趣味くらい頑張れよ

私の大好きな岩井さんが、2冊目のエッセイ本『
どうやら僕の日常生活はまちがっている』を出した。1冊目の時同様に、たくさんのメディアが取材し、そのたびにいろいろなお話と、良い写真が(神聖岩井帝国の)民に公布される。

こんな風に推しに会えるなら、ウェブメディアのインタビュアーの仕事に就くのだった!と毎回思うし、どのフォトグラファーもTBSラジオの宮嵜Pより良い写真を撮ろうと腕まくりして仕事に挑んでいるように思う。

ある時のインタビューが大変興味深いものだった。

努力もしないで楽しいことは…

――20代後半から30代前半の女性には「やりたいことが見つからない」「やりたいことはあるけど踏み出せない」という人も。岩井さんからアドバイスはありますか。

岩井: 人からの見られ方を意識し過ぎて、自分が何をしている時に楽しいと感じるかといったことが、うやむやになっている人が多い印象ですね。俺だったらアニメを見ているときや、漫才をしているときが楽しい。“楽しいと感じることが、やりたいこと”と考えればいいと思うんだけど。たとえば「家に帰って、Netflix見るくらいしか、楽しみがない」と言う人がいるじゃないですか。それって十分、楽しいことがあるから! 楽しいことを趣味からでもいいから、思うがまま突き詰めていけばいいんですよ。

――「趣味がない」と嘆く人も。

岩井: 趣味も突き詰めないと上澄みだけで、本当の面白さが得られない。努力もしないで楽しいことを得ようとするから、趣味が見つからないんだろうなって思います。
自分自身はオタク文化に触れてきたと思うんです。オタクと言われるくらいになるのには多分、努力も必要ですよ。「好き」や「楽しさ」だけじゃなくて、その中には辛いこともある。趣味がないと嘆く人は、それが嫌なんですよね、継続すること自体が面倒だし。「趣味こそ頑張れよ」と俺は言いたいです。

たしかに、私には継続して習っていたこともなく、日々の小さな楽しみだけを大切にしてきた。まさに「こんなことくらいしか楽しみないんですよー」と読者層(OL)の頃は言ってたと思う。

そこに+努力をするかしないかが、その行為が趣味になるか時間潰しになるかの分かれ目なのだなと、このインタビュー記事を読んで遅ればせながら気がついた。

仮に【趣味=努力+時間潰し】だとする。
すると、よく憧れとされる【趣味を仕事にする】という定義には、努力が含まれることになる。
努力が含有されるからには、楽にはできないし、時間もかかる。【趣味を仕事にする】のは、一朝一夕には実現できない。

記事を読んで、もっと早くに気がつくべきだったなと後悔した。
趣味こそ頑張れる(継続して突き詰める)人じゃなきゃ、職業になんかできないのだから。ちょっとした時間潰しを仕事にして報酬を得ようなんて甘い考えではいけない。

私が唯一持って生まれた才能は、外国語の勉強が苦ではないことだ。就職にあたっては、趣味特技よりこちらを優先させた。
そのせいか、今になって趣味特技寄りの仕事に興味を抱いてしまっている。これは私の特技だと思っているが、文字の読み書きが割と速く苦ではない。しかし継続して突き詰めるには時間が20年くらい足りない。スタートが遅い。

才能や趣味特技が人より段違いに優れているわけでもなく、苦じゃない程度なのが問題なのだろう。
その程度の人間なら、現状は当たり前に導き出された結果だ。「私のキャリアや人生はこんなもんだ」「私は時間潰しを見つけるのが上手だったな」「引き続き良き時間潰しをしながら、心豊かに暮らそう」と素直に受け止めようと思う。

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