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方言から迫る「た」の本質!【「た」と東北方言《後編》補足】

オッス、オラしょうじ!
前回の【カタルシス方言文法】、見てくれたか?
おでれぇたな。方言の話が出てこねぇうちに終わっちまった。
今回は急いで話を進めなきゃなんねぇ。
でもよ…相手はトーク力お化け、散らかしまくる水野さんと堀元さん。
ホントにぜんぶ話せんのか……?
へへ……こんなやばいときだってのに、わくわくしてきやがった……!
それじゃあ、行くぜぇっ!!

というわけで、今回も始まりました。【カタルシス方言文法】! 前回の記事に書いたように、前編では基本となるテンス・アスペクトの「た」について丁寧に説明し、後編で東北方言の話をまとめてしたいという考えがあったので、計算通りだったとは言え、内心はちょっとドキドキでした(笑)。ですが、無事に話し終えられてよかったです。

伏線を一気に回収していくことで、皆さんにより大きなカタルシスを味わっていただく。その狙いが果たされていればと思いますが、いかがだったでしょうか? この記事では、第2回の動画について補足します。動画の視聴がまだの方は、こちらからご覧になった上でお読みください。

【「た」と東北方言《後編》】

東北方言というレンズを通して「た」を見る、そんな内容でお届けした後編。東北方言には、多様な意味を表すオールラウンダー「た」に加えて、〈過去〉に特化したスペシャリスト「たった」が存在し、その用法を見ることで、「た」の本質に迫れるという話をしました。バラバラだった点同士を繋ぐ=「コネドる」をキーワードとして掲げている僕のゲスト回。今回も色々な点をコネドりました。ポイントを簡単にまとめておきましょう。

  1. 尾上圭介先生の分類では、6つの意味のうち「確言」に4つもの下位分類。
    ⇨動作性の述語のものは〈完了〉に入れ、〈発見〉と捉え直そう。

  2. モダリティの「た」の〈発見〉〈要求〉と〈想起〉は、認識の側面における〈完了〉と〈過去〉。事態の側面における捉え方を転用したもの。
    ⇨『ジョジョ』第4~6部の主人公とすると、親子関係でたとえられる。

  3. 「たった」は、モダリティの「た」の意味のうち〈想起〉しか表さない。
    ⇨テンス・アスペクトの「た」との対応関係に関する仮説が検証可能。

それでは以下、動画の内容についての補足をしていきます。


東北方言も色々

一口に「東北方言」と言っても、その内実は様々。地域ごとに異なっています。〈過去〉のスペシャリストとして紹介した「たった」は、東北地方全域で使われているわけではありません。『方言文法全国地図』で「いた」「行った」の方言形の分布を示した190,196,197図を見ると、主に太平洋側の青森県東部・岩手県(旧南部藩領)から福島県にかけて、さらに秋田県、山形県内陸部、北関東などにも「たった」が分布しています。これらの地図は国立国語研究所のホームページで公開されているので、詳しい分布が知りたい方は、そちらをご参照ください。

【方言文法全国地図PDF版ダウンロード】
https://www2.ninjal.ac.jp/hogen/dp/gaj-pdf/gaj-pdf_index.html

また、動画の4:22で、東北方言の「たった」は「てあった」から変化したものだと言いながら、語源の話は割愛するとしました。この「てあった」は、青森県西部(津軽地方)・秋田県北部で今も使われています。津軽方言のうち青森県弘前方言の例を見ましょう。

  • さきた(さっき)部屋さ行った時、太郎、宿題してあった。

ここでは、「してあった」標準語の「していた」に相当する意味を表しています。この用法は、今回見た「したった」の用法と大きく異なりますね。「したった」について、南部方言のうち岩手県遠野方言の例を挙げます。

