遠藤周作「沈黙」 感想 ネタバレあり

映画を観てから原作を読了。
沈黙する神に主人公であるロドリゴが苦悩するところが本作最大の見せ所だと思うのだが、その心理が映像にしっかり乗っていたので改めて映画の完成度高かったんだなと思った。
私は基督教を信仰しているわけではないのでなんか勘違いしているところもあるかも知れないが考察をまとめる。

神の沈黙に対する答え

結局のところ、絶対的な答えなどない。
強いて言うならば、信仰の形式に囚われることの無意味さだと私は思った。

ロドリゴや日本の切支丹達は表面的な棄教ですら拒み、拷問され、あるいは殺された。
確かに信仰は人間の心を救うが、それによってむしろ痛みを伴うこともある。
それでも神は沈黙する。
神はあたかも超然として存在するのみに見える。

終盤、ロドリゴは確かに転んだ。
しかしそれは信仰を捨てることを意味するわけではない。
ただ信仰の形が変わっただけなのだ。
そして彼は最期の時まで基督と共にあっただろう。
それはロドリゴの最後の言葉が表している。

私の今日までの人生があの人について語っていた。

遠藤周作「沈黙」

んー、難しいね。

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