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普段着のチャーハン、よそ行きの炒飯

「チャーハン」を「炒飯」と書くと知ったのは、いつ頃だろうか。よく覚えていないが、自分でチャーハンを作れるようになったのは、たぶん小学生の高学年くらいだと思う。
私が小学生の頃、土曜日は休日ではなく半休で、帰り道はいつもお腹が空いていた。母親は仕事だったため、自分でお昼ご飯を用意することも多く、土曜のお昼ご飯は、ときどき自作のチャーハンが登場した。
「チャーハンの素」を使って作っていたが、唯一自分で作れる、インスタントラーメンではない、まともなお昼ご飯だった。

中華料理店でバイトをするようになった高校時代には、本格的な「炒飯」に出逢う。賄いで出されたそれは、メニューに出ているものと同じ。
昔、自分で作っていたチャーハンとはぜんぜん違い、「これがお金を出して食べる本物の味か!」と心の中で感動しながら食べていたものだ。

そして結婚して、嫁いだ家で姑が作るチャーハンを見て、ちょっと驚く。
それは、バイトをしていたあの中華料理屋のような中華皿に、しっかりと丸く盛り付けられているのだ。
なんだ、ここは家庭のはずなのに、なぜあのお店のように盛り付けられるんだ?しかも、台所には中華用のお玉は見当たらない。

姑に直接聞けばよいだけの話だが、なぜかそのときは聞くことができなかった。きっと、嫁としての変なプライドが邪魔をしたのだろう。
でもこのままでは、私が作るチャーハンは、いつまでたっても姑のような盛り付けにならない。
台所をくまなく探し、扉という扉を開けてみたが、お玉はどこにもなかった。

「おかしい…」
私は、まるで鶴の恩返しに出てくる老夫婦のように、姑がチャーハンを作り、盛り付けるまでを陰から見届けたいと思ったが、中々そのチャンスに巡り合うことがなかった。
しかしある日、姑がチャーハンを作った後の台所に、フライパンと一緒に「お椀」が置いてあったのを発見した。

「こ、これか!」
わざわざお椀に、炒めたチャーハンを入れ、中華皿に盛りつけていたのだった。それは、ちょっとしたひと手間であり、チャーハンの見た目を少し「よそ行き」にしているようでもある。
そのトリックがわかってからは、チャーハンを作るときは、いつも丸く盛り付けることを忘れない。

そして現在。親と同居中はお米を研ぐことも知らなかった夫だったが、別居となり、子どもも生まれ、多少の家事をしなくてはならなくなった。
そこで、彼が子どもたちによく作るのがチャーハン。
それは丸く盛り付けられたものでなく、私が子ども時代に作っていたものに似て、平皿に無造作に盛り付けられていたり、ご飯茶碗によそってある。
味もお店のようにはいかないが、そこには香ばしい匂いが漂っている。

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