「分娩医」?和歌山県知事の発言に思うこと

「分娩医」って初めて聞いたんだけど、知事の造語? 昔からある言葉かな?? 自分のことは「産科医」って呼ぶけど。。。

 長野県も広いので、和歌山のようにそれなりに広く住民が分散しているような土地柄で、それぞれの地域で妊娠ー出産ー育児を完結させようとすると、なかなか人が足りないという状況は良く理解出来ます。ただ、この30年で周産期を取り巻く環境が大きく変化していることにも理解が必要ではと。
 
 我が家は代々産科開業医でしたが、それぞれの代で産科の環境は大きく変わっています。
曾祖父:農家に次男に産まれて医師を志し、医師になる。一応、産婦人科医を標榜して開業していたが、明治38年に東京帝国大学に産婦人科教室が創立されたことをきっかけに、産婦人科を学び直すために入局、おそらく「産婦人科学」を学んだのはその時が初めて。
祖父:曾祖父の後を継ぐために医学部(医専)に進学。在学中に関東大震災(救護に行った)、卒業後は日中戦争の勃発で軍医として徴用、南海で終戦。 産科医としては太平洋戦争後から本格的に開始。まずは師匠の家で住み込み修業、数年後に独立開業。当時は産婆さんから呼ばれて患者宅にいくスタイル。
:地元大学医局に所属、当時の研究はhCGだったらしい。祖父が体調崩したため(肝硬変;外科医あるある)若くして実家に戻る。その後、産科診療所を建てて、一人産科開業医となる。当時は新生児に何かあれば産科医が蘇生、ダメなら「残念でした」という時代。
自分:大学卒業後、出身大学の産婦人科医局に所属。ちょうど大学病院でNICUが出来た割と直後だった(当然、新臨床研修医制度の前)。なので、NICUの発展と一緒に産科医を続けてきた感じ。

 「周産期」という概念がしっかり確立されてきたのも、この時期に重なっているように思います。 よく「昔は一人でも分娩やっていたじゃないか」という意見を目にしますが、これは自分の父の代までの話しです。なのでこういうことを言う人の多くは60代以上でしょうね。

 「一人で分娩やっていた」
 帝王切開は近所の他の一人開業産科医の先生(もしくは病院勤務の先生)に来てもらって、二人で執刀というのが普通でした。麻酔科医はいないので、自家麻酔(腰椎麻酔)。 前述の通り新生児科医はいないので、産科医が新生児を管理してた。蘇生できなければ「運命じゃ」。
 一人なので、もちろん24時間365日対応です。でも、日曜日にはゴルフに行ったり、夜は飲みに行ったりしていたので、ずっと診療所に籠もっていたわけでは無いです。 急な分娩で呼ばれたりしていました。そんなときも患者さんは「先生、お楽しみのところを申し訳ないねえ」と言ってくれる時代。
 近隣の開業産科医や勤務医の先生に御願いして、1〜2泊ぐらいの旅行に行くことも。なので、全くどこにも行かれないということも無く、自分も父とそういう思い出が全く無い、という訳ではありません。
 これが1980年頃までの産科の様子だったと思います。 「一人で分娩やっていた」 というのは、1980年頃の思い出でしょうね。
 そのころに比べると、周産期医療は高度化しています。胎児診断・胎児治療も進歩していますし、NICUを中心とした新生児医療、CTなどの画像診断や子宮動脈塞栓術のような放射線科を交えた治療、そして麻酔科医による産科麻酔。 多くは1970年代までは無かったものです。
 知事さんの言う「分娩医」というのが、こうしたかつての私の父のような産科医をイメージしているのであれば、それは3〜40年前の医療体制、ということになります。実際に出産する人たちはそれで良いと思っているのでしょうか?地方だからやむを得ない?
 「おらが町でも分娩を」という方は、そういうことをキチンと住民の皆さんに説明しているのでしょうか? その上で、そういう選択をされるのであれば、それはそれでアリとは思いますが。

