。見つけた人すごい。

このように、愚者はやはりそういった時にも省かれる対象になる通り、ジョーカー的な位置づけのワイルドカードである、ということもなんとなく、もしくはがっつりと伝わるものがあるのではないでしょうか。タロットの中でも、数秘22と同じく、「別次元」のイメージが愚者の世界観にはあります。

つまり、愚者は、基本的に枠に当てはまりません。

だって、なんせ、愚者は0(サビなので何度でもいいます)。
0が発見されたことがとんでもない変革をもたらしたように、無存在が存在するってすごいことで、この世としがらみがない存在として存在しています。存在のゲシュタルト崩壊起こしそう。どうでもいいけど存在ってこんな記号らしい→∃(出てきた)。

魔法使いの約束のタロットの割り当ては年齢順ですよね。そして、それはあくまで、”生きているメンバーでは”。

ホワイトは幽霊なので、この現実の枠から既に外れている。だから、この世界の中では、愚者はホワイト以外にあり得ないのです。

愚者もとい、「愚か」という単語というか言い方には、ピンとくる賢者様も結構いるのではないでしょうか。氷の街のスポットエピソード、特にホワイトへの印象の複数項目で、数名のキャラから「愚か」だという描写で言及が入っていますので、気になる方はぜひ確認してみて下さい。

0は、2次元に表すところで言うと「点」です。点って面積がないのである意味「無」なのですが、円はそこを中心として、すべての距離が同じ点の集合で描かれるとも定義されています。

従って、愚者に与えられた0という数は、円ですが(丸ですからね)、同時に点であることを示した数でもあります。そして、スノウの「世界」の元カードにも0を象徴するシンボルが描かれています。

21. 世界 中央の人物を囲う「0」の象徴が描かれていることがわかる

世界のカードにはダンサーが描かれています。下の局部は布で隠されていますが、両性具有で完全な存在として暗示されているそうです。
 これ、ワンドと呼ばれる木の棒を持っているのですが(スートの解説は①魔術師でします)、まほやくを知っている身、スノホワを知っている身からすると、

  • 魔法使いは形を変えられるし、形に頓着がない(男にも女にもなれるし、何にでも恋をする)

  • 魔法使いはみんな両利き(他カードでも両利きの設定理由に繋がるかな?というのがありますが、正味、大アルカナラストであるこのカードの影響は魔法使いや魔力全般の設定に及びそうなので、完全形態である世界の状態が両手で平等に杖のようなものを使っている、というのが関連しそう)

  • 本来ならホワイトが横に並んでいたはずのスノウが、ひとりとなって二人分の魔導具を持っている様の暗示

のように思えて情緒がどっかにいき始めます。

スノウ・世界/XXI(21)

リボンが二つに分かたれてるよォ……やめたげてよお……

スノウは、自分の手で自分の世界から何をおいても失いたくなかったはずの存在を葬りました。そして、手放しきれずにとどめ置かんとしたのもまたホワイト=愚者=0なんですよね。

0がなければ、円=「完全な世界」も存在しえない。存在しない、ということがなければ、存在しているという認知も起こらない。

ホワイトが死んだことで、スノウとホワイトの反応に差が出たことに関してオズが”ぞっとした”ということを言及していました。それは実際に、完璧な対の存在として見えていた双子がそうではなくなったことと共に、根本的に性質の変わった、異質な存在として目の前に現れたことへの反応だったのかなあなんて思います。

世界のカードの絵柄は、他の大アルカナの話の終着点としてもまた触れたいので、フィガロの分を書き終える頃にはまたさらに知見が増えているでしょう!(投げた)

個人的にですねー この点と円、”0”の意味合いがふと過ぎってからは、もう私はスノホワのおめめが点と円の集合なことにすら勝手にウワ〜ン😭😭てなるようになってしまいました。情緒を乱すのは楽しいですね。よろしければみなさまもどうぞ(?)。


さて、ここで大アルカナのキーワードの再掲にはなりますが、

0.愚者は「解放」
22.世界は「外的自然」

を示します。

悠久ともいうべき時を共に過ごし、ほぼ自然と同化していたふたり。なぜなら彼らより生きた魔法使いの存在が言及されていないので、彼ら以上に自然と同じ時間を生きているモノはいないのですよね。あのオズですら、です。

一緒にいれば他に何もいらなかったはずの、お互いに同化していると言っても良かったふたりでひとり。

ここまで、2枚のカードの背景を知ってから二人の関係性を見返すと、下みたいな感じになります。

  • 一つの完了した世界だったはずのところが狂って(ここで不和を先に生むのがスノウというのがまたカードとの反転対比になっている)、

  • 離別があって(後述しますが世界と愚者は連動しているはず、本来切り離されないものの象徴でもあります。ここも矛盾)、

  • 自由(解放)を求めたスノウに対し、その自由を拒んだホワイトの方が結果的には死亡し、

  • この世からの追放=解放=自由に至り、

  • 別次元の存在となるはずだった(愚者の世界観そのものに行く)

  • にも関わらず、この世に引き留められていることで、実はこのまほやく界の誰よりも自分の存在に対して不自由になっている。(愚者の世界観との絶対的な反転)

この、一連のところに対する解像度、一気に上がりませんか…????

まほステ1章初見時の双子ソングで刺されたし、スポエピも各自の理解のために重要な部分があまりに多いので親愛エピソード含め全キャラ分舞台化した方がいいのではないかと思うのは私だけでしょうか????

