白紙さんぽ

日記を書くぞ、本日起こったありのままを適当に書くぞと思っても、なにか意味あることを書かねば、面白いことを書かねばと握る鉛筆やフリックする指がねばねばと重くなる。書くことってよいしょと意気込みを背ってしまいがち。

これは小学校の作文の授業の、上手いこと言わにゃ先生からの赤ペンが飛んでくるぞ!という記憶からなのかもしれない。夏休みの作文が後回しになりがちだったのは、何となく大作を書かねば…いいこと書かねば…と感じていたからだったなぁと思い出した。

なんでもいいのにね。今日のご飯が美味しかったこと。とりわけ白米の水加減が今日は絶妙で、自分の顔が映るくらいぴかぴかの輝きを、1粒1粒が放っていました、とか。そんなくだらない文章ならたくさん書いても楽しいのに。実用的な文章で自分の気持ちを頭よさげに書くのって、なんであんなにめんどくさいんだろうなぁ。そういう文章、読み返した時に自分の中の気取りが入っちゃって、あんまり好きじゃない。

もっともっと、思ったことを自由に駆け回っちゃう感じで書いてもいいんだと思ったのは、確実に親愛なる一人のおねえさんのおかげだ。軽やかな、だけど息遣いが感じられる文章を読んで、わたしもなんだか今思っていることを書いてみたくなった。

今しか感じられない感情ってたくさんあるもんね。今の年齢の今日しか感じられない、明日じゃもう無くなっているような、大切にすべきドライブ感のある今を、きちんと両手で掬いとってみる。白紙の紙の上で、書けることと駆けることは同じこと。楽しく縦横無尽に走り回る文章って、やっぱり楽しい日々の救いだ。

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