 一方で、産科医の「偏在」については、また後ほど述べたいと思います。


 でも、もうちょっと続くんじゃ。。。
 産科一人開業の話をしましたが、ウチ(の父)が一人開業が出来たのは、県都で周辺に同様に一人で開業している産科医が多くて助け合うことが出来たこと、近くに基幹病院がありいざという時には短時間で搬送できたことがあります。
 一方、長野県、おそらく和歌山も似たような状況と察しますが、医療圏が広い都道府県では集約化にも限界があってどうしても薄く広い配置になりがちです。その際たるモノが「一人医長」。文字通り、病院で産婦人科医が一人しかいない、という状況です。
 自分が入局した頃はまだ一人医長の病院がいくつかありました。地方の中心都市で無い限り、そういう病院は広大な医療圏をカバーするにもかかわらず人口が少ないため、開業では採算が取れないため病院周辺の開業医も少ないのです。 そうすると、文字通り孤立無援での診療に近い状況になりかねない。
 この場合、一人開業医でも周囲にいざという時に駆けつけてくれる産科医がいる、あるいは搬送を受けてくれる高次病院がある、という状況よりもさらに厳しい環境です。そして病院勤務医は開業医ほど自由度ありませんから、24時間365日対応が必要な産科医療を維持するのは更に大変です。
 ただ、人口が少ないと分娩も少ないので、四六時中不眠不休で働いているわけではないですが、それでもいつ何時でも呼ばれる可能性があるというのは、精神衛生上よろしくはない。
 そして一人医長の厳しい所は、緊急時に相談する相手が少ない(いない)という所にもあります。産科は思わぬ時に患者が急変して生命の危機にさらされることが起きたりしますが、そんなときに一人で全て対応しないといけない状況と、他の産科医がいて相談できるのとでは、プレッシャーが大きく違う。
 看護師の例ですが、ウチは父の時代には一人夜勤。自分の代の途中で二人夜勤にしました。コロナで分娩が減って経営が大変ですが、スタッフは「一人夜勤に戻るのは不安でできない」と言っています。やはり、「もう一人誰かがいる」という意味は大きい。
 自分が僻地病院に赴任したときも、その病院は前年は一人医長で当時の部長が1年間一人で勤めたのですが、さすがに辛すぎて大学医局にもう一人派遣を要請し、自分が任じられたという経緯がありました。

 その状況にとどめを刺したのが福島県立大野病院事件でした。自分の医局でも、あの事件後、一人医長はほぼ全面的に引き上げとなりました。

「昔は一人でやっていた」
 おそらく一人医長がまだ見られた頃のイメージなのだと思います。もちろん、今でも(特に高齢の産科医では)一人医長を厭わず赴任してくださる先生がいます。しかしそれは医師の健康と患者の安全を少しずつ犠牲にして維持されているのだということに行政は思いを致して欲しい。

 そしてもう一度話しが戻りますが、今の周産期医療というのは周産期センターという親亀の上に二次病院・産科診療所や助産院といった一次施設が子亀として乗っかっています。なので、行政がまず維持すべきなのは周産期センターである三次施設でしょうね。
 そして周産期センターから離れた地域については、そこに住む人たちとどこまでの医療レベルを求めるのか、そこをキチンと話し合った上で、医師を派遣するのか、もしくは妊婦さんに周産期センターの方に来てもらうのか、考えていく方が良いと思います。
 あとは広く薄くした場合に、どこまで経営が維持できるかという問題もあります。今後、人口減少が特に地方では進行していく状況で、公金も無限に投入できるわけではなくどこまで医療施設を維持できるのか。これは産科に限りませんけど・・・。

 ただ、おそらくそのあたりは和歌山県なども県立医大などといろいろ相談はしていると思われるので、次の問題としては 「そうは言ってもそもそも産婦人科医の数が足りないのだ」 という所になるでしょう。 で、「産婦人科医の偏在」という話になるわけですが。。。

