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たいていのことは、どうにかなる。

子どもたちを見ていると思う。

たいていのことは、どうにかなるのだと。

トランペットのレッスンにマウスピースを忘れても、先生が快く貸してくださったとか。

初日のギターのレッスンに遅れても、チューナーの電池が切れていても、レッスン時間を延長してもらい、チューナーを貸していただ上に、もしギターを忘れてもありますからね、とまで言っていただいたり。

お弁当を忘れていっても、誰かがお弁当を分けてくれた、とか。

帰りのバスに乗り遅れて歩いていたら、知り合いが乗せてくれて送ってくれた、とか。

鼻水を拭くティッシュがなくても、イタドリという大きな葉っぱで拭いたよ、ゴミにもならないし、いいんだよね、とか。

他にも、子どもたちから、後から聞く、あんなこと、こんなこと。

ええええぇ~!!!そんなことになってたの?!と驚くこともしばなのだが、子どもたちはどこ吹く風だ。

子どもたちは、何か起きても、自分でなんとかしたり、周りの方にも助けられ、なんとかなっている。ちっとも困っていない。最終的には、「終わりよければ全てよし」的な。うん、ホントにそれでいいのだな~と思う。私は、そんな子どもたちの姿を見るのが好きだったりする。

何かと大人は先回りして心配し過ぎているのだなぁと思う。先を読んで、困らない様にしていたりする。人に迷惑をかけないように、かけないようにとしてしまう。人生経験がちょっと多いばかりに。むしろ、困ったことで、自分で考え工夫し、なんとかするし、なんとかできるようになるのだろう。先回りしてしまうと、子どもたちの育つ力を邪魔したり、自分でできることに気が付かないことになるのかもしれない。

日々、私も、子どもたちも、誰かに助けてもらっている。そして、その存在を感じて育っていくということは、無意識に「自分だけで生きているわけではない」という感覚につながるのかな、と思う。

なんでも出来るように育てなくては、とか

人に迷惑をかけないように、とか

こいういう言葉たちは、子どもたちの育ちに、負荷をかけるなぁと思う。

大人になった現在でも、出来ないことはたくさんあるし、きっと知らずに迷惑をかけていたりもすると思う。どちらかといえば、大人の方が子どもたちに迷惑をかけているんじゃないかとさえ思っている。

出来ないことがあっても、自分が本当に必要で困ったと思えばなんとか工夫したり時間をかけてやる。

出来ないことは、誰かに教わったり、助けてもらう。

そして、お互いの存在を感じている。

子どもたちはそんな風に暮らしている。

そんな感じでいいんじゃないかと思う。

いつもお世話になっている、みなさん、ありがとうございます。



学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!