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Member Interview

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社員インタビューの記事をまとめています。
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#オープン社内報

クライアントからSun*へ入社したCTOsインタビューー答え合わせの機会が多くあるからこそ新しい挑戦ができる

Sun*の中でも数々の新規事業創出に取り組んできたのが、テックチームのリーダー的存在であるCTOsのメンバーです。 重要なプロジェクトの中心を担い、これまで多くのプロジェクトの成功に導いてきた金子 穂積さんと斎藤 幸士さんは、「クライアントから入社」という共通点を持っています。 もとはクライアントとしてSun*と関わり、一緒に仕事をしていたからこそ見えるSun*の「魅力」や「やりがい」についてお二人に伺いました。 当時からベトナムは「日本人のエンジニア気質」を持ってい

誰もが"らしく"活躍できる環境に。中途入社のUnit Managerが語るSun*のPM組織とは

Sun*のプロジェクトマネージャー(以下、PM)は、クライアント企業のサービスプロダクトをリリースに導く要の存在です。現在80人弱のPMがProject Management Pro.Division(以下、PMP)に所属しています。PMは3つのユニットに分けられており、ユニットマネージャー(以下、UM)によって各プロジェクトへアサインされ、開発メンバーと共にクライアント企業の成功に伴走しています。 今回は、PM組織をリードする存在であるUMの杉本さんと佐藤さんにお話を伺い

粒ぞろいのデザイナーが揃うSun*のデザイン組織で働く楽しさとやりがい。「カメレオンのようにロールを変えられる」

クライアントのサービスやプロダクトを成功に導くデザイナーが多数在籍しているSun*。 バックボーンも専門領域も異なる多種多様なタレントが揃し、B(ビジネス)とT(テック)のチームと共創しながら世の中に価値を提供しています。 今回はSun*で働くUXデザイナー / サービスデザイナーの三角 由紀乃さんと、UI/UXデザイナーの狩野 菖さんに、Sun*へ転職を決めた背景や仕事のやりがい、挑戦してみたいことなどについてお話を伺いました。 新しいサービスやプロダクトを0→1で作

“親”というユーザーになり気づいたこと。Sun*で育休を取得して見えた、目指すべき社会の姿

男性社員として初めての育休取得。会社とともに進めたルール整備ー育休を取得されたタイミングと期間を教えてください。 石田: 私は2020年7月から8月と2020年12月から2021年1月の2回、それぞれ3週間取得しました。合わせると1.5ヶ月分の育休を取得したことになります。 南: 2022年の3月から5月の2ヶ月間です。 ー育休を取得することを決めた時、周りの反応はどうでしたか? 石田: 私が育休を取得したタイミングでは、Sun*で育休を取得した男性社員の実績がなかっ

建築もダンスも経験全てがデザイナーとしてのキャリアに繋がった。僕がSun*に新卒で入社した理由

建築の道から外れようと決意明治大学理工学部建築学科で建築を勉強していました。ユーザーにとってどのような建築が求められているのか・使いやすいのかといった、建築におけるUX的なことを考えながら模型を作ったり、4年からは建築の泥臭い部分も知りたいと思い、構造系の材料研究室でプラスチックの建築的影響を研究していました。 3年生まであった設計の授業は一番重たかった反面、最もやりがいのある授業でした。学校や美術館といったテーマに沿って、指定された敷地・面積・構造の条件の下で建築の内観外

グラフィックデザイナーからコミュニケーションデザイナーへ。Sun*で挑戦する”組織のデザイン”

武蔵野美術大学を卒業後、独学でグラフィックデザイナーへ武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科出身で、在学中はテキスタイルデザインを専攻していました。就職氷河期だったこともあり本格的な就活はせず、大学卒業後は独学で続けていたAdobe IllustratorやAdobe Photoshopのスキルを活かして平面のデザインを作る仕事にいくつか携わりました。絵を描くことは子どもの頃から好きでしたし、仕事としてグラフィックデザインに関わる中で、本腰を入れてグラフィックデザイナーとして活

異色のキャリアを積んできた人材がSun*を選んだ理由 ー成長する環境がそこにはあったー

Sun*には、さまざまなキャリアのバックボーンを持った人材が集結しています。2022年1月に入社した嘉戸裕希(かど ゆうき)さんもそのひとり。 学生時代からフリーランスのWebエンジニアとして活躍し、その後もベンチャー企業や大手コンサルティングファームで経験を積んできたメンバーになります。 そんな嘉戸さんに、Sun*へ入社したきっかけや現在取り組んでいる業務、今後のキャリア像について伺いました。 ひょんなきっかけからフリーランスのWebエンジニアに──まずはじめに簡単に