 少し古い資料ですが、産婦人科医の数についての検討は学会でも過去に為されております。

https://www.jsog.or.jp/statement/pdf/kinkyu_teigen_20141213.pdf

 ここからおよそ10年経ちますので、現在は10年ほどずらさないといけませんが、大きなトレンドとしては女性医師が産婦人科医の多くを占める時代になってきたということです。実際、産婦人科学会総会などでも女性会員の姿が大変多くなりました。
 産婦人科という科の特性上「女性医師を希望」という患者さんは多いですから(それは当然のことと思ってます)、女性医師が増えることはそういうニーズに応えるという点からも良いことだと思います。一方で、男子学生が産婦人科を避けるという向きも出てきますね。
 福島県立大野病院事件は2004年ですが、ここで減っているのは新臨床研修医制度の導入によるものです。大野病院事件の影響も少しはあったかもしれませんが、制度の改変による見かけ上の減少です。
 この時点だと減少傾向があり学会も危機感を表していますが、その後大幅に減少したということはなく、数は何とかキープできていると考えています。 分娩取り扱い医師数は減っていたと思いますが・・・。
 ただ、分娩を扱う医師が減ると同時に少子化も進行していますので、医師一人あたりの分娩取扱件数が大幅に増加しているということは無く、概ね横ばいだったはず。
 ただ、資料を見ると和歌山はこの時点で既にかなり産婦人科医のなり手が少なく、これが変わっていないのであれば、知事さんが危機感を抱いて今回のような対策を講じようとするのも分かります。
 でも資料を見ると、「なり手が少ない」以上に重要なことがあると思いませんか?それは、「40歳前後で分娩を扱う現場から離れてしまう産婦人科医が多い」ということです。 そしてこれは女性医師が増加すれば加速するだろうと学会も考えています。
 なり手を増やしても、30代〜40代で分娩からドンドン離脱してしまうのであれば、ザルに水を汲んでいるような状態で、よほど供給を増やさないと無理ということになります。 まあそういう意見(医師を増やす)もありますね。
 「医師を増やす」という事については、個人的にはやや否定的なスタンスですが、それについてはまたどこかで書く・・・かもしれませんが、今は止めておきます。 とりあえず「産科の現場から産婦人科医が離れてしまう」問題です。
 お産やっていない産婦人科医は何をしているのか? まずは、産婦人科医のサブスペシャリティによる部分があります。産婦人科は大きく分けると 1)周産期(産科) 2)腫瘍(婦人科) 3)生殖医療 になりますが、2)3)に進む医師は一般に分娩から離れてしまうことが多いです。
 父の代ぐらいでは、婦人科良性疾患の手術は開業医でもやってました。自家麻酔で、子宮摘出や子宮脱の手術など。 今は・・・やっていないです。こちらも不足している麻酔科医をどこからか御願いして・・・というのは難しい。
 それに手術は数をやっていないとやはり技術が向上しないと思うんですよね。そういう点では多くの施設で少数の症例を扱うよりは、手術を集約化した方が医師の腕前も向上するし、それは患者さんの利益にもなると思います。
 そうなると分娩やりながら婦人科腫瘍のスペシャリティ、というのは難しい。 同様に生殖医療も専門性が非常に高いので、分娩から離れて・・・というのも分かる。

 一方で周産期の特性はやはり24時間365日対応が必要、というところにあって、それが継続を難しくしている一面は否定できません。夜間休日関係なく分娩があれば対応しないといけない。
 コンビニのオーナーさんもそうでしょうが、24時間切れ目無く人を確保する、というのは相当に大変な事です。そして日本の社会では女性がその任に当たるのはより困難が大きい。
 それはやはり「妊娠・出産・育児・介護」といった部分が、日本では女性の仕事という風潮が強いからですね。(妊娠・出産は男性が代わってあげられないですが) 妊娠・出産・育児・介護をこなしながら、24時間フルタイムで働くというのは、相当大変(たまにこなしちゃう人もいますが)。
 そういうスーパーな女性もいますけど(尊敬)、9人全員が大谷翔平の野球チームなんて作れないです。スーパーじゃない人でも参加可能なチームじゃないと持続しない。
 かつての産科開業医(父のような)は
 
仕事最優先の男性+専業主婦の妻&母&嫁

 で、回していたわけです。開業だと自宅は診療所併設なので、子どもとまるっきり接しないわけでも無い。 でも、勤務医だと病院に出勤しちゃうと家族と接するのは無理ですよね。
 そうなると、特に女性医師では妊娠・出産を機に産科を離れて育児にあてる時間を増やさざるを得ない。ゆるふわ女医・・・というよりももっと切実な現状もあるかと思います。
 だから、その穴を少しでも塞ぐ方策も考えていかないといけない筈なんですよね。そのためには今、産科の現場で頑張っている(特に女性)医師ができるだけ長く産科を続けられるような対策を考えないといけない。 まあ、学会でも指摘していることなので、皆ある程度分かっていることとは思いますが。。。
 ちなみに産科も何年も現場を離れていると、産科の現場に復帰するのは難しくなります。ほとんどは何事も無く終わるけど、時には自分の寿命が縮むような事態が突然起こる、何年も離れていると、そういう怖さの方が勝ってしまうんですよね。これは助産師なんかでもそう言いますね。
 確かに産科をやっていると、勘というか合理的な説明はイマイチ出来ないんだけど、「何だかやばそうな雰囲気」を感じ取って行動し、事なきを得る、なんてこともあります。現場を離れると、そういう勘が鈍るような気がするんですよね。
 だから、今、産科の現場で頑張っている人が細く長く続けられる道を考えないといけないんですよね。。。 これは女性医師対策というだけで無く、男性医師にもメリットがある話しの筈。年齢が上がれば1日おきに当直なんて出来なくなるし、若くてもそういう緩い働き方を選択したい人もいるかもしれない。
 大谷翔平級のチート女性医師や、かつての父のように家庭を顧みずに仕事に邁進できる医師でなければ、24時間365日の周産期医療を担えないというのであれば、その道に進もうという人はそう多くはないでしょう。それは仁徳の問題じゃない。