誰か!!!!!!誰かこの世界一重い双子のドラマをなんとかしてくれ!!!!!!


本来、愚者のカードは全ての動きの始まりとなる0→1のカード。

0. 愚者

足元を見ず、荒波に湧く海原にも頓着せず、道化の青年が情熱の象徴であるバラ(色は無垢を示す白)、そして力の象徴であるワンドを、経験を示しているバッグを吊るすためだけに使って――そしてそんな過去には目もくれず後ろにひょいと引っ掛けて、それだけ持って足を踏み出そうとしています。

止めているのか、旅立ちを支援しているのか犬の存在も描かれていますが、犬は別に吠え立てたりするわけでもなくニュートラルな表情をしていますね。このように、後ろを振り向かず、着の身着のままでOKであるというのが愚者なのです。

ホワイト本人との反転要素としては、自分が愚者にも関わらず(当時は愚者じゃないから仕方なかったのかも知れないですが)他者の自由さを容認できなかったこととの矛盾、また、実際に死んでしまって別次元になったにも関わらず、今度はスノウに魂を留め置かれており、逆に崖っぷちで身動きが取れなくなってしまっている状況……、というのがこのカード一枚からもかなり細かく腹落ちできるし読み取れるなあという印象を受けます。

 また、タロットに描かれる愚者は、しがらみがないからこそ、大胆に真実に切り込むことができる存在、誰とも相容れられないからこそ叡智とのつながりを持つひととしても描かれます。ホワイトがよく話している笑えない幽霊ジョークだったり、また物語の「アーサー王の伝説」(読んでそのままですが、ファン内ではアーサーのオマージュ作品)で描かれる賢者マーリンも全般で見ると「道化」としての位置づけを取っていることで知られる辺りとも関連がある気がします。
 アーサーの師であるオズの師がスノウ・ホワイトになっているのともうまくかみ合っているというか。構って遊んであげてるあたりとか、そんな感じですよね。
 あとはフィガロがレノックスに対してちょっとデリカシーに欠ける冗談を仕掛けるあたりとかは、なんとなくホワイトの持ってる愚者要素の系譜を感じます。いや、そうじゃない、みたいな。。本来は道化なので面白がってもらってなんぼ、な部分があるのですが、どちらかというと笑えないジョークになりがちな辺りは、道化になり損ねていることの示唆とも取れます。

また、愚者・世界の性質を示すにあたっては、以下のブラッドリーの発言でも示されています。スノウよりホワイトの方が元々奔放ではあったんだなというのと共に、私はボスのこういう人間観察しているところが非常に好きなのでこれにはにっこり☺️

一方、スノウはホワイトへの気遣いと共に、多分全体の調和を図る上で行動している節も見て取れるので、この辺りを見ると「世界」の性質と矛盾をどっちも体現しているような気がしています。

自然な調和として無理なく能動的に対応しているとも見られますし、
現在の壊れかけたまほやく世界が故に、テコ入れをしなくてはいけなくなっている。
=つまり、均衡が崩れている
とも取れる。象徴的なようで興味深いところです。こちらの参照は、氷の街・スポエピ<大いなる厄災>について。

他には、ムルやフィガロへの当たりの強さとかも双子で差が結構明確に書かれているかなーとは思うのですが(スノウの方が苛立ちがち)、これは各自の相関関係に起因する部分の方が強いのかな?と感じる部分もあって、まだ考え中です。こ、これだー!!!とか、やっぱりそうじゃね??!!というのがまたあったら追記しに来ます!!!(投げた)(2回目)


 タロットの大アルカナの世界では、実は「愚者」と「世界」のカードの2枚のみが”動きのあるカードだ”とする説もあります。

 宇宙の中のすべてのものは動いていて、地球は太陽の周りを、太陽は銀河系の中、銀河系は星団の中…と、すべては常に循環している。だから、やはり中心である点はどこ、と言わなければどことも既定されないため、すべてに意味はなく、「0」である。すなわち実際には無存在、つまり「ここからすべてが始まり、ここですべてが終わる」と言えるところもありません。そして混乱するかもしれませんが、逆に、今度は“観測する存在さえあれば”、中心はどこにでも位置どることができる。世界のカードは、「絶え間ない動きの焦点を定めることによって、中心が常に、あらゆるところに生み出される」ということを示しているのだそうです。止まることのない動き(ダンス)=世界の概念があるからこそ、今度はあらゆる瞬間を起点として何かが始まる愚者に通じる。そして、愚者はまたも「0」の性質を遺憾なく発揮して、他全てのカード(他の大アルカナ、小アルカナ含めすべて)と矛盾なく連動させる・なりうることが可能なカードなので(まさにワイルドカード・ジョーカーです)、各段階の世界観のすべてを始める、そして、この次の段階へ行く活力になる。そうして様々な段階をまた循環して世界に到達させるに至る。

 大アルカナの22枚がすべてつながっている、というのは、このことから来ているのだそうです。

 無であることが、同時にすべてである。

 世界と愚者は、同じものを違う側面から示しているのかも知れないな、と思ったりします。まさに、スノウとホワイト。切っても切れない双子の存在のようですよね。

 誰よりも多くの知啓を持ちながら(時折未来さえ知りえながら)、明確に溝を生んだ世界と愚者になってなお「ふたりでひとつ」と自らを言い続ける彼ら。もしかして、この世界自体が彼らの予言という名のおとぎ話だったりなんかして……なーんて、彼らの動向から今後も目が離せませんね。

声を大にして言おう。

この双子、こわい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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