  • 太郎、宿題したった。それがら、風呂さ入ったった。

ここでは、「したった」標準語の「した」に相当する意味を表しています。前回の記事をよく読まれた方は、「してあった」が〈過去〉の〈継続性〉、「したった」が〈過去〉の〈完成性〉を表すということがお分かりになると思います。東北方言のテンス・アスペクト体系は、このような「してあった」「したった」の位置付けによって、大きく津軽方言型と南部方言型に分けられます。僕は、南部方言型の体系も元々は津軽方言型の体系で、そこから変化したと考えています。つまり、「したった」は元々「していた」という意味(〈過去〉の〈継続性〉)を表していたが、そこから「した」という意味(〈過去〉の〈完成性〉)を表すように変化したということです。ちょっと不思議な感じがしますね。

今回、「た」と「たった」は〈完了〉を表すか否かで異なるという話をしました。「た」が〈結果状態〉→〈完了〉→〈過去〉の順に意味をシフトさせていったという前回の話を思い出してください。「た」が〈完了〉(現在と関係付けられた過去)を表すのは、大元の意味である〈結果状態〉が捉えていた現在の状態を引きずっているからです。同様に、「たった」が〈完了〉を表さないのも、大元の意味(〈過去〉の〈継続性〉)の特徴を受け継いでいるからだと考えられます。また、「た」と「たった」には、今回話した以外の違いもあります。両形式の詳しい違い、それと大元の意味の関係はどうなっているのか。とても面白いところなのですが、それを書くには、このnoteは狭すぎる(笑)ということで、興味のある方は、下記の論文1をお読みいただければと思います。

それから、僕とは逆に、南部方言型→津軽方言型の体系変化を想定する研究者もいます。東北方言におけるテンス・アスペクト体系の二タイプの関係と、それに対する相反する二通りの仮説の検討について興味のある方は、下記の論文2をお読みください。

  1. 高田祥司(2003)「岩手県遠野方言のアスペクト・テンス・ムード体系―東北諸方言における動詞述語の体系変化に注目して―」『日本語文法』3-2, 100-116.
    ※【遠野三部作】の第一作。
     第二作は回想表現「け」、第三作は推量表現「べ」「ごった」を扱う。
    https://www.9640.jp/book_view/?288

  2. 高田祥司(2018)「東北諸方言の存在表現とアスペクト・テンス」岡﨑友子・衣畑智秀・藤本真理子・森勇太(編)『バリエーションの中の日本語史』3-21, くろしお出版.
    https://www.9640.jp/book_view/?766

以上のような地域差はありますが、動画とこの記事では、大きくまとめて「東北方言」と呼んでいますので、ご承知おきください。以降、東北方言の例を挙げる際、僕が調査研究を行ってきた岩手県遠野方言の場合で代表させ、方言による違いがある点については、その都度言及します。

東北方言と韓国語の対照研究!?

日本語の標準語と韓国語を対照するというなら分かるけど、東北方言と…? ちょっと何言ってるか分からない。堀元さんと同じことを思った方、多かったのではないでしょうか。ですが、東北方言と韓国語は、日本語の標準語には見られない特徴を幾つも共有しています

その一例が二種類の過去表現。動画で話したように、「た」と「たった」に類する表現が韓国語にもあります(以下、分かりやすいように韓国語の「た」「たった」と呼びます)。この二種類の形式、〈完了〉を表すか否かという用法はもちろん、成立過程まで「た」と「たった」に似ています。前回の記事で、日本語の「てあり」と同様、〈存在〉を表す語がもとになった形式が〈結果状態〉→〈完了〉→〈過去〉と、意味を変化させていく現象が世界の多くの言語で報告されているという話をしました。実は、韓国語の「た」も「て」に当たる連結語尾に〈存在〉を表す語が付いた表現を起源とし、この順に意味を変化させていったと考えられています。また、韓国語の「たった」については、22:49で水野さんが「『た』に当たる形を2個つなげて作った」と言われていますが、僕は「てあった」に当たる形が起源だと考えています(ただし、韓国語学における定説ではありません)。つまり、韓国語の「た」「たった」も東北方言の「た」「たった」と同様、「て」に当たる形に〈存在〉を表す語の非過去形・過去形が付いた表現から変化して成立したということです。

