見出し画像

「沈黙」という有効な選択肢。

人と関わっていると、「気になるけど、言いにくいなぁ・・・」「伝えた方がいいかもしれないけど、どうしようかな・・」と思うことはありませんか。

私も、時に、そんな場面に遭遇することがあります。

そして、そんな時は、ちょっと立ち止まり、「そもそも、それって、本当に言わなくちゃならないのかなぁ・・・」と思うことが多いです。

今まで、「自分の正しさ」を証明するために、相手に伝えようとしていたこともあったと思います。

「自分の知っていることを、教えてあげたい」とか「これは、有効な情報だから」とか。

それを相手がそれを求めていれば、需要と供給が合致する事もあるのだと思うのですが、一方的になってしまうと、結局は、「自分の正しさの押し付け」になってしまうんじゃないかと思うようになりました。

自分以外の人は、当然ながら自分と違う価値観の中で生きています。

今は、「無理に誰かの扉をこじ開けるようなことをするのも、どうなんだろう?」と立ち止まり、何か言いような気分になったときには、「とりあえず、沈黙する」という選択することが増えたような気がします。

私の場合は、「伝えなくては!」などと意気込むような時というのは、「親切」という名のおせっかいであったり、自分の正しさを示したい気持ちであったり、あまりにも自分と違う価値観に驚き、相手に対する想像力が働かなくなったりしている時だったりするのです。

「それって違うんじゃない?!」みたいな気持ちになり、何らかしらの意見をしたくなる・・・でも、静かに考えると、それは、自分の狭い視野の中でのジャッジであり、自己満足でしかないんだろうなぁ、と思うのです。

後になって思い返した時、「あの時、言って良かった」よりも、「言わないで良かった」ということが多く、時間が経って、お互いにもっと違う心情でその時の事を笑って話せるタイミングが来ることがあります。

「今は、言いたくないなぁ・・・」「伝えにくいな・・・」という、自分がその時、理屈でなくそう感じているのだとしたら、それを大事にする。

それが、「相手に伝える必要があること」であれば、無理して伝えなくても、不思議と自然にそのタイミングはやってくるのです。

仕事上、言いにくい事柄でも、どうしても言わなくてはならないことも、時にはある。そんな時は、「自分にも、相手にも、誠実に在ることができる伝え方」を考えることを大事にしたいと思っています。

沈黙は、ひとつの有効な選択肢。

「言うこと」より「あえて、言わない」を選ぶこと。

沈黙という選択肢があることは、自分に考える時間と心の余白を作ってくれると思います。

学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!