 細く長く、ですが
1)どれだけ完全オフの時間を作れるか
2)ある程度の報酬
がやはり必要だと思います。 そのあたりの対策も是非とも御願いしたく。
 週に何回かは夜間の分娩やオンコールに対応しつつ、でも収入は休日はフルに休めて夜も仕事から離れられる職種に劣る、となれば、心折れる人が出るのは当然かと。。。
 報酬については、夜間の分娩待機をきちんと夜勤として扱いかつ時間外を計算して支払えば、かなり是正されるんではないかと考えてはおります。なので「和歌山県では産科当直の賃金を正当に支払います」と言えば、かなり効果的では無いかと。( 原資は出産一時金ということになるのですが。)
 労働時間については、「医師の働き方改革」がまっとうに進めば、これもかなり是正されるだろうと思います。 働き方改革で産科は困った、という意見も多いのですが、ある意味チャンスとも言えるのではないかと。
(今なら 「我が県は医師の働き方改革を遵守して適正な労働時間になるように努め、給与については「当直料」等で誤魔化さずに時間外含め基本給に基づきキチンと計算して全額キッチリ支払います」 と宣言すれば、結構医師が集まるのでは。。。)

 とりあえず周産期の労働時間だけに着目して考えると
・ローリスクを扱う施設 医師3名以上
・周産期センター 医師6〜8名
・MFICUは専従者が必要なので、もう1列6〜8名が必要
 ただ地理的条件や適切なシステム構築によって
・医師1〜2名の産科施設
  も想定はできます。
 なお、医師1〜2名の施設は近隣の周産期センターのバックアップが不可欠です。 
 人の配置については、学会でも同様に考えていたと思います。

しかし、地方にはそんな人数おらんのだ!
・・・そうですね。 ただ、地方に人がいないのは産科に限ったことではないです。基本的に転入超過になっているのはほぼ東京周辺。 医者だけがそのベクトルと逆に動く、というのは相当難しい話。。。
 有り体に言えば、その逆転を起こすには経済的なメリットがやはり一番必要なのではないかなと思ってます。そこを「やり甲斐」「仁術」で誤魔化さずに目を向けられるかどうか。
 単に給与を上げるというだけで無く、子ども関連の所得制限を県で補填して撤廃するとか、奨学金もいっそ給付型にしてしまうとか、そういう方策もあるかと思う。
「逆に考えるんだ、ジョジョ!あげてしまってもいいッ」

 個人的には50過ぎたらやはり夜間起きているのはしんどくなってきたので、55歳ぐらいで産科当直から引退できるのがいいなあ、と感じてます。なのでその時に老後資金まで作れるぐらいの収入ならいいな、と。地方の公立病院の産科部長を務めればそのぐらいになる、というのでどうでしょうかね。
 でもやっぱり医者を釣るのには何も年俸何億みたいなバカ高い給与は必要なくて、自身がそこの地域に評価してもらえてる、そういう所も大きいかなと思う。医者の価値を認めてくれている、という地域にはそれなりに希望者がいるんじゃないかなあ。
 あと、やっぱり学ぶことが好きな人が多いので、和歌山県立医大なら論文無料で読み放題とか、地方の病院でも自らの価値を高めることが学べる場所であれば、行きたいと思う医師はいると思う。

 いつも思うんだけど、医師に来て欲しい、というときに、専門医の義務だとか地域枠や産科枠の奨学金貸与で縛るとか、なんか負のインセンティブばかりでなく、もっと医師にとってプラスとなる、正のインセンティブを考えて欲しいなと思います。私の後に続く産科医を志す若者のためにも。

 エラく長くなりましたが、一旦終わり。 お付き合いいただいた方、ありがとうございました。 途中からやや論がとっちらかってしまい、申し訳ない。。。
 特に地方の議員さんや行政担当者の方に、一産科医が思っていることが少しでも伝わればな、と思います。

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