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2019.1.31(木) 柴田英里×千葉雅也×二村ヒトシ 『欲望会議』刊行記念イベント

すごいなと思うのは、このレベルの議論をライブで資料も原稿もなしでやれるってこと。
本にするときに加筆修正したとしても、あの本の内容をこんな感じで議論してたのかと想像すると、これはできないなあと思ってしまいます。

昨日の日記にもちらっと書いたけど、『欲望会議「超」ポリコレ宣言』という本の刊行イベントに行ってきました。
ニコニコ生放送でタイムシフトで見られるようなので、興味ある方はこちらをどうぞ。
最初の15分くらいまでは無料で見られます。

この本、いつ読んだんだっけとnoteを見返してみたら、1月4日に読んでいますね。
千葉雅也さんがリツイートしてくれたおかげで、250ビュー以上も稼いで一番読まれた記事になってしまいました。

このときにどんな感想を書いたんだっけ? と読み直してみると、無意識が失われつつあることと、怒りについて書いていますね。
なるほど、すっかり忘れていました。
こうやって書いて記録しておくの大事ですね。

今回のイベント、開始が19時で終了予定が21時半だったのが、伸びに伸びて22時半過ぎに終了。
3時間半越えのトークライブだったので、途中で気になった箇所をメモしながら聞いていたんですが、そのメモを見返さないとどんな議論が交わされたのか覚えていられないくらい盛りだくさんでした。
この議論も書き起こして本にして欲しいくらいです。

主なトピックとしては、エロとフェミニズム、フェミニズムの保守化、二村さんの傷つき言いすぎ問題、穴と石、意味がない無意味、近代的合理性とファシズム、リベラルとフェミニストの主張の矛盾、ペドフィリアの周辺に現出した絶対贈与関係、傷つく権利と愚行権など。

めちゃくちゃあるな……
これだけの重くて深い話を咀嚼するにはそれなりの時間が必要なので、いま話をまとめるのはやめておきたいところ。
自分なりに吸収して自分の言葉にできるようになったら、また別の形で書くかもしれませんが。

聞いていて面白かったのは、二村さんの傷つきと心の穴の話と、千葉さんの意味がない無意味の繋がるところの話。
「意味がない無意味」は千葉さんの著書で、僕もまだ読みかけで第1章しか読めていないんだけど、「無意味」には「意味がある無意味」と「意味がない無意味」があるということなんですね。

これもまたややこしい議論なので、ここにまとめるのは無理なんだけど、ここで「意味がある無意味」を「穴」と表現していて、「意味がない無意味」を「石」と表現しているんです。
そこで二村さんの心の「穴」と意味がある無意味の「穴」が対応してくる。
で、その無意味の「穴」は無限に発散する意味が流れ込む底なしの穴なんだけど、心の「穴」も欠けた何かをどうにかして埋めようとする底なしの穴なんですね。
そこでそれに対する「石」というのは、ただそのものとしてあるものであって、無限に何かを吸い込むような存在ではないものです。
「穴」を埋めあうことで傷を癒そうとする、穴と穴の関係性とは別に、ただ隣同士に「ある」というだけの、石と石の関係性もあるよねというような話。

頑張ってまとめようとしかけたけど、消化しきれてないのでやっぱり無理があった……
他の話はやめておこう。

「意味がない無意味」は今日1時間ほどカフェで集中して読んで、だんだん興奮してくるほど面白かったので、集中できる時間作って読破したい。
それから「欲望会議」を再読かなあ。
そういえば國分功一郎さんの「中動態」の議論も出てきたんだった。
そっちも読みかけで積ん読になってるので読みたいし。
ううむ、集中力と時間……


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