このように、東北方言の「た」「たった」と韓国語の「た」「たった」は、基本的にとてもよく似ているのですが、細かく見ていくと違いもあります。それをごく端的に言えば、東北方言よりも韓国語の方が「た」の意味が現在に寄っているという点です。どちらも日本語の標準語より「た」の意味が現在に寄っていますが、東北方言では、それが古典語の「ゐたり」に由来する「いだ」などに限られます。対して、韓国語では、動画に出てきた「結婚した」「この子はお父さんを(に)似た」など、色々な述語で「~ている」という(結果)状態を表します(日本語では連体修飾節のみの用法)。「た」が現在の状態に置いていた比重を過去の運動に移していくことで、意味を変化させたことを思い出すと、韓国語の方がその変遷過程においてより古い段階にあるということになりますね。両言語の「た」「たった」の違いについて、ここに詳しく書くことはできないので、興味のある方は、次の論文をお読みください。

東北方言と韓国語には、この二種類の過去表現以外にも色々な類似点があります。上で岩手県遠野方言に関する論文を紹介した際に、【遠野三部作】の一つだとしました。それぞれの論文で中心的に扱ったのは、①過去表現「た」「たった」②回想表現「け」③推量表現「べ」「ごった」ですが、興味深いことに、②と③にも類する表現が韓国語に存在します。③推量表現については、二種類のうちの一つが「ことだ」に由来する点も両言語で共通し、もう一つの形式において韓国語の方が意味が現在に寄っている点が①過去表現と同様だという特徴も見られます。

また、「ゆる言語学ラジオ」の過去回(#25)で、堀元さんが「このボタン、おささってる(押されたままになっている)」のように使われる北海道方言の自発表現「さる」を紹介していましたね。同様の表現が東北方言にあり、それに類する表現も韓国語に存在します。

このように基本的にはとてもよく似ている東北方言と韓国語の微妙な違いについて見ていくことで、系統の大きく異なる言語同士を対照する場合とは全く異なる有益な知見が得られると考えます。動画中で、堀元さんが「そういうジャンルがあるんだろうな」と思っていたと話していましたが、そういうジャンルはありません(笑)。言語間の対照研究は、いわゆる標準語同士で行われるのが普通で、僕のように方言を含む形での対照研究を行っている研究者は、ほとんどいません。それだけにオリジナリティが高いと自負しており、未開の荒野を開拓していく面白さを感じています。

状態性の述語の〈過去〉って…?

続いて、今回の話の中で特に難しかったと思われる部分の説明をします。モダリティの「た」について、尾上先生の挙げられた「確言」の「た」の用例のうち、動作性の述語のものは〈完了〉に入れてしまい、〈発見〉と〈想起〉を状態性の述語に「た」が付いた場合の意味に限定しよう。これが話のキモの一つでした。そのように提案した際、状態性の述語では「事態の時とそれを知った時がズレてくる」と言いましたが、この点が少し分かりづらかったかもしれません。これは「事態そのものは現在も成立しているが、それを知ったのが過去である場合がある」ということです。事態の成立を知ることを「認識」と呼ぶと、「事態成立時が発話時を含み、認識時のみが過去になる場合がある」ということになります。このような場合に、「た」が事態の側面ではなく、専ら認識の側面について過去を表し、〈発見〉(発話時直前に事態の成立を知った)や〈想起〉(過去のある時点で事態の成立を知った)の意味で用いられるわけです。これについて以下、例を挙げながら考えておきましょう。

状態性述語のうち恒常的な事態を表すものは、通常の状況では、事態が現在成立しているので、「た」が必然的に認識の側面について過去を表し、〈発見〉や〈想起〉の意味になります。『ジョジョの奇妙な冒険』第4部「ダイヤモンドは砕けない」にちなんで、次の例を挙げます。

  • ダイヤは一番硬かった。(恒常的事態)

