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「〜をした事ないなんて人生半分損してる」というプロパガンダ

苦手な食べ物はなにかと聞かれた時に僕は乳製品と答える。これを答えた時に意外としっくりきてない人が多いようなのでそういう人には牛乳も飲めないし、チーズも食べれない、サイゼリヤのミラノ風ドリアだって食べた事がないと追加で伝える。

すると「え!?じゃあピザも食べれないの?人生半分損してるよ!」と決まって言われる。

全く損はしてないんだけどなぁ。。そう思いながら心の声は出さずに皆美味しそうに食べてて羨ましいとだけ伝えている。そもそも不利益な事が起きていないし、損失を感じた事もない。

美味しいから食べなよ、飲みなよと周囲を巻き込んで苦手な物を克服する瞬間だ、頑張れみたいな機会を作ってくれたプロパガンダのような人達のお陰で幾度となく苦手な物を食べて気持ち悪くなった事がある。
これの方が明らかに僕にとっては損失だ。

同級生の話をしよう。
小中と同じ学校に通っていた同級生でカレーが嫌いな子がいた。その子にとってみたら年に数回ある給食がカレーの日は地獄であっただろう。
当然周りは質問攻めだ。40人いるクラスの中で10人前後はなんで食べれないの?とか聞いてくるので、10回程度嫌いなカレーについて嫌いな理由を答えないといけない。それもある意味地獄だろう。

カレーというマジョリティにウケる食べ物でも嫌いな人だっている。シチューの日は僕も地獄だった。
大衆ウケする食べ物でも嫌いな物は嫌いだし、見たくもないのだ。

ここで厄介なのが好き嫌いがない一部の人たち、彼等には嫌いな物に対して感じているこちら側の気持ちを理解出来ない。勿論、気持ちを汲み取ってくれる人達も沢山いるのだが。
だから「食べてみなよ、人生の半分損してるよ?」と非常に有り難迷惑なお節介をしてくる。もはやお節介というよりハラスメントに近い人だっている。面白がって反応を見て楽しむような気品のない大人も沢山見てきた。

逆に問いたいのだが、無数にある言葉の中で他の形容が出来ず抽象的な「人生の半分損してる」というワードでしか表現が出来ない人達の方が人生の半分以上を損していると思う。なぜなら発する言葉には気品や知能が表れるからだ。そこから関係性が構築されてビジネスの世界ではお金が生まれる。

と、まあここまで誰に対して怒りの感情をぶつけたい訳ではなく今まで言われたことを思い出しながらコラムのネタとして綴ってみたが、最後に述べた抽象的ワードよりも具体的な言葉を使って自分の感情や起きている事象説明などが出来る様になれたらと思う。

写真は上野毛にあるラーメン二郎。二郎を食べた事がないなんて人生の半分損してるぞ?

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