「グッド・プレイス」から学べる道徳哲学、そして「よく生きる」ということ
これはネタバレを含む記事です。ドラマをこれから見る人、見ている人は読まないほうがいいかも。でもネタバレ気にしないしOKという方は、どうぞぜひ読んでください。
天国と地獄の分かれ道
Netflixオリジナル配信のドラマ「グッド・プレイス」をシーズン4まですべて見終えた。
感想は一言でいうなら『超最高に面白いドラマを見つけられてマジハッピー』である。
1エピソード22分という短さで、道徳哲学をテーマにコミカルに死後の世界を描いた作品。
まず私が面白いと思ったのは、死後の世界における「いいところ」と「わるいところ」への振り分けが、生前に行ってきた全ての行いがポイント化されて集計され、その合計値によって決められるという、すんごいシステマチックだったところ。
神の審判とか、閻魔大王様とか、そういうのがあるのではない。
何百年、何千年も前から同じシステムを使い、コンピューター的な何かの無機物的な存在が人間の一生に対して勝手にポイントをたたき出す。
シーズン1や2くらいまでは、「いいところもどき」の「わるいところ」つまり地獄に堕ちた人間たちが、死後に道徳哲学を学ぶことによってどんどん成長し、「いい人間」になっていく。
そのなかでも面白いのは「いいところに行きたいから学ぶ」という不純な動機ではポイントは稼げないということがハッキリ描写されていること。純粋な気持ちで、心から生前の自分の行いを反省し「いい人間になりたい」と願い勉強しはじめたことによって、主人公たちは成長し、やがてマイナスだったポイントをプラスにしていく。
何度も名前が登場するカントは「正しい」とはいったいどういうことなのかを一生考え続けた人で、作中でもなにが「正しい」のかを考えさせられる場面がいくつも登場する。
簡単に口にする言葉だけど、「正しさ」の定義は難しいなと改めて思った。
そして、その「正しい」行いをするときの動機が不純だったなら、それは「正しい」ことにはならないのか?それでも、正しさの先に誰かが救われているのなら、それは「正しい」ということにならないのか?という疑問も生まれた。
とまあ、この記事で自分の哲学論を展開する気はないので、「正しさ」を追い求めたい方はカントの著書『純粋理性批判』を読んだらよろしいと思われます。
地獄で学ぶ道徳哲学
シーズン3では善悪ポイントシステムの欠陥を見つけだし、自分の成長だけでなく、友人や家族、他者の成長を促してみんなを「いい人」にするよう主人公たちが立ち回っていく。
そこで人間たちに感化されて人間を拷問する立場であったデーモン(悪魔)が、人間の手助けをしたい、自分も変わりたいと心から思うようになる。
ここがまた面白かった!そのデーモンは、もともとその地獄(いいところもどき)を設計したいわば神的な存在だというのに、そんな『神』が人間に感化されて変わっていくのだから。
でもデーモンにはなかなか人間の倫理や哲学は理解できなかった。有名な思考実験『トロッコ問題』を実写でリアルに再現したりしても、なかなか気づくことができない。
その原因を、主人公エレノアがついに見つける。
『なぜ人間は倫理や哲学、道徳という考えを生み出したのか。それは人間がみな等しく【死ぬ】からだ。死を意識したとき、はじめて【よく生きる】ということを考えられるようになる』と。
デーモンは元々永遠の命の存在だから、その意識がないのだと。
ここが最高にシビレた。
人間は、いつか死ぬ有限の命で、限られた時間を過ごしているからこそ、夢や希望を持ったり、何かを成し遂げようとしたり、「いい人間になりたい」と願ったりするのだ。
本当の幸せとは
シーズン4の最後では、主人公たちは見事に「いいところ」へ来ることができた。
これで最高にハッピーと思った矢先、そんな「いいところ」にも問題が起きていた。
それは、所謂「平和ボケ」のようなもの。
先に「いいところ」に来ていた古代ローマの学者ヒュパティアは、何百年もの天国での生活によってすっかり知性を失い、自らが生前体現してきた「数学」や「哲学」という言葉すら忘れてしまっていた。
彼女は、「望みは何でもかなうし、理論上は楽園なんだけれどね」「でもそんな完璧な状態が無限に続くと、うつろな目で脳がどろどろに溶けたみたいになっちゃうわけ」という。
「いいところ」つまり天国では、望めばなんでも手に入る。コーラも、宇宙船も、猫も、AIが瞬時に呼び出してくれる。どこにだって行けるし、どんなことだってできる。働かなくていいし、勉強をする必要もない。病気やケガをする心配もない。永遠の命なのだから。
ここで、まさにずっと夢見た天国がシーズン1の地獄と同じだと気づく主人公たち。これはまずいと解決策を見出すのだが、そこで登場するのが、あの話。
主人公がデーモンに話した「人を常に死を意識しているから、よく生きようとする」という話だ。
解決策は、天国に【終わり】を設けること。
天国には、文字通り永遠に居続けることができる。
天国の時間の概念は現世とはちがうが、文字通り何百年、何千年と過ごすことができる。
でも、“その時”が来たら、美しい森の中にあるドアをくぐって、天国での生活を終わらせることができる。
天国の住民は、それを聞いて歓喜し、再び生気を取り戻した。
文化的な暮らしをはじめ、もう一度やりたいことをみつけてチャレンジし、かつての家族や友人に再会し、幸せな時間を過ごす。
文字通り、「よく生きる」ようになるのだ。(もう死んでるけど)
そして、時が来ると、そのドアをくぐって消えていく。
そこから先、そのドアを超えた先のことは描かれない。宇宙のすべてを知り尽くしたAIでさえ、その先のことはわからないという。
ここでもう一度、「幸せ」とは何かを考えさせられる。
「幸せ」を感じるためには、そうでないときを知っていなければならない。
「幸せ」が当たり前になってしまったら、それはもう「幸せ」とは認識できなくなってくるからだ。
生まれた時から死へ向かう人間
光と影、男と女、+と-、善と悪、生と死。
この世に対極の性質のものがいくつも存在するのは、それぞれの存在を存在たらしめるためなのだ。
どんなものが悪かを知らなければ、善とはなんなのかを考えることができない。
そんなことを、最終回を見ながら考えていた。
私はうまくいかないことがあると、「なんで辛いことばかり続くんだ」「なんでずっと幸せでいられないんだ」と思うことがあるが、このドラマを見て、その答えがわかった気がする。
人間は生まれた時から、死ぬその日に向かって一歩一歩、歩いていく。
時間は止められない。
生まれたら、必ず死ぬ運命なのが、人間だ。これから先はどうなるかわからないけど。
いずれ脳がデータベースにアップロードされて永遠に生きられるだとか、不死身の体を手に入れるだとか、そんなことが起きたとしても、きっとこの問題にぶち当たるだろう。
死なないことは、=幸せではない。
いつか死ぬことがわかっているから、今を懸命に生きようとする人間。
それぞれの「幸せ」の追求のため、生きていくのが人間。
そんな当たり前のようで、世紀の大発見でもあるような感覚を味わったので、ここに記しておく。
こんな長文を読んでくれる人がいるとは思わないけど、もし読んでくれたなら、あなたは間違いなくいい人間です。これで5000ポイント稼ぎました。おめでとうございます(笑)
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