この文は、ダイヤモンドという鉱物について、どれくらい硬いかを調べてそれを初めて知った時の発話や、どれくらい硬かったかなと思い出しながらの発話として用いられます。前者が〈発見〉、後者が〈想起〉の意味になりますね。どちらの場合も、事態そのものは現在も成立しており、同じ状況で「ダイヤは一番硬い」と言うこともできます。ですが、「かつては一番硬かった」という事態の側面について過去を表す解釈は出てきにくいですね。その場合、ダイヤより硬い鉱物が見つかった(実際に見つかっているようですが)、化学的に合成された、などの特殊な状況を想定する必要があります。

これに対して、状態性述語でも一時的な事態を表すものは、事態が特定の時間に釘付けられやすいので、特殊な状況を想定しなくても、「た」が事態の側面について過去を表す解釈が出てきます。次の例を見ましょう。

  • 外は暑かった。(一時的事態)

この文は、「日が暮れて涼しくなったが、さっきまで~」などの通常の状況で、事態の側面について過去を表します。一方、事態が現在も成立している場合に、認識の側面について過去を表すこともあります。外に出ようとして家の戸を開けた時の発話や、冷房の効いた部屋で外の様子を思い出しながらの発話がそれです。前者が〈発見〉、後者が〈想起〉の意味になりますね。

ここまでの内容を、分かりやすいように図を示して整理しておきましょう。

【図1】状態性述語における二種類の〈過去〉

状態性述語の〈過去〉には、上のような二種類の場合があります。【パターン1】は事態の成立が過去(同時に、それを認識したのも過去)である場合、【パターン2】は事態そのものは現在も成立しているが、それを認識したのが過去である場合です。「た」は、【パターン1】の場合には事態の側面についての過去を表し、【パターン2】の場合には認識の側面についての過去、即ち〈発見〉〈想起〉を表す。恒常的事態を表す述語においては、【パターン1】の状況は生じにくく、通常は【パターン2】の状況になるのに対して、一時的事態を表す述語においては、【パターン1】が通常の状況として生じる。このようにまとめられます。

【パターン2】のように、事態そのものは現在も成立しているが、それを認識したのが過去である場合があるというのは、状態性述語だからこそです。状態性述語は、金太郎飴のように均質な状態が続いていきますが、動作性述語は、時間的な展開があるので、過去に認識した事態はあくまでその時点のもので、同じ事態が現在も成立していることはあり得ない。そのため、「た」が専ら事態の側面について過去を表すことになります。ただし、動作性述語でも、「している」の形にして状態化すれば、「た」が認識の側面について過去を表す場合が出てきます

  • 花子、屋上で絵を描いていた。

この文は、「昼休みに~」のように〈過去〉を表す解釈を持つ一方で、そのことを知った瞬間や「花子は今どこにいるの?」と聞かれた時の発話として、〈発見〉や〈想起〉を表す解釈も持ちますね。

「確言」の「た」とされていた用例のうち、動作性述語のものは〈完了〉に入れてしまい、「確言」改め〈発見〉と〈想起〉を状態性述語に「た」が付いた場合の意味と見ることにしたのは、以上のような理由からです。

「け」~もう一人のスペシャリスト~

第1回の動画の冒頭で言っていたように、『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す2』の拙論では、東北方言の過去表現を3つ扱いました。今回は残念ながら、オールラウンダー「た」に加えて〈過去〉のスペシャリスト「たった」がいるという話しかできませんでしたが、東北方言にはもう一人、「け」というスペシャリストがいます。「け」については、またの機会に詳しくお話ししたいと思いますが、ここで簡単に紹介しておきます。岩手県遠野方言を例にとりましょう。

遠野方言の「け」は、「た」が持つ6つの意味の中では〈想起〉だけを表します。〈想起〉の用例としては、次のようなものがあります。

  • 山口、確か歌、{うめがった/うめがっけ}な。[うまかったな]

「た」に加えて「け」が用いられることが分かりますね。遠野方言では、形容詞の場合に「け」が連用形に接続しますが、他の東北方言の多くでは、「うめっけ」のように終止形に接続します。この「け」は、標準語で「昨日はあいつ、ビール5杯も飲んだっけ(な)」のように用いられる「け」と同じものですが、標準語の「け」が独り言的な文で用いられるのに対して、東北方言の「け」は伝達文でも用いられる(例:あいつ、5杯も飲んだっけよ)という点が特徴的です。

