欄外の人物として生きてきた

高校時代の愛読書はガラスの仮面だった。お小遣いなどたかが知れている10代の後半、私がいたクラスでは、なけなしのお金でみんなが集めた漫画や本を貸し借りすることが流行っていた。推しキャラ論争付きのテニスの王子様の貸し借りから始まり、桜蘭高校ホスト部、物語シリーズ、君に届け……など、女子が多いクラスだったので、色んなジャンルが休み時間のたびに、可愛い袋で、小さく折りたたまれたお手紙付きで、読んだら次は○○に回してね〜という言葉とともに交換が行われていた。

私もその交換会の矢面に立たされたことがある。授業の合間の短い休み時間のことだ。隣の席では、マホちゃんとエリちゃんが新しい漫画を貸し借りしていた。私は休み時間が手持ち無沙汰だったので、プリントファイルの整理で忙しそうなふりをしていた。突然、マホちゃんが私の方に体を向けて、「ねえ、どんな漫画が好きなの?」と質問してきた。一大事である。野球部のエースと付き合う大政絢似のマホちゃんが、きらきらした目で私に質問をしているのだ。
2010年代を高校生として生きた私たちの教室には、目に見えてしまうほどのスクールカーストが存在した。かわいいか、かわいくないか。かっこいいか、かっこよくないか。外見がカーストの線引きの大きな要因の一つだった。スクールカーストは三角形が三分割されて、目立つグループ、普通グループ、イケてないグループに自然と分けられていた。マホちゃんは三角のとんがりの先っちょ、切られたすいかでいえば一番甘いところにいる子だった。一方の私は、その三角形のなかにもはいっていない、欄外の人物だった。

こんなきれいな子が、私の好きな漫画について興味を持ってくれている?脳みそが回転しはじめる。とりあえず、ウ〜〜〜ン……と考えこむ声を出し時間を稼ぐ。センスという単語がちらつく。状況から考えるに、つまりマホちゃんは、私が答えた漫画や本が興味を惹くものや話題のものであれば、クラスの漫画貸し借りブームの輪の中に入りませんかと誘ってくれているわけだ。欄外から欄内へ。輪の中に入ってみたい。私も推しキャラについてどこがかっこいいかとか騒いでみたい。思考が高速回転する。今手持ちで持っていて貸すことができる漫画のなかで、みんなの興味をそそるような作品は……ハガレンか?(いやミュウちゃんがみんなに貸してる)ちはやふるか?(お姉ちゃんのものだしこれはまちちゃんがすでにエリちゃんに貸し始めている)BECK……は大人っぽすぎるしバンド漫画はこのクラスの雰囲気にはハマらなさそうだ。マホちゃんが見てくる。さらさらの前髪の下で、返答に時間がかかってる私に対して眉毛が少し困り始めている。

「ガ、ガラスの仮面……が好き」

テンパって絞り出した答えだった。
「ガラスの仮面?聞いたことない、どんな漫画なの?」
「昔の少女漫画で、演劇の……」
チャイムが鳴った。私のなけなしのガラスの仮面プレゼンタイムは、数学の相澤先生の登場とともに終わった。マホちゃんは自分の席で黒板に向き直り、日直の号令とともに授業が始まった。

黒板の数式を網膜に写しながら、頭の中で考えていたのは、ガラスの仮面は完全に悪手だった……ということだった。昔の少女漫画、という言葉を発した瞬間、マホちゃんの眉毛がさらに困るのを見たのだ。高校生という生きものには、瞬発的にわかりやすいものが評価される。オチまでが長いすべらない話よりも一発芸の方がウケるし、衝撃を表すために白目を剥く演劇スポコン漫画よりも魅力的なキャラが溢れる胸きゅん漫画が響くのだ。オーバーヒートした脳みそに、数学の授業は入ってこなかった。マホちゃんの席がある側の右半身が、恥ずかしさの熱でちりついた。

その後、1週間を置いて私はミュウちゃんのお願いによりスラムダンクを貸し始め、なんとかバランスをとることができた。クラス中で貸し借りされたスラダンで、みんな三井に夢中になった。あきらめたらそこで試合終了ですよ、は高三の受験期まで語られる決めゼリフとなった。しかし、みんなにとって心に残るのは漫画で、誰が貸したかはさほど問題ではなかったようだった。それに気がついたときに私に残ったのは虚しさと、31巻のコマの枠外の余白に誰かがつけた折り目だけだった。

大学生になると、古本屋から「聲の形」を買い集めた。なかなか巻数が揃わず、色んな古本屋をめぐって揃えたパッチワークだ。耳が聞こえない女の子と、その子をいじめたクラスメイトと主人公。だれが悪とも言いきれない人間関係がリアルに描かれていた。寝る前にベッドの中で、買ってきた5巻を読む。登場人物がベランダから飛び降りる衝撃的なシーンに息が詰まりそうになったとき、そのページのコマの枠外に、「まだ生きていていいです」というシャーペンの走り書きがあった。
びっくりして、ぱたっ!と漫画を閉じた。生と死が肉薄する場面に、誰かわからない人による意図のわからない走り書きに驚いてしまった。

日が経つにつれ、漫画の内容と切り離して、その枠外の言葉だけが心に立ち上がってくるようになった。登場人物たちの描写に影響しない枠外からのメッセージ。どことなく、なにかに関わりたいのにそうできていないような、切実さが文字に乗っていた。もしや、あれは私と同じ欄外の人物が書いたものではないか、と思うようになった。

教室のなかで、登場人物が描写されていた高校時代の日々。真っ白な欄外から手を伸ばして干渉しようとすると、登場人物を戸惑わせたり、びっくりさせてしまう日々。でも、「まだ生きていていいんです」……走り書きを思い出すたび、高校時代と欄外からの言葉が重なる。

欄外の人物として生きてきた。コマの外の余白がない漫画など存在しないように、私たちには私たちの居場所がちゃんとあって、色んな物語を成立させている。

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