孤独への不安

こんにちは、今回は自分の心の奥にある孤独感について書いていきたいと思います。自分の中でもうまく言語化できていない部分もあるませんが、大目に見ていただけると幸いです。

・テーマのきっかけ
最近、自分がSNSに依存的であると感じています。一日に何ども、意味もなくInstaやTwitterを見ていることがあります。
その行為が無駄なことという自覚はあるのですが、開いているしまっている自分がいます。インターネットで依存症について調べてみると、以下のように記述がありました。

依存症とは「その行為によって、本人が心のバランスを保っている状態。つまりその行為によって、不安や緊張を和らげたり、いやなことを忘れることができる」こと。

https://www.ichigojyutsu.com/life/addict/

どうやら、依存症の背景には何かしらへの不安があるようです。自分の場合は、孤独への不安があると感じました。家族や友達はいるけれど、どこか本音を話してすべてをさらけだせる人はいない。人前だと明るく楽しくふるまうが心の中は必ずしも楽しいわけではない。という孤独感を自分は強く感じやすいです。特に恋人と別れてからそのことをその傾向が強くなってたと感じます。どんなに仲良くしていても、所詮他人なのだから誰しもが孤独…と思うようになりました。


・心の不安

孤独を強く感じやすい原因に、幼少期のころの経験があると思います。私は小さいころから人の顔色をみながら生きてきました。昔から。両親や祖父母は各々仲が悪く、自分の発言でバトルが勃発することもありました。バトルのきっかけとなる地雷がどこにある分からないので、細心の注意を払ってました。「余計なことを言わないでおこう」「誰かが余計なことを言ったら何とかごまかそう」と思って、人の顔色を窺う生き方が形成されていったと思っています。
そのため、その場にあった発言をしているうちに、自分の本音を人に話すのが苦手になっていきました。人に本音を話せないので、誰とも距離を感じる。距離を感じるので、孤独に不安になるという流れです。
そんな中でも、心を開いていたのが恋人だったのでした。しかし、思いもしないタイミングで別れてしまって、人は分かり合えないという考えを助長せています。更に思い返してみれば、相手が心を開示してくれることはあっても、自分は表層的な部分しか開示できていなかった思いました。


というように、自分の孤独への不安を紐解いてみました。紐解いたからと言って依存症がいきなり0になったわけではないですが、漠然とした不安の解像度が上がりました。

皆さんも、依存症が気になるときは自分の不安を紐解いてみると、何か発見があるかもしれません。

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