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1,300年の時をかけ、日々を記録する場所

富山県高岡市にある港町、伏木(ふしき)。
ここは、今から約1300年前の8世紀、越中国府(現在の県庁)が置かれ、大伴家持が国司として赴任し、万葉集にある歌を詠んだ地である。

<大伴家持の官舎があったとされる旧伏木測候所地内>

そして時代は下り、明治16年(1883年)。この地に日本で初めての私立測候所ができた。
私費を投じたのは、地元で廻船問屋を営んでいた藤井能三。彼がこの測候所を作った背景に、岩崎弥太郎ひきいる東京三菱会社の西洋型商船を、この港町に寄航させたいという目論見があった。
回航の条件として、岩崎弥太郎は伏木港に燈台を建設し、航海業者の利便を図ることを要求する。藤井はそれに応えるカタチで灯明台を私費で建設し、そこの一室を測候所として運営を開始したのだった。

のちに、測候所は現在の高岡市伏木古国府(ふるこくふ)に移転。県営から国営へと移管し、現在は気象資料館として開館している。

資料館という歴史的なおもての顔があるいっぽう、富山市気象台による自動観測を今も記録し続けている実務的なうらの顔ももつ。

この旧伏木測候所は、移転した明治42年(1909年)当時のもので、当時はここに約6名が駐在し、観測をしていた。

登録有形文化財でもある、この貴重な建物の内部に入ってみよう。

木造建築のふんわりとした佇まいと、測候所という堅苦しい響きに少し相容れなさが残るが、文明開化を偲ばせる洋館がこうして現存し、今も観測を続けていることに、小さな感動を覚える。

壁の色使いからは、港を渡ってきた西洋の風を感じるだろう。

建物の奥には資料室らしき部屋が。

その棚の一つにあった本「空氣と呼吸」。とても興味がそそられるタイトルだが、当時の職員たちはみなこの本を読んでいたのだろうか。

この気象資料館を訪れた日は、台風前の少し蒸し暑い秋晴れの日。
中を案内してくださった担当者によると、観測機は低気圧を示していて、台風が少しずつ近づいていることを知らせていた。

窓の外にはこのような測定器もあり、じっさいの積雪や雨量なども計測しているという。

はるか昔、大伴家持がいた奈良時代は、この窓からの風景は今と違い、広い海が見渡せ、その奥に望む立山ももっと近く見えたに違いない。

彼は宿舎があったこの場所から海と立山を見つめ、都に残した妻を想い、自身のたましいが妻へと届くようにと、恋しい気持ちを歌に込めて詠んだのだろうか。

「足引(あしひき)の 山(やま)来隔(へな)りて 遠けども 心しゆけば 夢に見えけり」

【口語訳】険しい山をいくつも隔てて遠いけれども、心があなたのところまで行ったので、夢で逢えたよね。

いま地震や風雪の観測記録をしているこの場所は、人間の技術が進歩した証をしめしながらも、いつの時代も自然の脅威をおそれ、家持が残した慕情の美しさに心動かされる、私たちはそういう生き物であることを、いっとき思い出させてくれる。

ちなみに、この気象資料館・旧伏木測候所の屋根上にある塔屋は、最近復元されたものなので、この部分だけが新しい。

<後ろ側からみた旧伏木測候所>

この塔屋を復元したのは、大伴家持の赴任先である越中国府所在地とされる勝興寺(資料館から徒歩1分ほどにある)の平成の大修理に携わった大工たち。建物の縁の下に残っていた柱などから、当時の塔屋のカタチや色を見事に復元させた。

奈良時代、明治時代、そして平成の時代がここを駆け抜けた。
それぞれの時代を生きた人々の努力と知恵と技術、そして、たましいが、この地でたしかに交差する。

伏木という港町を訪れるたびに感じていた独特の空気感。それは、ここに隠れている「時空を超えたロマン」だったのかもしれない。

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