さて、「た」は〈想起〉の他に〈発見〉も表しますが、「け」は〈発見〉を表す用法を持ちません

  • 山口、歌、{うめがった/*うめがっけ}の![うまかったの]
    *:文法的に容認されないことを示す。

このように〈想起〉は表すが、〈発見〉は表さないという点で、「け」は「たった」と似たところがありますが、遠野方言では、両者に次のような違いが見られます。

まず、「たった」が動詞述語にしか用いられないのに対して、「け」は述語の種類を問いません。上で見た形容詞述語の〈想起〉の場合に「うめがったった」は用いられません。逆に、動詞述語の場合は、「た」に加えて「たった」と「け」の両方が用いられます。
※形容詞述語の〈想起〉の場合に「たった」が用いられる方言もあります。
 興味深いことに、そのような方言では「け」が用いられません。

  • そう言えば、井手、100m11秒で{走れだ/走れだった/走れるっけ}。

また、「たった」が事態の側面について過去を表せるのに対して、「け」はそれができません
※山形県の方言では、この場合にも「走れるっけ」が用いられます。

  • 井手、昔、100m11秒で{走れだ/走れだった/*走れるっけ}。

ここから、「たった」は「た」と同様、事態についての捉え方を認識の側面に転用して〈想起〉を表しているのに対して、「け」は専ら認識の側面について過去を表す形式だとすることができます。言うなれば「認識の側面の職人」、生粋のスペシャリストですね。

このような「け」の機能は、その出自に関係していると考えられます。「け」の元々の形、何だと思いますか? 実は、古文に出てきた過去の助動詞「けり」なんです。動画で、「た」が古文の完了の助動詞「たり」に由来するという話をしましたが、同様に「け」は「けり」に由来するんですね。「けり」の意味は過去以外にもう一つありましたが、憶えていますか? そう、詠嘆ですね! 「けり」が表すこの詠嘆、ただの詠嘆ではありません。

  • 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける

百人一首・35番、紀貫之の歌です。ご存じの方も多いでしょう。ここでは、梅の花が昔と同じ香りで匂っていることに、その場で初めて気づいたという感動が表現されています。その意味では、「にほひける」を「匂っていることだ」と訳すよりも「匂っていたんだ」と訳した方がしっくりきます。「けり」が表すのは、ただの詠嘆ではなく、今まで気づいていなかったことに気づくことで生まれる驚きなんですね。気づきの「けり」と呼ばれます。

このような「けり」の詠嘆、気づきの意味、何かに似ていると思いませんか? そう、「た」の〈発見〉の意味ですね! 古典語の「けり」は〈発見〉に似た意味を表す用法を持っていたのですが、現代の遠野方言の「け」は〈発見〉を表さず、〈想起〉のみを表します。〈発見〉と〈想起〉は、それぞれ認識についての完了と過去でしたね。「た」は、事態の側面において、現在の状態から先立つ運動へと、徐々に比重を移していくことで、〈完了〉→〈過去〉と意味を広げたという説明をしました。これと並行的に、「け」は認識の側面において、〈発見〉→〈想起〉と意味を広げたのではないかと考えられます。その後、遠野方言の「け」は、〈発見〉の意味を切り捨てて〈想起〉だけを表すようになり、標準語の「け」は、さらに認識の獲得を表さなくなって(東北方言の「け」は、上記のように獲得した情報を伝達する文でも用いられます)、認識を獲得しようと記憶の検索を行っている最中にのみ用いられる(例:あの本、誰に貸したっけ)ようになっています。現在と繋がりを持っているところから、次第にそれを希薄化させ、過去に比重を移していくという変化が、「た」と「け」のどちらについても見られるわけですね。

「け」について、もっと深く知りたい方は、『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す2』の拙論をお読みいただければと思います。この論文集、興味深い論考が盛り沢山。併せて読むことで色々な気づきがありますよ!

