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こんにちは、あかちゃん。

世界が急に昨日までと違って見えた。
初めて、親に心から感謝した。
「お母さん」って、すごいと。素直に思った。

2023年の夏。28歳だった私のお腹に、小さな命が来てくれた。
それはあまりに突然のことで、
あまりに予想していなかったことで。

でも…どこかで期待していた自分もいて。
時間が経つごとに、愛が深まって、どうしようもなくって。

いてもたってもいられなくなって、私はこうして筆をとることにした。

これは、私と、赤ちゃんの物語。

たくさんある出産記録のほんの一部かもしれないけれど、私にとっては何にも代え難い、たったひとつの命の記録。

妊娠の記録を何かに書いたらいいのではないか」と言ってくれたのは、最初こそライターの仕事に反対していた夫だった。

あの頃は、夫の方から「こんな本を書いたらいいんじゃないか」なんて提案してくれることになろうとは思いもしなかった。

夫の言葉を聞いて、私は思った。
「私のために」書こう、と。
最近は、ずっと「仕事のために」「誰かの幸せのために」書いていた。

こうした文章を書く時には「妊娠したらどんなことが起こるかを男女共に知ってもらうために」などという目的意識を持つべきなのかもしれないけれど、そうしたことは傍に置いておく。

私は、私のためだけに。
ただひたすらに、精一杯この命が生まれてからの軌跡を記していこうと思う。

たったいま、これを書き始めたのは、ちょうど8月の終わり、妊娠12週(4ヶ月)に突入した晴れた昼下がりである。

ここから、妊娠初期の日々を思い出してつらつらと書いていきたい。

妊娠して読んだ数々の妊娠、出産エッセイは、どれも感動的な体験が綴られていて、何度泣いたかわからない。

ただ、出産シーンは怖くて、なかなか読み進められなかった。「楽勝でした」みたいな方は一人もいなくて、みんなただただ強い母になっていく様子が描かれていて、それはものすごく強烈な読書経験だった。

育児も、それはそれは大変そうで大変そうで、みんな「寝る時間がない」とか「旦那と険悪になった」と書かれていて、それは想像することすらできなかった。

もちろん私だってきっとそうなる。来年の今頃は、初めての子育てでヒーヒー言っていることだろう。

そうした、今後経験するであろうたくさんの最高の瞬間を残しておきたい気持ちもある。

でも、このnoteは、もっともっと私が妊娠エッセイで読みたかった「飛ばされがちなページ」について書いていきたい。

特に…つわりの3ヶ月間について。
喉元過ぎれば(出産したら)つい忘れてしまうようなことだからこそ、きちんと記録したいんだ。

なぜかというと。正直、つわり真っ只中の今(*2023年8月現在)が、辛くて辛くて辛くて。本当にどうしようもないから。

なんとか妊娠にまつわる本などを購入して、必死に読み進めるものの、つわりに関する記述は3ページくらいで終わってしまうのである。

もっと体験記を読みたい。もっと対処法を知りたい、と思うのに、
気づくと妊娠7週から16週くらいまで飛ばされている。

この時期の攻略本とも言える本はどこにもなかった(というか、見つけられないし、そもそも活字を目で追うこと自体、本当にしんどかった。)

こんなに1日1日が、濃ゆいのに。

「もっと鮮明に。もっと飛ばさずに書いて欲しい。」そんなことを、かの大作家さんたちに対して思いながら、私はいた。

だから私が書く。

今この瞬間を、一瞬たりとも忘れないように切り抜いていく。

*これは、2024年3月に出産した私の妊娠中の記録です。書き始めたのは、2023年の8月。つわりで苦しみながらも、絶対にnoteにすると決め、メモをし続けていました。そのため、当時のきつかったこと(主につわりのこと)に対する記述が多めです。読者の方に妊娠に対して怖いイメージを持たせることになってしまったら申し訳ないのですが、自分が経験したことを形にしたく、リアルに書くことにしました。
(つわりは、もちろん、もっと症状が軽い方もいれば、入院するレベルの方もいます。)

なお、こちらのnoteは、妊活中の方にとって、また妊娠中の方にとって、ご自身と比べて、辛いと感じてしまう表現もあるかもしれません。すべての方に配慮した文章というのは難しいので、嫌な気持ちになりそうだなと思ったら、そっとページを閉じていただけたらと思います。

それでは、昨年。妊娠が発覚したあの夏にタイムスリップいたします…。
かなり長いですが、ぜひ読み物としてお楽しみください。



深刻な病気になったかもしれない。

2023年6月22日。私は、この日から毎晩、悪夢を見るようになった。

6月25日、何に対してもやる気が出ず、無気力状態になった。

仕事が、突然できなくなった。
リモートワークの私は誰からも監視されていないため、手を抜くことだってできてしまう。
しかし大真面目ゆえに、むしろ誰も見てないのに1人で超多忙な日々を送っていた。
起きてから寝るまで、オンのオフの境目がほぼない状態で働く。

そのくらい、仕事が好きだった。自分のやったことで、何かが変わっていくのが面白かった。

だから、朝起きれなかったあの日、
「仕事のしすぎかもしれない」と思った。
すぐに上司に連絡して、しばらくお休みをいただくことにした。

数日休んでから、今度はきちんと切り替えて働かなきゃな、とその頃はまだポジティブに捉えていた。

のだけれど。
その日は、仕事どころか、家事も、食事も、趣味である読書も、何もやる気がしなかった。
できたことはただ、Tiktokでショート動画をただ眺めるくらい。それも、感情はなく、ひたすら傍観するだけだった。

そんな日々が3日続き、「やる気」がなさすぎることに困惑し出した私は、毎晩涙が止まらなくなった。

頭も痛い、お腹も痛い、胸も張る。

あぁそうか、もうすぐ生理予定日だから、と思い当たる。
頭痛薬を飲み、眠りにつく。

だがしかし、すぐに覚醒して、また呆然とする。

これらの症状をネットに打ち込んでみると、「燃え尽き症候群」「うつ病」と検索結果に表示された。
どれも当てはまる気もするが、どれも当てはまってほしくない。

私は早く元気になりたいのに、なれない。

「もう働けないかもしれない」という絶望に襲われていた。
焦れば焦るほど、何も手につかない。

今考えると、何がそこまで私を不安にさせていたのか分からないけれど、この時ばかりは心が完全に壊れかけていた。

驚くほど身体がだるかった。寝れても4時間くらい。

自分でもコントロール不能な状態になっており、夫にイライラをぶつけたかと思ったら急に泣き出すこともあった。

困った夫は、PMSに効くとされる漢方を買ってきたようである。

それは何も言わずにテーブルに置かれてあり、私もそれを何も言わずに飲んでいた。もうすぐ生理が来るはずだから、このメンタルブレイクも治るだろうと思っていた。

この時は、まだ私もそんなに重大に捉えていなかったから、きちんと漢方の力を借りながら「良くなるはず」と思い込む。

そうしてたまに少し良くなったような気はするものの、でもまた落ち込んだり。

気づくと、体調不良が始まってから2週間が経っていた。

7月7日。
ロマンチックなこの七夕の朝。


ついに、何も手につかなくなった。


このままでは、危うい。
いろんなことが、危うい。

職場に連絡をし、しばらく休息をとることに。

なんだか熱っぽいし、どうしてもやる気が出ない。そして、涙がとどまることを知らない。

私は、本格的におかしくなってしまったのではないかと、怖くて怖くてたまらなかった。

とはいえ、もう一つ、可能性があるかもしれないと思っていることが、なきにしもあらず。

そう、この時点で、生理予定日から1週間が経過していたのであった。

この体調不良で、生理が止まったのかもしれない。

それとも...?


え、私、妊娠した?


その可能性を考え出すと、それはそれで心配が押し寄せる。
仕事は?これからのことは?

子供が欲しくないわけではない。むしろ、子供は大好きで、お母さんになることは幼い頃からの夢であった。

ただ、人生設計図を緻密に立てるタイプの私にとって、妊娠は「今じゃない」。

私が夫と籍を入れたのは、半年前のこと。

ようやく結婚式の日取りや場所を決め、招待状を2日前に送ったばかりであったのだ。

友人たちからは
「楽しみにしてる!」とLINEでのメッセージと共に招待状の出席メッセージが届きつつあった。

当時の私が思い描いていたストーリーは、
結婚してからも仕事人間を続けつつも結婚式を行い、少し仕事が落ち着いたタイミングで、第一子の女の子を妊娠、その3年後に第二子の男の子を妊娠。というものだった。

そんな都合よく進むわけないけれど、「言霊」を信じる私にとって、「きっとそんな感じで進んでいくかな」という確信めいたものがあった。

それに、今私がいるこの場所は、ワケあって九州の、ど田舎。
産婦人科に行こうと思えば高速を使わないといけない。
ペーパードライバーの私は、スーパーに行くのも、歯医者に行くのも、生活するためにいつだって夫を頼るしかなかった。

妊娠していたとしたら、この地で私は、夫だけを頼りに妊娠生活を送るのか?

数年後、実家のある関東に引っ越してから妊娠するものだと思い込んでいる私にとって、家族も友人もいないこの地での妊娠などとなれば、不安でどうしようもないに決まっている。

ぐるぐるぐると、心配事が頭をかすめる。

お願いだから、妊娠は少し待ってくれ。
でも、病気というのも嫌だ。

きっと、生理前のPMS、絶対そうだ。
胸も張っているし、なんだかお腹がずっとキリキリする。

もしくは梅雨による低気圧。絶対そうだ。
身体中がキンキンに冷え、頭痛もある。


どう調べたって、「妊娠超初期症状」に変わりはなく。

横っ腹が痛くて痛くて、何度も立ち止まりながらも、私は、ドラッグストアに向かっていた。


この状況に名前が欲しかった。


妊娠検査薬なんて初めてで、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
ひとまず安すぎず高すぎないものを買う。

誰も私の買い物かごなんて見ていないのに、そこにいるすべての人が私のことをジロジロ見ているように感じた。

思春期の男の子みたいに(知らないけど)、なんとなく悪いものを買っているような気分になって、恥ずかしくて、検査薬が隠れるよう、ガムとポカリをカゴにしまう。

「この検査薬の使い方は分かりますか?」
薬剤師さんの問いかけに。

早く!早く!