大事にしているのは完成したものを一度”壊す”こと。マネージャーからPMまで、職域を超えるデザイナーの挑戦

デザインの本質と向き合う環境を求めてSun*へ大学では空間デザインをメインで学んでいたので、就活でも最初は空間デザイン関連の企業を見ていました。しかし、業界構造上デザインに携わるための下積みが長かったり、ロールモデルにできそうな先輩社員と出会えなかったこともあり自分の中でしっくり来ませんでした。そこから視野を広げてデザイン業界全般を見るようにした結果、前職であるデザイン制作会社へ入社することになりました。そこではWebデザインの部署へ所属し、アプリやWebサイトなどのUIデザ

ひとつの職能に拘らず、経験したすべてを価値発揮へ繋げる。元COOが語るSun*でのこれから

30歳でプログラミングに触れ、起業へ世代的にインターネット黎明期ということもあり、キャリアを考える上で強く持っていたのが「インターネットに関わりたい」という思いでした。とはいえ具体的にどんな職業があるのかも分からない状態の中、手探りで飛び込んだ会社でインフラエンジニアとして働き始めたのがキャリアのスタートです。そこで6年ほど経験を積む中で、自分の中に変化が生まれていました。インフラ構築ではなく、そこに乗せるコンテンツを作ってみたいと思い始めたことがキャリアにとっての大きな転機

あらゆる体験をデザインするために。私がSun*に新卒で入社した理由。

「変なもの」を作るために大学へ 「変なもの」を作りたいという思いから千葉工業大学工学部デザイン科でUXデザインを学んだ後、武蔵野美術大学大学院造形構想学科クリエイティブリーダーシップコースでビジョンデザインや社会・地域との共創デザインなど、もっと広い視野でデザインを学びました。 そもそも私にとって「変なもの」とは、中学生の時にテレビで見たI/O brushとiPhoneでした。I/O brushは、ブラシの先端についているカメラで読み取った身の回りのもののテクスチャーや色

新しい”何か”に触れ続けるために。フリーランスデザイナーからSun*を選んだ理由

アメリカのデザイン文化に触れ、グラフィックデザイナーにニューヨーク州立大学ファッション工科大学(FIT)にてファインアートを専攻していました。ニューヨークでデザインを学ぼうと思ったきっかけは、実家が阪神大震災の影響を受け、その修繕・改築をしていたときに出会った建築家の影響を受け、ポップアートに興味を持ちました。ポップアートといえばニューヨークということで、FITへ。日々アメリカで生活している中で、アメリカの街並みにあるビル番号にふと目を向けると、日本と違って建物に番地が表記さ

「違いをポジティブに楽しめる」Sun*のエンジニアとして働く醍醐味

好きなコンテンツを守るために法学の道へ早稲田大学法学部で知的財産権法の勉強をしていました。また、Waseda Music Recordsという早稲田大学所属のアーティストの活動を応援する音楽系の企画サークルに所属し、ライブイベントを主催したり、コンピレーションアルバムを作ったりしていました。 僕が小学生だった時、5歳離れた兄が友達から借りてきたMDを色々聞かせてくれたことがきっかけで、いつの間にか僕自身も音楽が大好きになっていました。高校では軽音楽部でバンド活動をしており、

文芸翻訳からデザインの世界へ。私がSun*に新卒で入社した理由。

興味の赴くままに行動した学生時代早稲田大学文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系で主に文芸翻訳を勉強していました。学業の他に、放送研究会に所属して制作チームの中心メンバーとして活動したり、マルタ共和国に短期留学に行ったり、学内で開催されているイベントに参加したり、海外大学の日本拠点で授業を受けたりなど、興味の赴くままに行動した学生時代でした。 たまに知人からすごい行動力だねと言われますが、これは幼少期の習慣が今も続いているからだと思います。小学生の時は、地域で開催している無料

一人一人のワクワクを追求できる環境を創る。30名→200名組織へ成長させる人事の挑戦

コミュニケーションの面白さを実感した営業時代大学を卒業後、新卒でソフトバンクに入社し販売職からキャリアをスタートしました。ソフトバンクでは、セールスアソシエイトとして、店舗での接客などの業務に従事しました。大企業ということもあり、縦割りの構造上なかなか裁量が得られず、もう少し規模の小さな企業で自身のキャリアアップを図ろうと、転職を考え始めました。 その後、リブセンスという人材会社でキャリアアドバイザーと法人営業として転職をしました。当時、ベンチャー企業でまだまだ組織の型やロ