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「好き」
を
「家に帰ったときその人にいてほしい」
と定義します。
本質を見抜きたい。
でも「そもそも本質だけ伝えてくれれば見抜く必要もないのに」とも思う。
言葉は本質に本質以外の何かを付け足して生まれるのではなく、最初からそれらが混ざって形になることが自然らしい。
もっと正確に言うと、言葉を本質とそれ以外に、人が後からより分けているだけみたい。
自分が起こした行動に対して、他人から言葉でリアクションをもらうと、自分を認めてもらえた感じがする。
承認欲求とやらが満たされてるのかもしれない。
でも『いいね!』をもらってもそういう感覚はない。
俺も言葉で伝えたい。ボタンをタップするだけじゃなく。
家帰って一人って寂しいねぇ。
親はいてくれるけど話すこともそんなにないしねぇ。
いつかのかりんちゃんの気持ちが分かった気がするねぇ。
『五十音順』
よりも
『あいうえお順』
って呼ぶのが好き
傾聴というは待つことと見つけたり
『嫌われる勇気』を読んで『原因論』『目的論』という考え方を知りました。
今まで何かにつけて理由を探してきました。
探していた理由のほとんどは、先に湧き出た感情に対する後付けであったことを悟りました。
「好き」「知りたい」「やってみたい」
理由がいらない感情もあると思うわけです。
言葉は意思疎通のための手段である。
心の内から外に出した言葉の意味が辞書的な意味とは異なるとしても、伝えたいことを伝えられれば意思疎通という目的を達成しているのである。
「言葉の意味が間違っているかもしれない」と浮かんだ言葉を消してしまう必要はないのである。
と吾輩は思います。
1人で笑うことってほとんどない。
笑顔の側にはいつも誰かがいてくれる。
一緒にいたい理由は、それだけで充分なんじゃないか。
『会話の楽しさは何を話すかよりもどう話すかで決まる』という気づきを得た。
俺は話の中身を楽しいものにしようともがいてたけど、今日から話すときのテンションを上げてみる。
話す自分が楽しそうじゃなかったら、聞く相手が楽しいわけないよね。
というわけで。
自分、生まれ変わりいいすか?
写真や動画を見返して涙が出る。
この人達の笑顔が大好きだったこと。
一緒に過ごした時間がかけがえのないものだったこと。
すぐそこにいてくれたことが奇跡だってこと。
全てそのときは分からなくて、後から振り返って気づくんだね。
伝えたいことが
お別れの瞬間よりも
もっとずっと前に
浮かんでおいてくれたらなぁ
2024/3/15 活動報告会向け資料
0.はじめにこの記事は2024年1月から3月まで西ノ島にて僕が大人の島体験生として活動した記録である。
僕以外の体験生は報告会用の資料をもれなくパワーポイントで作っていることだろう。
僕はパソコンを持っていないため、noteの記事をスマホで書くことにした。
1.なぜ島体験に来たのか一言で言うと「なんとなく楽しそうだったから」である。
前職のエンジニアを昨年の12月末で辞職した。
1月からは何かエ
歩いているときにアイデアがふっと浮かぶことが多い。
車や自転車を運転しているときはその確率が低くなる気がする。
周りを見なきゃ命が危ないから、考える余裕がないんだと思う。
歩いてるときはゆっくりだから、余裕がある分色々考えてくれてるんじゃないかな。
って歩いてるときに思ったよ。
「はじめまして」と言えるのは、その人と初めて会ったときだけみたい。
言いそびれると、その後会うたび会うたびなんだかぎこちない。
でもニドメマシテのときにハジメマシテとは言えない。
「はじめまして」が死なないように。
初めて会った人には、自分から、「はじめまして」。
疲れるなぁ。
僕個人の問題を一緒になって考えてくれる人がいる。
「真剣に考えなきゃ。」その人を落胆させたくない。
島に来てから自分の中の様々な部分が前向きに変化した。周りの人達のおかげだ。
僕一人では僕を変えられない。なのに一人になろうとする。
一人になってはならない。そんな予感がする。