なぜか焦りながら。

紙袋に入れられたそれは、なんだか他の商品と明確に区別されている気がして、とても恥ずかしかった。

薬局からの帰り道。

こんなにも自宅のトイレを切望したことはなかった。

早く、楽になりたい。

もはやどんな結果であろうとも、結果を知りたい気持ちで、私はひとりふわふわとしていた。

たった今、私はー。

たった今、私は。

たった今、私は、妊娠したようである。

何度見ても、妊娠検査薬と呼ばれるそれには一本の線がくっきりと浮かび上がってきている。

気づくと、私はトイレの中で、ここ最近の自分の暮らしぶり、そしてこれから予定していた様々なスケジュールを反芻し、意外にも冷静に行動をしていた。

先週、バーでお酒を飲んだな。
先週、頭痛薬も飲んでしまっている。

ふぅ、そうため息をつきつつも、私は、至って冷静だった。

まず、丁寧に手を洗う。検査薬は一旦ティッシュを敷いたまま、トイレの棚に放置して
おき、それからキッチンに戻ってジップロックの袋とお菓子の空き箱を用意した。


何かを考えていたような気もするし、考えていなかったような気もする。

至って冷静に、「これは記念になるべきものだと思うから、きちんとのこしておくべきだ」と脳が司令を送っていたように思う。「とはいえ、あまり綺麗なものではないから、何かに包むほうが無難だろう」と。

密封できる袋にいれ、適切なサイズの箱にそれを格納して初めて、私はふと「妊娠、したのか」と我に返った。

猪突猛進な日々をあなたと。

ここで少し、夫の話をしようと思う。

2023年の1月。
3年間交際を続けていた私たちがついにゴールインした。半ば強引、結婚すると起こりうる幸せな未来についてプレゼンし、両親に合わせ、あれよあれよといううちに結婚することになっていた。
こだわりが強く、猪突猛進なふたり。この人を逃したら結婚はできないだろうなと思っていた。
そうして、この人となら、大丈夫だと思えた。

今年の1月、どうにかこうにか両家で絵に描いたような顔合わせ(老舗ホテルでの懐石コース)をし、その2日後のうちに市役所に婚姻届を出した。

市役所の職員から「おめでとうございます」とか「写真撮りましょうか」などと言われることを想定しており、「えへへ、ありがとうございます」などという練習をしていたのだが、心配は稀有に終わった。

淡々と書類手続きが終わり、私の名前はあっけなく変わっていった。提示したマイナンバーカードには、その事実が本当にそっけなく添えられた。

『氏変更 氏「 」』
たったこれだけ。
カード自体を遠くから見ても、それは旧姓のままであるし、特段何か大きく変わったことはない。その不思議さと気軽さに驚かされた。

その後も、私たちはよくある典型的な夫婦の形に沿うように、やることリストをこなしていった。

一通りの手続きを終え、本格的な夏を迎えた最近は、もっぱら夫婦のネタは、結婚式についてであった。

私は式は無しで写真だけと言い張ったのだが、夫は絶対に式をあげたほうがいいと言う。

衝突した。

本気でこの人とやっていけるのかと思うくらいの大喧嘩。

結婚したことは世間的にはおめでたいことであろうが、私は私たち2人の世界に、いろんな人たちが急に音を立てて侵入してくることが怖くて仕方なかった。

2人のお祝いの場(色とりどりの花束に、豪華すぎるケーキに、感動のスピーチ)を、どうしても「作られたもの」と感じてしまう心の小さい私には、400万円もたった2時間のために使うという判断が、どうしても理解できなかった。昔から損得感情で物事を考えてしまう私は、こんな性格だから、親友と呼べる人が極端に少ないのかもしれない。

夫との話し合いの末、決まったのは、家族と仲の良い知人を呼んだ30名程度の挙式と披露宴の開催であった。来年レストランにて会場を抑え、日取りも決まってきたところであった。

そんなところに来ての、妊娠である。

不妊で悩む人がたくさんいることも知っている。
望まない妊娠で苦しんでいる人がいることも。

結婚して半年で妊娠。
至って「フツウに幸せ」なその状況。

でも、この時はまだ、手放しに喜ぶというよりは困惑の方がまだまだ大きかったように思う。
何せ、この検査薬の結果が本当かどうかだって、全くわからない。
あまり信じすぎない方がいいのかもしれないな、とも思った。

とはいえ、サプライズ好きな私。

夫にだったら、この驚きをもっと驚きを持って共有したい。

夕食前に「パパになるよ(かもよ)」とかいたメッセージカードを用意して見せる。

YouTubeのショート動画などでよくみるそのシチュエーションでは、そのようなサプライズに号泣し、妻を抱きしめる、みたいに感動ストーリーが広がっているのだけれども、我が家は違った。

夫は、一呼吸おいて「お〜〜!」と言い、それから穏やかな口調でこういった。

「病気じゃなくて、本当に良かった。」

あぁ、この人は、子供がどうというよりも、私のこと、私自身のことを何よりも心配してくれていたのだな、と思った。

こうしたシーンでは、人柄が出る。

もし私が夫の立場なら、思ったことがそのまま言葉になってしまうはずだ。
「結婚式どうするの。」などと言ってしまう、絶対。

夫は、続けてこういった。

「俺が仕事を辞めてサポートに徹するべきなのか、本当に悩んでいた。
ずっと心配してた。無事で、良かった」

単純に、嬉しかった。

夫が素晴らしいところは、こうした言葉をまっすぐに伝えられるところ。
そして、誰かが苦しんでいる渦中では、自分を犠牲にして、自分の感情を丸出しにせずに相手に尽くせるところにあると思う。

この夫の愛情に、この先、大いに助けられることになるのだが、それはまたこの後で。

さて妊娠に関しては二人とも、少し懐疑的である。

3日後に病院に行くことに決めたわけなのだが(あまりにど田舎すぎて、高速で1時間のところにある産婦人科に行くしかなかったのだ。私はペーパードライバー、そして体調不良とくれば電車を使うわけにもいかず、夫の休みに、車で送ってもらうしかない。)

私はソワソワが止まらず、はて夫の方も、今喜んでしまって、本当に妊娠してなかったらショックだろうということで、あまり妊娠について考えすぎないようにしていた。

病院に行くまでの時間は、それは長く長く感じられた。

ちいさな命が、ここにある。

院内に吹き抜けの噴水があるようなおしゃれなクリニックで私は一人、問診票を書いていた。

尿検査をし、その後、経膣エコーで子宮の様子を確認する。

なんともくすぐったく、違和感しかないこの検査。好んで受けたいという女性は誰一人としていないだろう。

エコーの映像を見ても、なんだか白黒でよくわからない。
それでも、インターネットでよくみるエコー写真をゲットし、これが「胎嚢」という赤ちゃんが入っている袋だと教えてもらうと、自然に涙が溢れた。

私は、きっと「おめでとうございます!」と言われると思っていたのだけれど、告げられた言葉は「2週間後にまたきてください」というものだった。

結婚の時もそうだったが、最近はやたらと「おめでとう」を言わない世界になっているのだろうか。何があるかわからないから、だろうか。

今日は、妊娠5週と3日だということだった。

先月飲んでしまった薬やお酒は、ひとまず大丈夫だろうということで安堵したが、出産予定日自体も告げられず、母子手帳ももらえない。

自分が思っていた「妊娠しました」の形とは少し違って、戸惑った。

でも、この小さな小さな袋の中に、確実に小さな命があるんだな、と思うと、何だか不思議となんでも頑張れてしまうような気がするのであった。

お母さんがおばあちゃんになるということ

病院に行った日から1週間。その日は、関東に住む両親が九州に遊びにくるという一大イベントが待っていた。

この予定を決めたのは1ヶ月前で、もちろん妊娠するなど思っていなかったため、何も知らない両親にビッグサプライズ、ということになる。

ソワソワしながら2人をカフェに誘い、どうにも切り出しにくいなぁと思っていたら、母親がこう言った。

「それで、結婚式はどうするの?」

「実はお腹に子供がいて」なんて言ったら、おったまげ、である。ひっくり返ってしまうかもしれない。

ということで、事前に用意していた、小さな箱(見た目によってはチョコレートにでも見えようか)を差し出し、

「まぁまぁ、先にお土産あるから見て」と促した。

夫と同じ方法。
(私は、サプライズが本当に好きなのだ。)

中には、「おじいちゃん、おばあちゃんになるよ」というメッセージと共にエコー写真が入っている。

一瞬の沈黙の末、母親が選んだ言葉は、

「えっと…結婚式、どうする?」であった。

これには、「あぁ親子だなぁ」と少し笑ってしまう。

「計画性ないね〜!」と笑いながら、私たちを大いに祝福してくれた。

九州にいる間、母は何度も、「景色が、昨日までと違って見える」といった。孫という存在は、きっと母にとっても楽しみで仕方ないのであろう。

これまで親孝行がなんなのか、そのやり方がいまいちわからなかったのだけれども、こんなにも生き生きとしている両親を見ると、

親孝行とは、親より先に死なないこと、そして、未来に命を繋いでいくことなのかもしれないなぁと、そんなことを思った。

そんな、感動的な日から1日。

事件が起きた。

朝食が、食べられなくなった。

元々、両親と一緒に近くの宿に泊まり、朝から豪華なご飯を食べ、そのまま観光、贅沢ランチをする予定であった。

流石に、妊娠している体で決めていた通りのスケジュールを遂行することは無理かもしれないなとは思ったが、食欲はあったので、「きっと、つわりはないよね」と安心しきっていた。

この時は、いろいろ知らなかったし、いろいろ舐めていたのである。

母は食欲が増加することなどはあったものの、つわりというつわりは経験しなかったのだそう。親子だし、そこは似るのだろうと勝手に思っていた。

甘かった。

美味しいであろう旅館の朝食が、全て拷問に見えるのである。

炭火焼きのハム、椎茸。脂が乗った鮭。
ふっくらご飯に、具沢山のお味噌汁。
出汁の効いた卵焼きに、何種類ものおかずたち。

「わぁ」と声を上げる両親をよそに

「嘘だろ」と思った。

滅多なことで食欲が落ちることはない私なのに。
食べることが生きがいの、何よりの趣味である私なのに。

「お願いだからこの料理たちを今すぐどこかにやってください」と言わんばかりの、拒否っぷりだった。

まず、笑顔を作るという行為自体がしんどい。

「何なら、食べれるだろうか」

必死で考えながら、目に止まった豆腐を食べる。

結局、一口のご飯とお味噌汁、豆腐に口をつけただけで、あとは全て残してしまった。(というより、家族にあげた)。

「こんなことあるんだ」と、悲しかった。

とはいえ、この時はまだ、序の口で。

この日の夜から、私の壮絶な日々が始まったのである。

つわり日和①食べられるものは、葡萄だけ?