これも話したかった

今回取り上げられなかったのは「け」の話だけではありません。実は、【カタルシス方言文法】として台本を準備していた話には、東北方言から見る「た」の他にもう一つありました。題して「それ、方言にも『あるよ』!」(「あるよ」はドラマ『HERO』の田中要次さん風)。元々【カタルシス方言文法】は、「ゆる言語学ラジオ」の名物企画【カタルシス英文法】の向こうを張って立ち上げた企画。水野さんが英文法についてやっていた「色々なことを一つの本質で括る」、同じようなことが方言についてもできないかと考えたところに端を発します。それをさらに推し進めて、【カタルシス英文法】と【カタルシス方言文法】をコネドっちゃおう。そんな話です。

方言に見られる、標準語にはない意味の表し分けの中には、むしろ他の言語に通じるものが沢山見られます。今回取り上げた東北方言の「た」と「たった」の違いは、英語の現在完了形と過去形の違いに通じますよね。そこで、【カタルシス英文法】で以前出てきた表現とよく似た特徴を持つ方言の表現について話をしよう、そう考えました。具体的には、次の3つの回に出てきた英語の表現に類する方言の表現を取り上げる予定でした。

  1. 「進行形にできない動詞」は進行形にできる(#8)

  2. 仮定法(#9,31,32)

  3. 助動詞[可能を表すcan, be able toなど](#23,24)

このような話をしようと考えた理由としては、水野さんが「ゆる言語学ラジオ」の想定する対象を高校生(高校時代の自分)としていたということがあります。今まさに英語を勉強している高校生に、英語によく似た表現が方言にもあるんだと知ってもらうことで、英語と日本語の双方に興味を持ってもらいたい。そんな思いがありました。

今回は残念ながら話せませんでしたが、近いうちにどこかで話す機会があればと思っています。

してやったり

最後に、手前味噌ですが、今回の説明で美しかったと悦に入っているところを3つ挙げたいと思います。

1つ目は、〈発見〉〈要求〉と〈想起〉はそれぞれ、認識の側面における〈完了〉と〈過去〉であるとし、テンス・アスペクトの「た」とモダリティの「た」の繋がりを極めてシンプルな形で示したところ。尾上先生の説明では「付きまとう気分が独り歩きして…」とされていましたが、そのようなことを介さず、両者が直接繋がりました。「た」の意味は、つまるところ〈過去〉と〈完了〉の2つで、それを事態と認識のどちらの側面について表しているかの違いに過ぎないということですね。前回、僕ほど「た」が好きな人間はいないと言った時に、名字の3分の2が「た」だからと言われました。職業や性格に似つかわしい名前「アプトロニム」だ!と思った方もいらっしゃるのでは。ですが、そこにとどまりません。結局は〈過去〉の「た」か〈完了〉の「た」だという今回の説明。「た」か「た」……「たかた」!! ここまでいってこその「アプトロニム」ですよ(笑)。ちなみに、〈完了〉は「現在と関係付けられた過去」で、過去の事態を捉えている点では〈過去〉と共通するので、〈過去〉という1つの意味で全ての意味を説明することもできると思います。定延利之先生などは、実際にそのような説明をされていますね。ですが、僕は「てあり」が捉えていた現在の状態を引きずり、過渡期的な様相を見せていることが「た」の本質だと考えるので、〈過去〉と〈完了〉の2つを中心的な意味として認めています。二面性を持つ人の魅力ってありますよね。(ギャップ萌え?笑)〈過去〉だけで全てを説明しようとする立場について知りたい方は、次の論文をお読みください。

続いて2つ目は、〈完了〉―〈発見〉、〈過去〉―〈想起〉の対応関係を前回と同様、『ジョジョの奇妙な冒険』でたとえたところ。「ゆる言語学ラジオ」グッズの「た」オルの配置順に各部の主人公を当てはめていくと、親子関係がぴったり一致する。気づいた時は興奮しました(笑)。『ジョジョ』を履修していない方は、話の流れを追うのが大変だったかもしれませんが、編集時にジョースター家の家系図を入れていただいたので、分かりやすくなっていたと思います。(ありがとうございます!)ここでも簡略化した図を使って、もう一度確認しておきましょう(①~⑥の番号は、それぞれの人物が第何部の主人公かを示す)。

