「勉強できる子卑屈化社会」〜勉強ができるという”コンプレックス”〜
「できない」というコンプレックスではなく、「できる」という”コンプレックス”について。
ひょんなことから、学歴をはじめとする結果・事実的な「頭の良さ」の話しをした。なんでもない会話なのに、じぶんの中に引っかかりがあって、テンポよく返すことのできない苦しさがあった。
わたしは「よくわからないけど苦しい」状態への耐性がない。学校で正解を求められ続けた結果だと、我ながらおもう。
じぶんが持っている言葉と記憶を、ふかくふかく探って、どうにか頭をひねらせていると、ふっと、こ