つわりが始まった。
食欲があるのに、全く食物を受け付けないと言う特異な状況。

その時食べられていたものは以下の通り。

こんにゃくゼリー、トマト、パイナップル、桃、ぶどう、ポカリスエット。

夫の親が送ってくれたブドウ(なんと、シャインマスカット!)が特に美味しくて、これだけは幸福感いっぱいで食べることができた。
そのほかは、餌みたいな感じでひたすらにお腹に流し込んでいた。

ほどなくして、これではお腹が全くいっぱいにならず、何か少しでも炭水化物をということで、いろいろ試してみた。

まずお米である。夜の妊婦さんが大体通る道に、炊飯器の匂いが無理と言うものがあるが、私も例にもれず、米の炊く臭いは愚か炊き上がって、少し冷ましたとしても、なんだか受け付けなかった。

おじや、うどんなど、だしの効いた料理なら、食欲がなくても食べられるのではないかと思ったが、だめだった。

胃腸炎などであれば食べられたかもしれないが、その時の私にとっては、だしの味そのものも全く受け付けなくなってしまっていた。食べたいものは無味無臭、もしくは酸味のあるものと言うような形であった。

当時、YouTubeやテレビなどでお肉や魚などが映るとチャンネルを変えてしまっていた。

これまでは、食べることが大好きだったのに、この時期は、食べ物を見ることが本当に辛かった。

夫はよく私がどうしたら少しでも食べられるかと言うことを考えて、いろいろな料理を試みてくれた。

試行錯誤の結果。
コンビニに売っている塩むすび、そしてスティックパン(チョコチップ入り)、野菜スティック。

これらが私が妊娠中の主食となった。

自分で作ったおにぎりは塩を入れたとしても食べられないが、コンビニのものはなぜか受け入れられた。

お腹の赤ちゃんにとって毎食毎食コンビニと言うことがすごく心苦しかったけれど、もう仕方ないなと思うしかなかった。

ちなみに、夫はこの夏をコンビニに捧げた、といったも過言ではない。

お昼も、夜も、私がその時食べられそうなものを告げ、コンビニに走ってくれた。

夫自身はどうしていたのかというと、出来るだけ匂いを発しない食べ物(レンチンしなくて食べられるもの。蕎麦、素麺など)をチョイスしていたらしい。

私が寝込んでいる夜は、車の中で糖分を摂取(スニッカーズに助けられたらしい)し、玄関でご飯を食べていたようである。

夫婦二人で、ずっと戦っていた。終わりは全然、見えなかった。

つわり日和②しんどいのは食べ物だけではないという事実。

妊娠6週目。ダメになったのは「匂い」だった。

冷蔵庫はどうしたって開けられない、信じられないくらいの激臭(例えるなら、全ての食べ物が意思を持って主張しているかのような)が私を襲った。
マスクをしてもだめ。それだけで吐き気がするくらい、とんでもない悪臭に感じられた。仕方ないので、炭を買ってきて入れたけど、なんの効果もなかった。

夫が自分用に作った、玉ねぎと豚肉の炒め物の匂いを嗅いだときは、文字通り、倒れてしまった。

玉ねぎとニンニク、肉の香ばしい匂い。
普段なら食欲をそそる匂いなのに。

私は耐え難いスタミナパワーに、完全にノックアウトされた。

部屋中の窓を開け、私は寝室に篭った。夫が悪いわけではないのはわかっているが、相当な罰ゲームを受けている気持ちだった。

それから、部屋に飾っていたアロマディフューザーも、頭が狂いそうなくらい、臭く感じて、全部捨てた。

そして、極めつけに、夫自身の匂いが本当に無理になった。

夫が臭いということではなく、自分以外の匂いがすると言う。その事実が耐えたく、あんなに仲が良かったのに、私に近づかないでと言ってしまうことすらあった。

体調が少しよくなった時にスーパーやコンビニに行ってみたが、1分も持たずに退散。

普段は何も感じないあの空間は、食材たちの匂いが充満する、とんでもない場所だったのである。

それ以外にも、つわりはたくさんあった。
ゲップが止まらないゲップづわり、ヨダレが止まらないヨダレづわり、眠くて仕方ない、睡眠が浅い、肩こりに頭痛など。

ありとあらゆるトラブルたちが私を襲った。

これでもか、と。

普段の体調悪いな〜というのが一気に押し寄せている感じ。
つわりは、体調不良の終わりが見えないのが辛い。

妊娠は病気ではない。

だから、周囲に理解してもらいにくいのかもしれない。

そうはいうものの、気力でどう頑張ったとしても、身体がどうにも動かない。

そして、身体のみならず、心がすり減ってしまい、マイナスなことしか考えられないようになる。

一日中横になっていても、YouTubeを見ても、笑えない。

当時のYouTubeやネットの検索画面には「つわり いつ終わる」
「つわり 症状 楽にする」ばかりが並ぶ。

どんなに調べても、特効薬はないようだし、「安定期が来る頃には、落ち着きます」という言葉を信じるしかなかった。

生姜がいいらしい、梅がいいらしい、シソを混ぜ込んだ冷たいおにぎりがいいらしい、マックのフライドポテトなら食べられるらしい。

そんな嘘かまことか、みたいなことを片っ端から試して…

そして自分には合わずに吐き気に襲われるのである。

どうにかこうにか動ける時に、精神を奮い立たせて仕事をする。

そうして無理をした挙句に、やはり倒れ込むように体調を崩すのであった。

こんな日々が、ずうっと続いていた。

つわり日和③嘔吐恐怖症だった私が恐れていたもの

私がつわりで一番心配だったことは、「嘔吐への恐怖」である。というのも、私は「嘔吐恐怖症」であったから。

どのくらい嘔吐が怖いのかというと、この嘔吐という文字、吐くという文字を見るだけでも、それを想像して気分が悪くなるくらい。

小説、ドラマ等でそういったシーンがあったりすると、目を塞ぎ、その後
真っ暗な部屋で気分を沈めないと平静になれない、といったこともあった。

誰かが吐そうなシチュエーションも大嫌いで、例えば、YouTuberの大食い企画、お酒をたくさん飲む企画などは、そうしたシーンがなかったとしても、はなから見るのを諦めてしまったくらいである。

これに関しては、想像できない、なんで?と言われ夫と衝突したことも。

実際、家族や友人がトイレなどで吐いてしまったとき。これはもう、その場を見たわけでもないのに、気が狂いそうになり、大声で泣いてしまう。自分もお腹を下したり、頭痛が止まらなかったり、吐いた本人はケロッとしているのに私がぐったり、みたいなこともよくあった。

そんな私だからこそ、お酒で失敗したことは、ほぼ0である。
酒豪と言われることもあるほど、ビールから焼酎、日本酒、ワイン、ウイスキー、何でも飲める。
どれだけ飲んでも、基本的にはそれで誰かに迷惑をかけるような事態になったことはない。

それは、本当に心の底から吐くことに対する恐怖が大きいからだった。

基本的に幼少期を除いて、ほどんど吐いたことはない。
だからこそ、想像ができないというのもあり、嘔吐に対する恐怖がどんどん強まってしまっていた。
こんな自分を変えたくて、「吐くのが怖いがなくなる本」という本を熟読していたくらいである。

つわり。それは、嘔吐をイメージする人が一番多い事象であろう。

軽い人もいれば入院するレベルで重い人もいる。

何を食べても吐いてしまう人もいれば、過食に苦しむ人もいる。

だから、ずっと心配で心配で、たまらなかった。

そんな私だったが、人生で初めて、つわりの時期に何度も吐き気というものを経験し、闘った。

毎日ではないものの、体調がすぐれない日は、戻してしまうこともあった。

夏なのにブルっと寒気がして、猛烈にお腹が空いて。

やばい、なんかおかしい。

嘔吐前は毎回そんな予兆めいたものがあったように思う。

ただ、不思議なことに、吐けば吐くほど、嘔吐への恐怖は少しずつ減っていった。

「経験する」ことで強くなる。というのはまさにこのことで、頭の中で考えていた嘔吐へのイメージと実際は少し乖離があり、難しく捉え過ぎていたのだなと思った。

苦しいつわり期間。唯一の救いは、この「嘔吐恐怖症」が治ったこと。

これからの子育てで、子供が吐くたびに号泣するわけにはいかないから。

産後、大食い動画を笑って見られるようになった今となっては、
嘔吐恐怖症だった私は、一体何を恐れていたのだろうと不思議に思うのである。

命を守り続けるということ

さて、妊娠で何がしんどいというと、さまざまなことが挙げられるけれど、何よりも「命を守り抜くこと」へのストレスが一番大きいように思う。

そりゃあ、目に見える形で現れる諸症状だって、耐え難く苦しい。
けれど、全く目に見えないお腹の中で、赤子がどうなっているのか、それは想像するしかないわけで。

妊娠初期の頃は「流産」を想起させる「流れる」という字を見るだけで身震いが起きてしまっていた。

胎嚢が確認でき、一安心。
心音が確認できて、一安心。

そうしてようやく、人の形のエコーが見れて、出産予定日が決まって、母子手帳を受け取る。(ここでは、市の職員さんから、念願の「おめでとうございます」を言ってもらうことができた。)

ゲームみたいに、ステージを一つ一つクリアしていく。

インターネットや子育て雑誌には、とにかく葉酸を摂ることが大事と謳われ、過度な運動や無理をすることは現金なのだと、声高らかに書かれている。

生物(刺身、ナチュラルチーズ、生ハム、ローストビーフなど)がだめ、アルコールはもちろん、カフェインもできれば控えた方がいい、ネイルはだめ、温泉や岩盤浴、サウナも控えるべき、運動や旅行もやめておきましょう…

これらは、医師によってはOKを出す人もいるし、それぞれの自己判断で
お寿司を食べている人もいれば、徹底的にダメというものを排除した暮らしをしている人もいる。

正直、正解はない。

けれども、目に見えないところでどんどん大きくなっている我が子に
「何かあったらどうしよう」
と思うと、
珈琲に手を伸ばしかけ、やっぱりやめよう…となるのであった。

昔は今のように情報が溢れていなかったけれど、
今はいろんなところで体験談を聞くことができるようになり。
それは悪い意味で妊婦を翻弄する結果になっていると思う。

「私は、旅行したら出血してしまって大変でした」
という不安を煽るようなコメントを見ることもあれば
「珈琲は毎日飲んでましたが安産でした!」
みたいな、それは珈琲によるものなのかどうか、と疑いたくなるような投稿を見ることもあって。