【図2】ジョースターの系譜と「た」の意味の対応

ちなみに、堀元さんが「俺が好きな7部は出てくるかな?」と言われていましたが、その構想、実はありました。でも、それを話すと、『ジョジョ』の重大なネタバレになってしまう。今回は扱いませんでしたが、モダリティの「た」の意味には〈反実仮想〉もあります。『ジョジョ』は第6部の最後に起こった出来事によって、第7部以降は……おっと、ここまでにしておきましょう。どんなストーリーになるか想像してみてください。

そして3つ目は、〈完了〉―〈発見〉〈要求〉、〈過去〉―〈想起〉の繋がりを、東北方言の「たった」の用法を見ることで明確な形で示したところ。標準語を見ている限りは仮説に過ぎなかったことに、しっかりした裏付けが与えられた瞬間。今回のハイライトは、何と言ってもそこだったと思います。堀元さんが言われていたように、自然科学をやっている人にとって人文科学は、どうしても実証性に乏しく、“言ったもん勝ち”という印象がありますよね。研究者ごとに独自の用語や概念を使って、場当たり的な説明を行っていると見られがちです。だけど、科学と名の付く以上、客観的な証拠を集めて、反証可能性を担保しながら仮説を検証する必要がある。それが可能であることが示せたと考えます。「説得されるってあるんですね」という堀元さんの言葉を聞いて、心の中でガッツポーズしました。

標準語と方言を比較することで、日本語、ひいては言語の本質に迫れる。最初の記事にそんなことを書きましたが、決して大げさな言い方ではないことが分かっていただけたのではないでしょうか。ことばの多様性を残すために、方言の調査・記録が必要なことはもちろんですが、方言の研究には、それを超えた意味があります。方言には手つかずの金脈が沢山眠っている。皆さんも自分の方言に目を向けて、どんな特徴があるか考えてみてください。もしかすると、言語学の重要な問題に繋がる何かが潜んでいるかも。面白いことを見つけたら、ぜひ教えていただきたいです。

旅は続く! 次は…?

さて、前後編2回にわたってお送りした【カタルシス方言文法】、お楽しみいただけたでしょうか? 堀元さんには「『た』1個でこんなにしゃべるかね」と言われましたが、内容を厳選してお届けしました(笑)。底なしの「た」沼。今回お話しできたのは、魅力のほんの一端。その先には、さらに深遠な世界が広がっています。

決して取っつきやすい内容ではなかったでしょう。ながら聞きで楽しんでいる方には不向きな回だったかもしれません。ですが、「ゆる言語学ラジオ」のリスナーさんには、ファスト教養を求める方より、むしろじっくり腰を据えて物事を考えるのが好きな方が多いと感じています。1回聴いてよく分からなかったところは2回、3回と聴いてみてください。興味が湧いた部分について、ご紹介した参考文献、さらにその参考文献に当たって、理解を深めていってください。知識そのものではなく、学びのきっかけを提供するのが僕の目指すところ。皆さんが自分なりにあれこれ考えていく探究の扉を開くことができたなら、こんなに嬉しいことはありません。

幸い時間はあります。次に僕のゲスト回の動画が公開されるのは、しばらく先。それまで、今少し「た」沼で遊んでいただければ。その後、新たなテーマでお話ししていく予定です。題して【カタルシス古典文法】。「うわっ」と思った方、ご心配なく。そんなあなたのための企画です。高校の古文で「これはこういうものだから憶えるように」と言われ、納得感のないまま丸暗記した知識。それについて、なぜそうなっているかを説明しながら、バラバラになっている知識をコネドっていきます。英語の表現に類する方言の表現を取り上げることでしようと思っていた高校生対象の話。ここでリベンジができればと(ただし、受験の役には立たない)。加えて、古文アレルギーの大人の方を対象とした話でもあります。

次回【カタルシス古典文法】「活用形の謎を解く」。絶対見てくれよな!!

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