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1か月ぶりの連休(しかも3連休)を前に、天啓を受けたかのように突如として旅に出ようとひらめき、思いつくままに新幹線の片道チケットを取った。


ずっと行きたかったuntitled coffee。開店1周年のその珈琲屋にコーヒーを飲みに行こうと思った。会いたかった人たちに会いに行こうと思った。


山口県の山あいの小さな街にあるその店舗にどう行ったらいいのか。そもそも山口に降り立つのは初めてでそこがどういう土地なのか全くわからないまま。


出かける数日前にホテルと車の予約をして。まあまあ多忙な夜勤が明けたその足で品川駅へ向かい新幹線に乗った。


在来線に乗り換えて県内の温泉へ。ディーゼルエンジンの響きと振動に揺られながら。寝落ちしそうな瞼を開いて車窓をのぞくと連なる低山がゆっくりと後ろに流れていく。


長閑な風景を眺めながら。


これは人に会うための旅だな。そう思っていた。


未知のウイルスが広がり始めた2020年春。自宅に閉じ込められた人たちと音声SNSで一緒にわいわいと楽しく過ごした。そこには人とのつながりを大切に想う人たちが集まっていた。

※当時のことを振り返ったnote↓


お互いを尊重し合う空気感がそこにはあった。優しくも魅力あふれる人が多かった。声だけの繋がりだからこそ相性の合う人たちを見つけやすかったように思う。


しかしながら。コロナをきっかけに出会って仲良くなった人たちと。コロナのせいで会いたくても会えない。遠方に住む人たちとはそういう状況が2年近く続いた。


ウイルスとの共生の流れが定着し始めた今秋。突如旅に出たのはそうした思いが募っていたからかもしれない。


そんなことを考えながら。


車を走らせ、待ち合わせたローカルな駅に向かう。夕方の無人の駅。たまたま列車が到着した頃合いだったようで。いくつかの車と、まばらな人たちがぱらぱらと駅から出てくる。


見知った顔を見かけて声をかける。乗って来たその人を見て、大人になったなとふと思う。自然な魅力をふりまき愛されていたその人は、大人の魅力をもつ人へと変わりつつあった。2年はそれほどに長かったのだ。

夜の帳が下り始めた山間の高速道路をひたすらに走る。untitled coffeeの店舗がある街のローカル線の最寄駅に着く。まだ宵も始まったばかりの駅前に人はほぼいない。


商店街というには人も店も灯りもまばらな路にひっそりとその店はある。店名の看板はなくただ「珈琲」と書かれた石がポツンと椅子に置かれている。

untitled coffee。国家試験を乗り越えて就職して。間もなく挫折を経験して。自分の夢を実現するために走り出した彼を性急ではないかと嗜めた。


その記憶を恥じるほどに立派な珈琲店だった。彼なりの魅力をぎゅっと詰め込んだ空間にただひたすら癒された。


3人でしばらく話した。まるでこの2人と出会った2020年当時の音声SNSのわいわい感が戻ったようで楽しかったし嬉しかった。この2年はどうだったか。そう尋ねるのは野暮な気がして。ただその空間を楽しもうと思った。


思ったのだが。薄暗い店内の灯りに揺れる焦茶色の液面を眺めながら。自分のこの2年はどうだったろうと考え始めた。


いろんな別れを経験した。


コロナにかかった肺を守るために全身麻酔でずっと寝ていたあの人は。治療の甲斐むなしく肺はどんどんと硬くなっていき。酸素を取り込めなくなった体は心臓を動かすことをやめた。


また別の人は。コロナによる免疫の暴走で肺のみならず心臓もダメージを受け。全身の臓器が弱っていき、そして息を引き取った。


感染してもいいので会わせてください!そう叫んで食ってかかってきた家族もいた。結局死に目に会えず悲嘆して帰っていたあの家族はどうしているだろうか。


ガラス越しに無言でそっと見守っていた妻と娘は何を思いながら、人工呼吸器に繋がれ管だらけになった夫・父を見つめていたのだろう。


本来ならその時に亡くならなくてもよかった世界中の650万という途方もない数の命をコロナは奪った。それ以上の数の家族の心を傷つけた。


我々医療スタッフも未知のウイルスに恐怖していた。最初の陽性患者が搬送されてきた時。皆無言だった。その後は怯えを隠すように多弁になった。


いま。恐れられたウイルスは未知のものではなくなり、ワクチンが普及することで共生の流れができ、その中で重症者は減り、ICUで看取る機会も減っていった。


2年。いや3年か。長かった。本当に長かった。辛かった。泣きそうになったことは何度もある。


プライベートの付き合いが制限されたその時期に支えになったのは。音声SNSでの出会いと交流だった。特に2020年の初の非常事態宣言下で出会った、さまざまな魅力的な人たちとの関係性に。間違いなく。支えられていた。


いま向かい合っておしゃべりに興じる2人もまたそういう存在だ。大事にしよう。改めてそう思った。


瞬間的にそこまで考えて、ふと気づく。

人に会うための旅だと思っていたが実はそれだけでなく。自分の心の区切りのためでもあるのだと。あの衝動はそういうことだったのかと腑に落ちた。


2年は本当に長かった。一緒にコーヒーを飲みながら歓談する2人が大人の魅力をまとうほどには時間が経った。その長い時間の中で。会えないままに関係が絶えた人もいる。


でも。こうして楽しく同じ時間を過ごせる関係の人が幾人もいる。ありがたいことだと思う。支え支えられたそれらの人たちと、これからも楽しく過ごしていきたいと願うのは贅沢だろうか。


だから、自分も少し努力してみようと思う。同じ空気感は作れないのは間違いないけれども。これからは少し配信をしてみようか。あの頃の優しい世界をもう一度体験できたなら。そう思う。


帰りの新幹線。旅の終わり。寂しい気持ちはあれども、ここに至るまでの自分とは明らかに気持ちが変わっている。溜まっていたものが流された気持ち。


コロナは最悪な爪痕を残していったけれども。猛威を振るうウイルスではなくなっていくだろう。臨床にも日常が戻ってきている。失われたものの方が多かったけれど。


でもコロナがなかったなら確実に交差することはなかったであろう、魅力あふれる素敵な人たちと出会えたことを喜ぼう。これからも楽しもう。そう思いながら。駅のホームを滑り出ていく新幹線を見送った。


また、会う日まで。




だて





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