でも、渦中にいる時には、そうした一つ一つに翻弄されてしまうものだ。
もちろん、私も。

「無事に産まれる」ということがわかっていれば、もう少し穏やかに過ごせるであろう妊娠中も、「もし何かあったら」と思うと気が気ではない。

医療はどんどん進んでいるとはいえ、絶対はない。

それでも、日々の流れの中で、着実に成長してくれている我が子に
パワーを送りながら、情報に飲まれないように必死に日々を歩むのであった。

完璧主義VS妊娠

妊娠3ヶ月。妊娠8週目、9週目は、つわりがピークといった辛さで、無気力でぐったりだった。初めて吐いてしまったのもこの時期。

精神がすり減っている音がしていた。

気づくと私も夫もみるみるうちに痩せていった。

いや、夫が痩せるのは「なんで?」という感じなのだけれど、5キロ落ちたと笑っていた。

真夏に重労働をしている夫。

たまにはお肉を食べて欲しかった。スタミナをつけて欲しかった。

私だって、食に対する楽しみを、一緒に味わいたかった。

結婚したばかり。
夕飯だって作ってあげたかった。

「毎食コンビニ」その事実が、そうせざるを得ない環境が、完璧主義の私を苦しめ、夫も巻き込んでいるということに対する罪悪感で、気が狂いそうになっていた。

そう、自分がこんな状態になってもなお、人のことを気にし過ぎていたのである。

それから、仕事。

過去に、真面目にやり過ぎてつぶれた経験もある私に、お医者さんはこう言った。

お仕事はいつでもできる、産んだ後でもできる。
今はお腹の子供のことを第一に、それなりでいいんです。

そうは言ったって、迷惑はかけられない。

ただでさえ、具合が悪い時は定期的にお休みをもらっているわけで、これ以上穴を開けられない、と思っていた。

そのうち、喉が詰まった感じが拭えなくなってくる。
やるせなかった。

大切なのは「ゆるゆる」

妊娠中、困ったのは服装であった。

妊娠初期には、お腹は全く目立たない。
言われてもわからない、というくらいにしかぽっこりとでない。
けれど、当の本人は、「普段と違いすぎる」ことに違和感ばかり覚えてしまう。

ただ、16週ともなると、今までの服だとなんだか「締め付けられている」ように感じるのだ。これはもう相当のストレス。

早急にマタニティ服をネットで買って、締め付けから解放される。

ただし、そんな日々も束の間。どんなに2サイズ、3サイズ大きいものを買ったとて、数日経つと「なんか違う!」とイライラが止まらない。

そして締め付けられている感じが少しでもするだけで、つわり症状も悪化した。

そんな時、ふと思い立ちユニクロへ。

そこで購入した紳士用のXLサイズのパジャマは、図らずも、妊娠中買ってよかったものNO.1に君臨する神アイテムとなった。

もはやゴムがゆるゆるすぎて、履いているだけで落ちてきそうなくらいだったが、締め付けが全くないという事実が私を救った。

人生も、マタニティファッションも、ゆるゆるが大事。

これは、今後友人が妊娠した時なんかに絶対に教えてあげたいと思う。
締め付け、ダメ絶対。

つわり日和④つわりが終わって、始まって。

「つわりが終わった」

そう思った日の朝のことを、よく覚えている。

妊娠10周目の朝。

「私は野菜が切れる」
となぜか思った私は、実家から送ってもらっていたにんじん、ピーマン、なすを細かく細かく刻みまくっていた。
ベーコンも小さくきり、トマト缶を入れて作った、ミネストローネ。

つわりを自覚し始めてから、初めての自炊だった。

夫からLINEが来て、「元気すぎて心配なんだけど…」と。

そのくらい、「もう完全に終わった」と二人ともが思っていた。

だけれども。
そんなにつわり様は甘くなく、ここからは「夜だけつわり」が始まった。

「元気いっぱいな朝」とは雲泥の差、といった形で、夕方からは意気消沈。ほとんど何も食べられないし、気持ち悪くてえずいてしまう。

午前中に頑張れば頑張るほど、その差は大きかった。

それまでは、1日具合が悪かったからマシになった、といえばそうかもしれない。
それでも、「元気な時もある」という事実は、私をより苦しめた。

「元気なのに洗い物ができない自分」
「元気なのに、仕事ができない自分」
そうやって「ダメなところ」ばかりを探して、萎えてしまっていた。

三歩進んで二歩下がるとはこのことで。
落ち込んでいると夫に「大丈夫。一歩は進んでる」と言われた。

妊娠16週。安定期と言われる5ヶ月に突入して
「きっともうこれで本当につわりがおわるんだ!!」と喜んだのも束の間。その日の朝に3回連続で吐き、ここに来ての最大の体調不良を実感。

ゲップが止まらず、喉のつかえがなくならない。
お風呂に入れない。
口の中がずっと気持ち悪い。
お腹が空くのに食べられるものが限られる。
締め付けが嫌で裸になりたい。
夫が楽しそうに動画を見ていたり、ご飯を食べていたりするのが羨ましい。

安定期とは名ばかりで、しんどい。しんどい。泣きそう

ポカリとゼリーを泣きながら摂取していたあの頃より100倍マシ。そう思いたいけど、思えなくて。

「大丈夫、先週より食べられている」という言葉に救われてここまできた。

でもそれが、いつになったら終わるの?
いつになったら…

初期のつわりより、「安定期のつわり」の方がしんどかった。
心が折れた。

つわりがない人が心底羨ましくて。

1日は24時間のはずなのに、100時間くらいに感じられた。
果てしない戦いで、この日々は終わらないんじゃないかと本気で苦しかった。

結局、私のつわりは、妊娠5ヶ月、20週くらいまでずっと続いていた。
途中からは、猛烈な腰痛に襲われていた。

腰が砕けて、日が暮れて。

もう散々で、もう頑張れなかった。

つわりは、お腹の子からのメッセージだ、とどこかで読んだ。

頑張りすぎるお母さんの場合、危機を感じて、つわりという形で休ませようとするのだとか。

確かに、会議を詰め込んだり、家事をやりまくったりした時に限って、ダウンする私。

お腹の中からはいつも「お願いだから寝てくれる?」というメッセージをくれていたのかもしれなかった。

世の中には、一定数、自分のHPを理解せず、誰かのために頑張り続けてしまう人がいる。

私もそのうちの一人で。

お母さんになったのになお、「仕事で成果を出して認められたい自分」「誰にも迷惑をかけずに仕事も子育て(妊娠生活)も家事も両立したいと思っている自分」を貫きたくて、そのギャップが如何にもこうにも大きすぎて、しんどくて、苦しかった。

周りから言われる「今はあなただけの体じゃない。無理をしちゃだめだ」
という言葉は、確かにその通りなんだけれど。赤ちゃんに悪いな、という気持ちはもちろん常にあるけれど。

それでも急に「お母さん」になって、全ての事象の優先順位が「子供」になる感覚が、まだまだ私の中に降りてこなくて、そんな自分のことを「母親失格だ」と思ってしまう自分もいて。毎日自分を責め続けていた。

新婚旅行へいざ行かん。

喉の詰まった感じは全く取れず、下着の締め付けが苦しい今日この頃。

さて、今日は結婚式をするはずだった日である。

快晴。

無理をしてでも、式を挙げて、来てくれた人みんなに
妊娠サプライズをしたらよかったかな。そう思う日もあった。
でも、結果、あげなくて正解。

安定期に入ってなお、私はオエオエしているのだから。

一生に一度の美しい花嫁姿で、醜態を晒したら、一生後悔する。
それに、お酒も飲めないし、食べられないし、匂いは無理だし….
 どう考えたって、高いお金をかけて式をして、苦しい経験になる未来しか見えなかった…。

さて、とはいえ結婚式に合わせて、10日ほど休みはとっていたから、何かに活かしたい。

子供が生まれたらおいおい旅行も行けないだろうし、と、夫と二人で
「新婚旅行計画」を立て始めた。

沖縄に行きたい、と夫。
飛行機に乗るなんて言語道断、と私。

今しかできない経験がいいのでは、と夫。
もし何かあった時すぐに病院に行けないと怖い、と私。

妊娠は、病気ではない。
でも、必ず赤ちゃんが元気で生まれて来てくれるかどうかなんて、誰にもわからない。
だから、「旅行に行ったことで何かあったら」「これを食べて何かあったら」と妊婦はトツキトオカ、ず〜っと気が気でないのである。

夫が気にかけてくれていないわけではないし、いつも一番に体を心配してくれるけれど、やはりこの「怖さ」は、当事者でないとなかなかわからない感覚だとは思う。

何をするにも罪悪感を感じてしまう。

何をするにも検索して

「安定期 旅行 いつから」
「妊婦 旅行 飛行機 だめ」

とか、根拠もないネットの情報に流され、その度に、夫と喧嘩をし、
それでも旅行には行きたいしそれでも何かあったら怖いし…

毎日楽しみなのか、はたまたもう気苦労が多すぎて行くのをやめてしまった方がいいのか…いろんなことを考えた。

そうこうしているうちに、お休みの日が明日に迫ってくる。
新婚旅行の行き先も、ホテルも前日に予約をする夫婦がどこにいるだろう。

「明日から、どうする?」

「え〜福岡?佐賀?長崎とか?いっそ鹿児島?」

振り返っても、そのレベル間の話を今ここでしているのか、と呆れてしまう。

一休や楽天トラベルで、九州で良さげのホテルを検索すると、どんどん夢が広がり、

「奄美大島いいなぁ」

「え、この高知県のホテル素敵じゃない?」

と、なぜか脱線しがちな私たち。

しかも、なんだかホテルを見ていると楽しくなってきて、
「やっぱり沖縄もアリかなぁ」など
一貫性のないことを思う、心配性のはずの私。

「っていうか、電車?」
「車?」
「観光電車とかもアリじゃない?」
「でも何かあったら、車の方がいいかな〜」

行き先も交通手段も決まらない。

しっかり計画性を立てたいタイプの方にとっては、とってもイライラする展開だと思う。

でも、私たちにとっては、
10日間、何かに縛られることなく、自分たちのしたいようになんでもできること、それ自体が嬉しすぎて、ギリギリでこんな話をしている自分たちに若干酔ってさえいた。

