大学(学校)ってそもそもどんな場所なんだっけ
私は、まだ人として未熟であり、まして建築を学ぶものとしては言うまでもなく、まだまだだ。
けど、留学して日本とは異なる教育現場で学ぶ機会が与えられたものとして、感じたことを率直に記しておきたい。
建築人こそ、社会の動きに敏感に
建築って本当に深くて、幅ひろい分野だ。社会の動きと大きく絡み、人々の生活や気持ちにも影響する。
だからこそ、建築を学ぶ場では社会の動きを考えさせるような課題があってもいいのかなと思う。また、そういうことができる余裕というか、受け皿があってもいいんじゃないかなって思う。
例えば、感染症が蔓延しても快適に過ごせるような街や建築の設計を考えるとか。
確かに日本の学校でも日頃意識している人はできるけど、教育者は学生を社会に目を向けさせることをもっとしていいのではと思った。
設計課題の建築は「商品」ではない
プログラムが与えられて、敷地が一角与えられて、コンセプトをたてて、設計する。それはそれで、面白いし、やりがいがあるのは確か。
けど、学びの場はもっと自分が興味を持ったことや面白いと感じたことをとことん深めることができる場所であるべきなんじゃないかなって思う。その学問の深さに気づいたり、その答えのない世界を楽しむことができるような場であるべきなんじゃないかなって思う。
自分が建築の何に興味関心があるのか、それを設計を通して探っていく、それを可能にする課題や教育現場の人の学びの姿勢があったらなと思う。
それは、既存の建築の分野という枠に当てはまる必要はない。
例えば、日本伝統建築の木組みに興味があるならその研究やそれを使った設計に没頭すればいいし、むしろ建築が社会の中でどう人と人を繋ぐかに興味があるならそれにとことん集中すればいいと思う。
それも、研究室とか大学院とかではなく、学部の時代からできる・する環境が整っていたら建築をもっと楽しく勉強できるし、建築の面白さや深さを誰もが実感できると思う。そしてなにより、学びに対して能動的になれると思う。
既存の建築教育を批判するつもりは全くない。実際そのおかげでたくさんの素晴らしい建築が世に生まれているんだなと思うと、その教育を受けられるだけでも幸運だなって思う。
けど、留学の経験を通して、教育の場ってこういうことをもっと大切にした方がいいのでは、と思って書きました。
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