文春砲についての個人的感想。

 最近、Twitterのトレンドに常に「木原事件」が入っているような気がする。

 去年あたりから木原官房副長官についての色々なエピソードが漏れ伝わっている。遊び方が派手で、飲み会の途中に携帯を紛失してしまったり、某出版社社長に非礼な振る舞いをしたりというものだ。
 その程度のことなら人によってはあるだろうなぁ、くらいに思っていた。
 週刊誌が「愛人」「隠し子」「一緒にディズニーランド」などと報じても「またまた木原氏のゴシップか…ようやる人だな」くらいに思っていた。ほぼ同時期に、広末涼子と鳥羽シェフのスキャンダルがあり、キャンドルジュン氏の個性的な会見が開かれたりと世間を少々騒がせたりしていた記憶がある。(世の中が抱く「不倫」というものに対する感覚というものは変わってきたのか、変わらないのか。「どうでもいいほっとけ」という向きも増えてきたような気がするがそのことはまた別の機会に考えたい)

 しかし、ここ一ヶ月になって、風向きが変わってきたように思う。それは、木原氏の夫人の元夫が不審死を遂げており、夫人が事件の重要参考人であるという事実が明るみに出たことだ。不倫ネタのような下世話なことなどとるにたらないと思っていた私も「これはいったいどういうことだ」となった。私と同じく、ここで目を留めた人は多いのではないだろうか。人の命に関わることだからだ。
 当初の情報の流れ方はいかにも木原夫人(X子さん)が犯人であるかのような印象を与えるものだった。そしてそれを週刊誌の記事は政権の中枢にある木原氏が警察になんらかの働きかけをして捜査を妨害したかのようにほのめかすものであった。
 しかし、ことの顛末が明らかになるにつれ、X子さん自身が直接の犯人たり得ないであろうこと、今までに様々な政治家が汚職等で現に逮捕されていく事実を踏まえ木原氏自信が警察に圧力をかけたという論理は少々飛躍しているのではないかという意見を言う人も出てきた。加えて、X子さんの親族に警察関係者がいることも、ネット上では盛んに言われ始めた。
 事件、騒動が大衆の興味をひき、それぞれがディテールに注目していくうちに突き詰めるべき本質がじわじわと変化しているように感じられる。
 いまだに、「政権中枢にある政治家が権力で警察に圧力をかけた」という一面的な決めつけだけでものを見る人もいるようだが、物事はそう単純ではないことは、情報を追っている人々ならば感じつつあることだろう。
 
 X子さんという人間の歩んできた人生、X子さんを取り巻く人間(Y、Z)、致死量覚醒剤はいったいどこから、翌日居酒屋で笑顔でピースサイン、論理的に矛盾だらけの供述、都合が悪くなると口を閉ざすX子さん、この異様な状態を「自殺」と二度も片付けた警察の捜査の経緯とは…
 興味を引く謎が一つや二つではないのである。
 まさに群像劇としてこの事態を大衆は捉えつつあるのではないだろうか。

 これまでの流れを踏まえて、自分が感じることは、文春は、ある一つの目的に向かって意識的に段階を踏んでいるのではないかということだ。

① 政治家の不倫スキャンダルというライトな話題で世間の耳目を集める
 政治に興味がなくとも、不倫ネタが大好物な人は一定数大衆の中に入る。いわば撒き餌のようなもの。

② 妻の元夫が不審死を遂げており事件の重要参考人
 今の妻が不審死の重要参考人(=殺人)?それを権力で警察を押さえつけた政権?という粗い図式を「あえて」投げかけ、さらに広く興味を集める(政権批判につなげたいリベラル、殺人事件と聞いて初めて注目した人たち)。

③ 興味を持ってディテールを調べ始めた人々が、事実はそんな簡単なことではないと気づく

 今はこの③の段階だと思うのだ。そして昨日、実名を出した元警部補の会見により「これは自殺ではなく事件だ」という共通理解がこの顛末の観測者たちの間で持たれたことは間違いない。あれだけの説明を聞いて「いいや自殺だ」と言いきれる人が、いったいどれだけいるだろう?

 不倫スキャンダルという一見ありがちな導入を経て、不審死事件の暴露、遺族会見、昨日の元警部補実名会見と着実なステップを意識的に文春は踏んでおり、今のところ大衆の興味は文春の思惑通りに進んでいるように思う。一つの会場に、あの手この手で人を呼び寄せ、様々なことに興味を持ついろんな人たちが沢山集まったところで、コンサートが始まったような感覚だ。

 最終的に持っていきたいフィナーレは、政治もさることながら警察という国家権力の忖度や、現場とは違う上層部の論理によりねじ曲げられた真実を明るみにするということなのではないだろうか。これはあくまで私の予想である。コンサートのフィナーレがいったい具体的にどのようなものになるのか、果たしてコンサート自体は筋書き通りに進むのか、ますます目が離せない。もはや事態は木原氏本人、X子さん個人の次元の話ではないフェーズに突入しつつあるように思う。
 
 中には「なんだこのひどい催しは」と憤る人たちもいる。木原氏を擁護する友人や同志たち、あるいは「冷静に客観視できる俺」的な常に正しくあることが目的な人たちだ。
 木原さんの友人・同志たちが擁護したくなる気持ちも分からないではない。人情として、当然のことだと思う。一方で、「正しくあることが目的」みたいな人たちが、正直私は苦手だ。それは私自身が「正しくある」ことよりも「自分が興味を持てるかどうか」に重きを置く価値観の人間だからだ。自分が興味を持って観測しているところで、「それは正しくない」みたいな言い方をされるのが苦手なのだ。正義感ではなく、単純に興味を持って観測しているだけなのだ。興味を持って鑑賞している物事に対して「その行いは間違っている」と言われるとカチンとくる、これも人情である。これを私刑だの人治主義だのと言われてはたまったものではない。

 それはさておき、この騒動に関しては、木原氏本人に仮に瑕疵はなくとも、木原氏はX子さんの夫である限り、どうしてもこの顛末を紐解いていく上で通らざるを得ない通過点なのだ。
 人情としての木原氏擁護は分からないでもないが、一方で「冷静な俺」「正しさ」を振りかざしてモリカケサクラと同じだの人知主義だの私刑だの言う向きが、元警部補の実名出しに関して「承認欲求」とまで言っているのを見た時は流石に驚いた。
 元警部補や文春が開示してきた情報は人道的法的にアウトなのかセーフなのか、それは今後検証されるべきことであろうが、一度持たれてしまった疑惑は観測者たちが納得するまでスピードを落とすことはないだろう。事態は一人一人の思惑でどうなると言うレベルを超えた局面だ。文春によればこれからが第二幕だという。引き続き興味をもって観測したい。

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