深夜0時を超えてもなかなかプランが決まらず、翌日。

「新婚旅行だしね!」と前置きをしながら、
たまたまキャンセルの出た、予約の取れない超高級旅館に予約を入れ、「ホテルステイを楽しむ」をコンセプトにした旅が始まった。

念の為、周辺の産婦人科もチェック。
母子手帳もしっかり持って、自己責任で、全力で楽しんでやろう!と決めた。

だだっ広い貸切露天風呂に入り、上げ膳据え膳で、受けたこともない最高級のおもてなしを受ける。

熊本県と大分県の県境にある「竹ふえ」

芸能人もお忍びで訪れるというそこは、私も夫も絶対に死ぬまでに行きたいと話していた憧れ宿であった。

結果、最高で最高で、最高だった。

お食事の後、テラスに案内され、プロの生演奏を聞きながらデザートをいただく。不意に、SMAPの「らいおんハート」が流れてきて、ケーキが運ばれてくる。

夫と二人でキョトンとし、振り返ると、出勤しているスタッフ全員集めたのか?と思うほど、15人ほどのスタッフさんたちから「ご結婚おめでとうございます」と祝福された。

びっくりしすぎて号泣が止まらない。

お部屋に戻ってもなお、生まれてくる赤ちゃんに、と
くまモンのぬいぐるみがちょこんと置かれている、粋なおもてなしを受け。

「もう…やりすぎだよ…最高だよ…」
想像以上のおもてなしに、心の底から満たされていた。


しかし。
帰宅後。


疲れがたたったのか、計り知れないほどの体調不良に襲われ、無理をしてしまった自分をまた責めることに。それでも、この経験は、あの時しかできなかったわけで。
お腹に手を当てて「ごめんごめん」と言いながらも、くまモンを抱きしめてまた一人あの夜の出来事に思いを馳せていた。

お肉を食べることは、生きることだった。10月16日はお肉記念日。

3ヶ月、一度も肉も魚も食べないなんて、今までで初めての経験だった。
もうこのまま一生、肉も魚も食べれずに死んでいくのかもしれない。
産後も、食欲が湧かないかもしれない。
そんなふうに、絶望にも近い何かを感じていたあの頃、食べることに喜びを感じられないことがこんなに辛いだなんて、本当に思わなかった。

でも。
その日は突然にやってきた。

「ああ、私は今日、肉が食べられる」

直感的に思った。
よく、つわりの終わりは、モヤが晴れたような、とか、かかっていた霧がなくなるみたいな、とかいうけれど、そんなんじゃなかった。

長いマラソンを走り終えた後のような満足感というか。

私にとって、一番の天敵だった「肉」が急に食べたくなったのであった。

意外と、溢れ出る食欲をコントロールできない!とか
これまで我慢していた分食べまくるぞ!とか

そんな気持ちは湧いてこなかったのだけど、

「肉が食べたい」と思えたことが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

せっかくなら、と夫が、とびきりの精肉店をチョイスしてくれ、
ハラミとタンとロース、キムチにナムルにビビンバに…

そこに、お家焼肉屋さんが開店したのである。

人生で初めて肉を食べた日のことはもう忘れてしまったけれど。
 
でもこの日、それに近いような感覚を覚えたのは確かである。

体が、明らかに喜んでいて、
どうしたって嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

胎動で眠れなかった深夜2時に思うこと。

10月13日、初めて胎動を感じた。

つわりが落ち着いてしまうと、元気にしているかどうかの確認が、如何にもこうにもしづらくて。

その度に病院に行くわけにもいかず、
夫に何度も聴診器を買おうと言ったのだけれど
「大丈夫、俺らの子だから」と謎の自信で却下されてしまっていた。

というところに来ての、胎動である。

「生きてる」を全身で感じた。

嬉しかった。
安心材料が増えることが、この時は何よりも嬉しかった。

夫とお腹に手を当てて、「動いた!」と言い合う時間。

絵に描いたような幸せな時間だった。

はずなのに….

イラッとしてしまったあの日。

それは、11月29日の深夜1時をすぎた頃のことだった。
全く胎児は寝ず、激しすぎる胎動に、のたうち回る私。

ホットミルク飲んだり、スマホをいじったり、室温を高めたりして
寝るための工夫をたくさんした…が、深夜2時になっても、4時になっても…一向に寝てくれない。ずっと動き回っている。
なぜ!!!

スマホで検索すると「お母さんになったら睡眠時間なんてとれない。そのための練習」みたいに書かれていて、「開き直って昼に寝よう」とのことだった。

明日も仕事だけど、仕方ないからうまくリスケジュールするしかない。

ドン、と叩かれるたびに「寝てよ」と思ってしまう。

イラッとしてしまった自分が嫌で、涙が出た。

可愛い我が子の動きにストレスを感じるなんて母親失格かなと思った。

でもきっと、みんなこうやって母になるんだと思った。

私の母も、夫の母もきっと寝れない夜を過ごして、でもそんな日もきっと忘れてしまって、いい記憶で塗り替えられていくんだろうなと。

胎動を愛しく思えない時があってもいいよね。

ずっとずっと大好き、だなんてそんなの難しい。

あのまま結局徹夜したあの日のことを今でもまだ覚えてる。

たまに自分を責めそうになる時はこの日に立ち返る。

どんどん空が明るくなっていく様子を見ながら、明けない夜は無いんだなと感じたあの日。

それにしてもこんなに激しく動くなんて…妊娠するまでは知らなかった。
お腹の中でボクシングの試合が始まったかと思ったよ。

こんにちは、僕は男です。

10月24日。里帰り先の病院で、スクリーニング検査とやらを受ける。

胎児の異常がないか調べる検査。自費で6000円。

どうでもいいけど、妊娠にはお金がかかる。もちろん払うけど!
少子化対策云々というのなら、ぜひともこうした「チリツモ」のお金を少しでも負担してもらえたらなぁなどと思ってしまう。

出産時の入院の時の部屋の代金とかそういう目に見えてわかりやすいものだけじゃなくて、病院に行く時の交通費とか、大きくなっていくお腹に耐えうるような下着代とか、そういう、別に家計簿に入れなくてもいっかな〜みたいな数千円単位の集合がものすごい額になっていたりする。

というわけで、いつものお腹のエコーより、遥かに長い時間かけて、じっくりと説明されていく。

検査技師さんは、もちろん客商売ではないから全然いいのだけれど、
はて何を言っているのかさっぱりわからない。

「ここが頭位になりまして、何センチでして、こちらを向いているのですが、そして、こちらは背骨でして、ここがこうなっているのが…」

かろうじて聞き取れたのは、この子供は横を向いているから顔が見えないということ、性別はまだ判定が難しいということであった。

その後、ドクターの先生から、改めて検査の報告を受ける。
なんとびっくり。診察室は4人体制。
しかも1人は、おじいちゃん先生のためにパソコン打つのをかわっている役目。

目を細めながら先生はいう。

「はい、顔は横を向いていて見えませんでしたね。」
「頭の大きさは、このくらい、正常です。
手や足、問題ないですね、
性別は、男。
はい。何か質問ありますか?」

え。
今なんて言った?

いつも通っているクリニックでも、先ほどの検査欺師さんも、性別はまだわからないと言っていた。
わからないことないのかもしれないけれど、後から「違ったじゃないですか!」みたいなことを避けるためにも、しっかりと確認ができるまではそれをそれとして告げないのかなと思う。

にしても、おじいちゃん先生〜〜〜!やる〜〜〜ぅ。笑

なんの迷いもなく、自信満々に「男です」と言ってくれて、ありがとう。

命が宿った時から、なぜかずっとずっと女の子だと思って話しかけてきたけれど、そうかそうか、男の子。

自分と同じ性別だとわかり、愛おしそうにお腹を撫でる旦那を見ていたら、
将来二人でキャッチボールしているのをにっこり見つめる母親、悪くないじゃん、と思った。

娘の私に戻る時間。

妊娠22週。流産の心配がないと言われる時に突入し、安心したのも束の間、
お腹がパンパンに張ってる気がする日が増えて、如何にもこうにも行かない時間が流れている。

気がする…というのは「これが張っているのかどうか」がいまいちわからないから。

針を刺したら弾けそうなくらい、パンパンの風船がそこにある。
片道10分のコンビニに行き、1時間半かけて帰ってくる。
そのくらい、お腹がどんどんどんどん重くなっていって、これが責任の重さなのか、と独りごちる。

足の形で浮き出てくるほど、激しい胎動に、本当におどろかされる。

さて、27週にして、飛行機に乗り、私は里帰りをした。

妊娠9ヶ月と臨月は、久しぶりに実家で過ごすこととなる。

結婚してから実家に行くことがぐっと減った。
だからこそなんだか、いつもの自分ルーティンではない生活をすることは気恥ずかしかったし、でも、これから親になるという不安を抱えて過ごす時間は、未経験の夫とより、経験者の「両親」が近くにいてくれることは心強く感じた。

実家は、とかく快適だった。素晴らしく幸せだった。

「骨が強い子に生まれるからね」
「出産したら体ボロボロになるからさ」
とあれこれ言いながら、食後に必ず「食べる煮干し」を出してくれた。

言われるがままに食べると、「えらいわぁ」と褒められる。
小学生か、と思うような時間がそこにあって、
「あぁそうかぁ、私はいつまで経っても二人の子供なんだもんなぁ」と当たり前のことを思う。

炊事洗濯掃除、何もかもやってくれる母。
流石に、甘えてばかりもいられない。というか、流石に暇すぎる。
「臨月妊婦だって動いた方がいいらしいよ」と伝え、その日から、床の雑巾掛けは私の担当になった。

役割が与えられたことが、まずとっても嬉しかった。

相変わらず激しい胎動に、眠れない夜。

諦めてスマホをいじると、もっと眠れなくなる。

「暗いとこでスマホいじらない!」と
いつまで経っても子供みたいに注意される私は、
どこかこのやりとりを遠くから傍観してニヤニヤしてしまう。

母とは、きっとそういう生き物なのだ。

ずっと注意していたくて
ずっと気にかけていたくて
ずっと子供でいてほしいと思う
そんな優しくてありがたい存在なのだ、と。

これまで、私は母に甘えることが苦手だった。
母には、いつだって褒められたかった。

でも、違うのかもな、と思った。

ケーキが食べたい娘と、妊婦の体重増加を気遣う母。
スマホをいじりたい娘と、視力の低下を諭す母。
そんな優しい衝突が、なんだか嬉しかった。

母と子は一心同体。
だからこそ誰よりも分かち合えるし、誰よりも衝突する。
一番近くて、一番遠いとも言われる存在だけれど、一番の理解者であることに違いはない。

子供が生まれたらなかなかこんなふうに私に手をかけてもらうことなんて
できないだろうな。
だったら…と。
「子供」である時間を堪能させてもらおう。できる限り甘えようと、心に決めた。
そこからの2ヶ月間は、今までで生きてきて一番堕落していたのでは、というくらい母に頼りっぱなしで、最高にまったりゆったりした日々だった。

「陣クス」とやら。

いよいよ、3月に入った。
内診では子宮口が1センチほど開いていると言われ、「そろそろお産が近そうですね」と院長先生。来週の検診は、予定日の日に予約してある。

「まぁ何もなければ普通に来週も検診に来てください。」「じゃあまた〜!」

先生の言う「そろそろ」は、どのくらいなのだろうか。
とにかくその頃は陣痛をとにかく起こさせたいと躍起になっていた。

陣痛を起こさせたいと聞くと、「なんで?」と思う方も多いかもしれないが、
自然に陣痛がくる〜ということは、あまりないようだ。

妊娠38週くらいになると、できる限り歩いたりスクワットしたり、子宮口を開かせるようなアプローチをするべきだとYouTubeで学んだ。

陣痛は怖いけれど、でも、予定日が刻一刻と近づいてくると、焦りも生まれる。
予定日はあくまで予定日。
せっかちな私は、赤ちゃんが安全にいつ生まれてもいいと言われる時期に入ったと知ったその日から、いかに早く赤ちゃんに会えるかを考えていた。

病院からの帰り道。1万歩あるいて、ランチで高級焼肉店へ向かう!
これは、巷で話題の「陣クス」(陣痛ジンクス)というやつである。

オロナミンCを飲むと陣痛がくる、焼肉を食べると陣痛がくる、などなど…。
本当かどうかは置いておいて上手いことを考える人がいるものだなと思う。

出産したらおいおい焼肉屋さんなんていけないだろうし、ここぞとばかりに楽しみ、「陣痛、くるかな〜」と母と笑い合った。

翌日。

39週1日のその日、長期出張中だった夫が帰ってきた。2日の公休の後は1週間のリモートワークが決まっており、その後はまた出張が続く。

どのタイミングで生まれるか、もはや賭けにも近いくらい夫はその当時
日本中をあちこち常に縦断しており、妻のメンタルはたまったもんじゃなかった。

このオフで、夫がいないとできないことを、一つ一つこなしていく。
ようやくベビーベッドをレンタルしに行き、ベビーカーも購入した。

その日は、いつもと「ルーティン」が少し違っていた、気がする。

普段は先に夕飯を食べるのに、なぜかその日は違った。
19時。お風呂にまったり入り、普段はしないのにゆっくりマッサージをしている私。
お腹を触りながら、赤ちゃんに話しかけた。

「パパは今日と明日はお休みだから、出てきてくれたらパパに会えるよ!しかも、これから1週間はお家にいるから、退院の時も会えるよ〜!でも、焦らなくてもいいよ!どっちでもいいよ!でもママは病院のひな祭りのご飯が食べたいな〜」と伝える。

産婦人科は、季節ごとのご飯を出してくれるのがウリで、3月の季節ご飯はまさしく明日、ひな祭りの特別ご飯なのであった。

「いつでもいいからね。」の言葉に、息子は大きくキックで答えた。
胎動は、外から見てもわかるくらい激しく、お腹の形は息子のキックによってウニョウニョと動いていた。

お風呂から上がり、料理の下ごしらえをしてくれていた夫とバトンタッチをする。

夫特製のご飯がもうすでに4品出来上がっており(チゲ風の魚介のスープ、鯖の味噌煮、ご飯、菜の花とホタルイカの和物)がキッチンに並んでいた。

「味見してみてー」と言われ、そのおいしさにバクバクつまみ、夫にバレないようにその形跡を隠す。

もうこのままでも十分すぎると思ったが、どうしてもどうしても、カニカマの卵あんかけが食べたくなり、それを考えると、いてもたってもいられなくなり、豆腐とネギ、カニカマで、簡単に豆腐のあんかけを作った。
鶏がらスープの素でシンプルに味付けしただけだけど、優しさはちゃんと詰め込まれてる。

「お!あんかけにしてくれたんだ!いいねぇ」
なんてことない簡単な料理でも褒めてくれる夫に、自己肯定感が上がる。

2人で料理を並べ、たまには、とノンアルコールビールで乾杯をした。
今日は少し居酒屋気分で、と決めていたため、おつまみに、ちょっと高級な燻りがっこ入りのチータラまで、用意してある。

20時半、たわいのない会話をしながら食事をする。

この日のテーマは、最近オープンした某テーマパークについて。
思ったより経費をかけていないように見えるが、どのくらいの収益を見込んでいるのだろうか、テーマは面白いけれどリピートする仕組みづくりではないのではないか、そもそもこのテーマで20年続けるのは難しいのでは?など、全く可愛らしくない会話をしながら、なぜかビジネストークになってしまう2人。
付き合った頃から、仕事が好きすぎる私たちは、気を抜くとすぐビジネストークをしてしまう変な夫婦である。

「かまってよ!!!」
そんな声が聞こえたか気がした。

21時、それはあまりに突然の出来事だった。いつものように夫と談笑しながらYouTubeを見てたら、突然お腹が痛み、ご飯を食べる手が止まる。
その瞬間、自分の下半身がなんだかいつもと違うあたたかさに包まれた気がした。

痛みは、一瞬で引いていく。なんだか、水が…出た?

「あれ、これ破水かも」ヘラヘラトイレに行く私に、

「冗談?本気?」と笑う夫。

まだこの時はお互いに、「そんなはずないよね」と思っていた。

破水と尿もれは間違えやすいらしく、それで病院に行って帰らされたという話もたくさん聞いていた。

きっとそうだろうな〜と思い、油断していると…

驚くほどの水が、私の中から溢れてきているではないか。しかも、頑張って止めようとしても、止められない、これは、あれだ、完全にHASUIだ!!!!

トイレから大きな声で叫ぶ。

「破水キット持ってきて!!!」

何度も、こんな日が来るかもしれない、とは思っていた。
なのに、夫にその場所を伝えることを怠っていたズボラな私は、事前準備を怠ってしまっていた。

夫に、何も伝えていないのである…。

「え、どこ!?」
「破水セット!どこ?????」
「俺タクシーに電話する!!!タクシー…いや俺が運転するんじゃん」
「あ!病院に電話するね!あれ…やっぱ先にお義母さんに電話するわ!あれ連絡先、あれ、どこだっけ!」

パニックでてんやわんやになり、何を喋っているのかよくわからない夫が、そこにいた。

「電話はいいから!!!!」

幾分冷静な私が、どうにかこうにか口頭で破水キットの場所を伝える。
ベビー専門店か何かの試供品でもらっていたそれ(ショーツと破水専用パッドのセット)を試す。いくらか水分を吸い取ってくれるのかと思いきや、甘かった。

わずか3分で、もはや機能していない。

もはや、お漏らしをし続ける女のようになってしまっている。
どうしようもなく、夜用ナプキンを何枚も当て、バスタオルを常に自分の座るところに引きながら這うように移動する。

何度も頭でシミュレーションはしていた、でも、いざ病院に電話するとなると緊張して、「これ、やっぱり尿もれとかありえるかな」などと、電話しなくていい言い訳を考えてみたりする。

時刻は21時を過ぎている。陣痛・破水専用ダイヤルに電話をかけると、時間外だからなのだろう、警備のおじさんのような方に電話が繋がる。
「看護師に繋ぎますね」と言われ、繋がれた助産師さんから「即入院です。今から来れますか?」と優しい声で告げられた。

なんだか、地に足がつかない感覚で、私は、そして夫もどこかふわふわしていた。

でも、「あぁ、陣クス当たってる〜」と笑える余裕はあった。

入院セットを入念に入れ替え、パジャマから服に着替え、歯磨きもしっかりして…その間、夫はなぜか洗い物をしていた。
人は、パニックになると、一旦ルーティンワークをすると落ち着くのかもしれない。

ようやく出発の準備が整い、いざ。

母と父にも車中で電話し、
「私、ちょっくら出産してくるわ!」
と事前に決めていたポジティブワードを元気に伝えた。

出産前に読んだ本にあった言葉。
陣痛時には「痛い〜」を「イェーイ」に変えてしまおう!

無茶だろ、と思いながらも、私はそれを実践すべく、できるだけポジティブに捉えることにしていた。

ネガティブよりポジティブに。
そのほうがお産がどんどん進むと。

それにしても…「イェーイ!」
そんなこと。

陣痛中に言えるだろうか。

どれほどの痛みなのか、本当にわからない。
耐えられるだろうか。

それでもここまできたら産むしか選択肢はない。頑張るしかない。

電話を切ると、少しずつ下腹部が痛み出した。
前駆陣痛だろうか、アプリで痛みの感覚をカウントしてみるも、それは不規則で参考にならない。

陣痛は、初めてのお産の場合、だいたい10分感覚で痛みが襲ってくることを指すのだという。

でも、まだまだ「たまに痛い」程度。

いつ、生まれるんだろう。
誰にもわからない問いを、真っ暗闇の車の中で考える。

22時に無事に病院につく。
夫は、「ひとまず妻と子を無事に送り届ける」という任務を全うしてくれたからか、どっと疲れているように見えた。

いろんな想いが錯綜する中、私は便箋5枚ぎっしりの手紙を夫に渡す。

もちろん、母子ともに健康で戻ってくる。また会える。
絶対大丈夫。

それでも、出産は命懸け。
伝えることができるうちに、しっかりと自分の気持ちを表現しておきたかった。

この時期は、まだまだコロナの影響が大きく、陣痛中の立ち合いや、入院中の面会もできなかった。
だからこそ、会える時にめいいっぱい、感謝を伝えておきたかった。

これまでの妊娠生活を支えてくれたことのお礼、産後の私が豹変してもどうか耐えて欲しいというお願い、そして生まれてくる我が子を二人で命懸けで守っていこうと。

気持ちがどれほど伝わったかはわからない。

それでも感情表現の少ない夫が後から「泣いたよ」とLINEしてきてくれたのは、嬉しかった。

破水したら、すぐ生まれると思ってた。

妊娠中の女たちの天敵は、これでもかというくらいある。

つわり
食事制限(生物は食べられない・体重を増やし過ぎたら怒られる)
運動制限(重いものを持ったらダメ、過度な運動はダメ)
行動制限(岩盤浴はやめておきましょう、ネイルも控えましょう…)

そして最後の最後、臨月あたりから苦しめられると噂なのが…

「内診グリグリ」である。

子宮の開きを確認すべく、指を入れて確認される、というやつ。

ここにきて初めてのグリグリをされ…なんとも形容し難い不思議な気持ちになった。
痛いとかより、なんだか違和感がすごい。
できれば二度とされたくない経験であることは、間違いなかった。

「出産」は「産む」だけがしんどいわけではない。

産婦人科で、膣の状態をチェックされるあの瞬間、妊婦健診での毎度の体重測定と尿検査。

あげたらキリがないくらい、

「仕方ないけど、乗り越えないといけないこと」がわんさかある。

えらいねって言ってくれる人がいないから、自分で言うしかない。
当たり前なんて思わなくていい。
赤ちゃんのために頑張ってる妊婦さんはみんな、えらい。とっても、とってもえらいんだよ。

と、ここで全妊婦さん、全お母さんに伝えたい。

赤ちゃんの状態を確認するNSTという検査をやってもらうものの、陣痛は来ていないと。

破水しただけでは、子供は産めない。
陣痛が来ないと、お産にならない。
肝心な陣痛は、少し遅れてやってくるのだろうか。

「張りを起こすために、スクワットとかしてもいいですか?」
陣痛を起こさせ、安産につながるという技を助産師さんに尋ねてみる。

「あ〜、でも〜、破水してるからね〜無理しないで〜」
とやんわり止められた。

それでも、と思い、スクワットを3回くらいやろうとした瞬間、また水が漏れ出した気がして、おとなしくいうことを聞くことにする。

私は、人の声や動きに敏感で、誰かと同じ部屋で生活するなんて、どう考えても無理だと思った。
だから、料金は高くなるけれど、個室を選んでいた。

しかし…用意された部屋は、新生児室、ナースステーションのすぐ近く。

どこかの赤ちゃんは永遠に泣いているし、これからどうなっていくのか…と、不安と興奮が入り乱れていて、なかなか寝付けなかった。

水はまだまだ止まることを知らず、病院から支給されたお産パッドを使い切ってしまうくらいの勢い。その水に少し赤いものが混じり、これが俗にいう
「おしるし」(そろそろ出産の合図)なのだとテンションががあった。

破水から24時間以内に9割の人は陣痛がくると言われている。

その日の深夜、少しは痛みがあったものの、翌朝にはすっかり何もなくなってしまっていた。

朝ごはんを食べ、ダラダラし、陣痛が来るように祈り、昼ごはんを食べ、ダラダラし、祈り…本当に何もしないまま、スマホばかりを見つめていたら、気づいたら夕方になっていた。

病室に初老の医師が入ってくる。
「普通は9割の人は陣痛くるけどねぇ」

「普通」じゃないのか…?
タイムリミットの24時間まで、あと5時間。
昨日破水したのが21時くらいだから…まだまだ…これからだと思っていた。

「この後夜に陣痛が来ればいいけどね、来なかったら、促進剤!これを打つからね、説明します」

起こりうる可能性が並ぶ。

怖い言葉ばかりが並ぶ。

交通事故に遭うくらいの低い確率で、それらのリスクがあると言われ、
もはやそれが本当に「低い」のかもわからなくて狼狽えてしまう。

「まぁ、陣痛くれば、このサインもいらないんだけど、一応ね!一応!
ここに署名ください。陣痛来なかったら、朝から促進剤します。」

なぜ、私の陣痛はこないのだ。

時間はどんどん過ぎている。

夕食も食べ、ここに来て、伏線回収かと思うくらい、しっかりとひな祭り御前(天ぷらに、ちらし寿司に)を堪能した私は、お腹をさすりながら呟く。

「ママがこれ食べたいって言ったから?
いいんだよ〜〜、もう食べたよ!出ておいで〜〜」

なんとなく、今日はもう陣痛がもうこないんじゃないか、と思えてきた。
母の勘。当たってほしくないそれは見事に的中して、それから深夜になっても、私のお腹はびくともしなかった。

「本当に、産めるのかな」
「促進剤って…大丈夫なのかな」

インターネットでいろいろ調べてみると、促進剤を入れるとお産がどんどん進んで「痛すぎる!」という人もいれば、促進剤を入れても、全く進まず、帝王切開になったという人もいた。

もう、どんなお産になってもいい。
母と子供が無事であれば、それが一番だから。

でも、早く、早く産みたい。
早く、早く楽になりたい。

タイムリミットの21時を過ぎ、深夜になっても全く陣痛が来ず、いよいよメンタルが穏やかではなくなってくる。夫に泣きながら電話をし、どうにかこうにかなめられ眠りにつこうとしたその瞬間。


やってきた。


これは誰がどういったって陣痛だ。

寝返りが打てない。
急激に下腹部が痛く、猛烈な胃腸炎になったようなそんな痛み。

2時、陣痛カウンターでチェックすると、いよいよ10分間隔になっていることに気づく。


ナースコールを押してみる。もう生まれちゃうかもしれないとか思ったけれど、助産師さんによると、鎮痛の痛みはこんなものではないらしい。間隔も15分とのことで、これでは陣痛と言えないと言われた。こんなに痛いのに、これが陣痛じゃなかったらじゃあこれは何なのだと悲しくなってくる。

ただ、我慢できないかと言われたら、そこまででもない気もしてくる。
痛みをごまかしながら、どうにかこうにか眠ろうと、目を閉じた。

いよいよ決戦の時。

深夜になんとなく陣痛っぽいものが来ていたことで、私は安心しきっていた。

24時間以内に陣痛が来なかったら促進剤と言われていたが、少しオーバーして30時間位ならきっといいんじゃないかと思っていた。そんなわけは、なかった。

助産師さんがやってきて、今日の流れを説明してくれる。
破水しているため、今日から点滴を打たないといけないとのこと。それは理解できた。

そしてその点滴が落ち着いたら促進剤を入れていくと言われた。
ただ、何故かそれはよく理解できなかった。

お腹に赤ちゃんがいると、マミーブレインといい、脳の機能が少し圧縮するらしいが、私は言われていることが何を指しているかあまり理解できていなかった。

この時の私は、「深夜に陣痛が来ているから、促進剤は打たないはず」と、なぜかよくわからないが、信じきっていた。

そのため、「これから促進剤を入れるよ。」「今日会えるといいね。」などと言われているのに、これから自分にどんなことが起こるのか、全然わかっていなかった。

私は、ペットボトルのお茶1本とスマホのみを持ち、分娩室に向かった。

せっかく、病室にはこれでもか!というくらいの陣痛に耐えるためのグッズ(カイロ、タオル、テニスボールや、お菓子、ウィダー、ペットボトル4本などなど…)を用意していたのに、全て置いていった。

本当に今思い出してもわけがわからない。

9時になった。
担当の助産師さんが、早口で何かを言っている。しきりに「すみません」を連呼され、何がすまないのか、何もわからないまま、私は頷く。

わずか30分後、定期的にお腹の痛みに襲われる、これはあれだ、経験のある痛みだ。

リモートワークをしながら家で待機している夫に連絡をする。

「とりあえず、定期的に痛いゼェぇぇ」

「応援してます!今日休み取ったからしんどい時いつでも連絡していいからね」
休み、取ってくれたらしい。
というか、 ただ待っている、って意外と一番気が気じゃないよね。仕事なんかしてられないんだろうな。

9時43分。
「痛すぎるとすうのとはくのわからなくなるわ」
「まだ波があるけど、痛みきたら生理めっちゃ重いみたいな感じ」

実況中継をするだけの、余裕はある。

10時28分。
文字を打つ力がなくなる。そして、分娩室に助産師さんの姿はない。
立ち会いができない中、たった一人で、この孤独を乗り切るのは、この痛みと戦うのは、流石に無理があった。

ビデオ電話を繋ぐ。
痛みが来たら、呼吸を意識してどうにか気を紛らわす。
あれだけ練習していたのに、自分が自分じゃなくなるみたいに、どんなふうに息を吸ってどんなふうに息を吐けばいいのか、さっぱりわからなくなっていた。

夫の声がけに合わせて、呼吸をする。
誰も褒めてくれない中、電話越しの夫が「上手!」と言ってくれるのが、何よりも心の支えだった。
5分間隔くらいで、でも、体感的には3分間隔くらいで痛みの波がやってくる。

ああ、テニスボール持ってくればよかった。
ああ、飲み物、もっと持ってくればよかった。
何してるんだろ、私…
と、今更後悔し始める。

助産師さんがやっと戻ってきてくれ、痛みのピークの時に内診をされる。

痛い時に痛いことしないで…どうか優しい言葉をかけて…
叫びたい気持ちを堪え、じっと耐える。
思えば、あまりに静かにしすぎたから、この人は痛みに強いと思われていたのかもしれない。

10時40分
相変わらずお腹が痛い。
湯たんぽを用意してくれ、それを当てている間はマシに思える気がした。
正座してみたものの、痛みは変わらず。
なぜかトイレ行くように言われ、やっとの思いで立ち上がる。

「3センチ開いてます」
内診でそう言われ、これだけの痛みで、しかも2時間頑張ってこれか...この後の果てしない痛みを想像して、気が滅入る。

内診だけしたら助産師さんはまたどこかに行ってしまう。

隣の部屋で、叫び声が聞こえる。だいぶ大変そうなお産が始まっているようだ。

11時1分

「ちょっと結構しんどい」

弱音を吐くしか、なくなってきた。
誰でもいいから、私のそばにいて欲しかった。

11時29分

「ななせんちだって」

漢字を変換する元気もなくなってきたこの頃は、もはや、自分が自分ではいなくなっていた。

100キロの巨大なハンマーで、お尻を1分おきに殴られ続けるような。

「ダンプカーで踏まれる」とか「鼻からスイカ」とかよく言われるけど、
その形容は正直よくわからない。

とにかく頭の中は「今からでもこの痛みを中止する方法はないだろうか」だった。
二人目欲しい〜と思っていたけど、こりゃ無理だ、絶対にもう経験できない、無理すぎる、本当に無理、ずっとそんなことを思っていた。

身体の内側の至るところから、急に容赦なく殴られる。

骨盤全てがボッキボキにされ、圧縮機にかけられたかのように鉄のハンマーでお腹と腰を打ち砕かれている。それもプレスされてる感じが長すぎる。
「ぎゅうううううううううううううううううううう」って感じ。

1分おきに訪れる束の間の休息が、天国のように感じられた、が、体感では休憩時間はわずか10秒くらいだった。

私自身が、粉々にされている。

腰とおしりから今にも何かが突き出てくるのではないか。

こんな感覚は生まれて初めてだし、文章を書きながら、形容詞でこんなに苦戦したのも初めてだった。

呼吸を意識するも、吸うのか吐くのか、もうよくわからなくなる。

ここからは、実はあまり記憶がない。


12時 お昼が運ばれてきた。

真っ赤の豆乳担々麺と、油たくさんの春巻き。
そう、嘘じゃない。真っ赤っかの担々麺が、今、ここにあるのだ。

なぜこれが病院食なのか…そしてなんで今日に限って担々麺なのか…
匂いが分娩室に充満する。
コントなのか、と思うほど、この緊迫感と担々麺が絡んでなさすぎて、笑えてくる。

せめておにぎり…うどん、いやもうあの担々麺と春巻きのコンボに比べたら、もはやなんでもいい。
献立表に載っている、どの日よりも一番ヘビーなランチがそれだった。

結局、奇跡的につけられた気持ちばかりのマンゴープリンを一口齧り、食事は下げてもらった。
「食べられなくて申し訳ない」と思う余裕は一切なく、「早く私の視界からこの食べ物を消して」「そしてこの部屋を1秒でも早く喚起して」と朦朧としながら思っていた。

「ちょっとお隣に行ってるので何かあったらナースコールしてください」
ご飯を下げられるとそう言われ、私はそこから何をどうしたらいいかわからないほどの苦しさに溺れていた。

ナースコールは、押せない。
どの程度が「何かあったら」なのかわからない。
忙しいところ恐縮ですが、私を優先して欲しいです、、と思ってしまう。
余裕などない。が、ナースコールに手が伸びないくらい、もう体を動かしたくない。

幾分痛みが和らぐポーズを開拓しようと試みるも、急に「ずっっっっドン!!!!」と電気ショックが来る感じ。

「今どんな状態ですか?」
「あとどれくらいで生まれますか?」
「お隣の出産を待ってから私ですか?」
聞きたいことはごまんとあるが、口を開く余裕は、もう全くない。
そして、スタッフさんは、いない。


「おめでとうございます!!!!」
隣の部屋で、出産が終わった、んだと思う。

気分が滅入る。おめでとう、と思える余裕は今はない。私に構って…泣

12時45分。

担々麺を下げてくれた助産師さんが内診のために入ってくる。

やっと…会えた。
泣きそうになる。

「大丈夫ですか?」
大丈夫なわけない。もう返答する余裕はない。

「お…9センチ」

そう呟いたのを、私は聞き逃さなかった。

え、それってもうあと1センチ…

と思った途端、突然に助産師さん4.5人入ってきた。
酸素をマスクつけられ、手厚く「呼吸しましょうねー」「赤ちゃんに酸素を送ってあげますよ〜」と呼吸を促される。
この時は気づいていなかったが、あまりの痛みに呼吸の意識が薄れ、赤ちゃんに酸素が行かなくなってしまって苦しんでいたようだった。

その時の私は自分のことしか考えられず。何が起きたかはわからないにせよ、ずっと一人で部屋にいたのに、急に5人もスタッフさんに構ってもらえて、ちょっと嬉しかった。

そして、いよいよ。13時。子宮口がマックスの10センチまで開いたという。

「旦那さんに連絡できますか?」

この時を、待っていた。
心の底から、待っていた。
分娩中、生まれる直前だけ夫は立ち会いを許可されている。

ただ、今は、無理すぎる。酸素マスクをつけ、痛みのピークの状態でどう電話しようものか…。

お隣の出産の時は、助産師さんが電話しててくれたのに…と若干の格差に悶々としつつも、痛みが消えた一瞬でスマホを開き、LINEで一言メッセージを送る。

「来れる?」

自宅から病院までは車で30分。
ドタバタな中、夫は、本当にピッタリ30分で病院にきてくれた。

その間、私の分娩台の周りでは、お産の準備とやらが着々と進められていた。

いろんな人が行き交い、クライマックスという雰囲気が漂っている。

私は、酸素マスクをつけたり、外したり、叫びそうになったり、我慢したり、もうこの瞬間は人間というより動物になっていたと思う。

「さぁ、いきみについてお伝えします。」

学校の講義かのごとく突然始まった「いきみレッスン」も、全然頭に入ってこない。

まず2回深呼吸し、そのあとお臍を見ながら呼吸をとめて、目を閉じないで足を広げたまま便を出す感じ。
と言われても、長いし、もう呼吸ってどうやったっけ???状態な訳で。

「旦那さんは到着されて、部屋で待機してます〜」
と別の看護師さんから聞こえてくる。

「もう来てもらおう!」
夫は到着早々、もうこの部屋にやってくるらしい。

「いきんで!」
「はい!目を閉じない〜〜〜!」
「大きな声は出さないよ!!!」

テレビでよくみる、THEお産が始まった。
いよいよ、佳境である。

とにかく汗が滴り落ちまくって、拭いても拭いても湧き出てきて
喉もカラッカラに乾いているけど、安すぎるストローキャップが意味をなさずに上手に飲めない。

いきみもよくわからないし。

どうしたらいいの…とパニック状態の私。

それでも、大きくは間違ってはいないようで、
もう自分のタイミングで、勝手にいきむことにした。

今いきんでいいですか?とか初めは聞いていたけれど、
もう敬語を使う余裕はない

「いきむ!」
とか
「いま!」
とか
宣言した上で、臨む。

人間は、こんなにも踏ん張れるんだ、
私たちは、こんなにも限界突破できるんだ、
冷静にそんなことを考えていたように思う。

こんにちは、あかちゃん

めいいっぱい両側のバーを握り締め、おへそをこれでもか、と見つめ、目をかっぴらいて、私の中の全ての神経たちを集中させる。

私の中の全ての細胞が、全力で手を取り合って、覚醒している。

うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

「頭が見えてきましたよ」

その言葉に、もう一度いきんでみる。

うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおお

「はい、あんまり叫ばないでね」
「私の方を見て!!!!目、開けて!!!」
「旦那さん、支えてあげて!!!!」


もう、終わらせたい。

終われ、終われ…


赤ちゃん…頑張れ、頑張れ…

渾身のいきみを続けていく。

もう、自分がどんなふうに見られているかなんて、それどころではない。



うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉわぁぁぁああああああああああ



どれくらい、時間が経っただろうか…






ふと、優しい声が聞こえた気がした。

「はい!もう、力抜いていいですよ〜〜〜」




その瞬間。



・・・



・・・



ぉんぎゃぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



けたたましいサイレンかのごとく、泣き声が聞こえる。
母の叫びより、はるかに大きな声で、その子は泣いている。泣き止まない。


すぐそばで聞こえるなぁ。

ぼんやりそんなことを思ったら、


それが、


それが



私の息子の泣き声だった。



やっと、


やっと、


終わった。




疲れた、大変だった…..


お産の大変さは比較するものじゃない。


何日も何日もかけてこの痛みを乗り越えて出産する方
緊急で帝王切開になり、恐怖と闘いながら出産する方
あれよあれよと出産が進み、するっと出産する方

様々だ。
だけど、

私にも、産めた。」

それで、それだけで。


十分じゃないか。


安産だったと、思う。
時間も短かった方だと、思う。

それでも、こんなにも頑張った。


産んだ後、夫は何度も「ありがとう」と言っていた。
助産師さんたちと喋りながら、生まれたばかりの息子の写真を撮っている。

そんな様子をどこか遠くから、ぼぉっと私は見つめていた。


私のことじゃないみたいな、そんな感覚だった。

今、私は母になった。

娘だった私が、母になった。

守るべき存在ができた。


10ヶ月も一緒にいた存在に出会えたことで感動して号泣…と予想していたけれど…

現実は、

「疲れた」


の一言だった。


満身創痍。

こんなにもこの言葉があう瞬間を私は知らない。


いつもの癖でお腹に手を当てて「えらかったね」「頑張ったね」と話しかけてしまう。

が、もうそこに息子はいない。

清潔な状態にしてもらい、ベビーベッドに入れられた息子と、15分間の面会の時間。

あの時間を、私は絶対に忘れない。

もう、何にもいらない。

これまで生きてきて欲しかったいろんなもの、全部いらない。
地位とか、名誉とか、お金とか、高級な鞄とか、豪華な料理とか、
そんなものは、何も。


この子さえいてくれたら、本当に何も。


私は、この子に会うために生まれてきたのかもしれないと
本当に恥ずかしげもなく思った。


29年間、人並みかそれ以上くらいの人生経験は積んできたと思っている。
そんな中で、どの成功体験を持ってしても、「もっとすごい人がいる」「私なんて」と思っていた。
どこか、いつも自分のことを自分が一番認めてあげていないところがあった。

でも、今日この日を持って、私は私が素晴らしい存在だと胸を張って言える。

息子をこの世に誕生させた。

私じゃないとできなかったこと、私だからできたこと。

そんな経験を生まれて初めてしたことで、自分のことが、心の底から誇らしく思えるようになった。


入院中は、息子があまりに可愛くて、狂おしいくらい可愛くて、わけがわからなくて、感情がコントロールできずによく泣いていた。

病院に持ち込んだ箱ティッシュは2日で空になり、そこからは、トイレットペーパーで涙を拭っていた。

子供のことは元から好きだったけれど、我が子がこんなにも愛おしくて愛おしくて、他に何も考えられないくらい可愛い存在だなんて、本当に知らなかった。

これから、毎日が幸せでいっぱい!なんてそんな楽しいことだけではないとは思う。

子育てに悩み、仕事との両立で悩み…それこそ想像できないような試練はたくさん降りかかってくるだろう。

でも、そのたびに思い出したい。

息子と過ごしたこの10ヶ月を。

猛烈な痛みと共に、家族で乗り切った今日という日を。


こんにちは、赤ちゃん。

世界はあなたが思うより、楽しいことがたくさんあるから。

たくさん食べて、たくさん泣いて、たくさん寝て
大きく大きくなるんだよ。

ママより


追伸:未来の私へ。
いつの日か、しんどくなったらこのnoteを思い出してね。
子育ては、はちゃめちゃに大変だと思うけど、こんなに愛おしい瞬間が、
ここには確実にあったんだよ。
息子と夫と、家族みんなで、元気でいること。それが一番に大切なことだからね。どうか、無理しすぎないで。



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