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2024/3/15 活動報告会向け資料

0.はじめに

この記事は2024年1月から3月まで西ノ島にて僕が大人の島体験生として活動した記録である。
僕以外の体験生は報告会用の資料をもれなくパワーポイントで作っていることだろう。
僕はパソコンを持っていないため、noteの記事をスマホで書くことにした。


1.なぜ島体験に来たのか

一言で言うと「なんとなく楽しそうだったから」である。
前職のエンジニアを昨年の12月末で辞職した。
1月からは何かエンジニアとはかけ離れたことをしたいと漠然と考えていた。
そんな中『SMOUT』というサイトで偶然『大人の島留学』の募集を見かけた。
それ以外にもいくつも募集があったけれど、なぜか『大人の島留学』という言葉に惹きつけられた。
「何をするのか詳しくは分からないけれど、なんとなく楽しそうだから行ってみよう」という軽い気持ちで島に行くことを決めた。

2.島に来てなにをしたのか

所属した事業所は西ノ島町役場の観光定住課という部署であった。
仕事は大きく観光と定住の2つに分かれていた。
「イベントの企画がしたいです」とコーディネーターに伝えていた僕は、定住の仕事を担当することになった。
ミッションは『地域の方と移住者の方をつなぐ』である。
僕の業務内容は以下の通りだ。

  • イベントの企画

  • 集落支援員さんのお手伝い

  • 島留学生が主催するイベントのお手伝い

以下、それぞれ何をしたのかを書く。
『イベントの企画』では、蜜蝋(ミツバチの巣の材料)からハンドクリームを作るイベントを開催した。
参加者は8人。(なぜか)全員女性だった。
僕にとっては人生初のイベント開催ということで、ガチガチに緊張した状態での司会進行となった。
この日の記憶はあまりない。

『集落支援員さんのお手伝い』では、移動販売に同行させてもらった。
移動販売とは、農協の商品をトラックに積み込んで商店のない地域に出向くことを指す。
地域の方はスーパーに行く手間なく買い物ができるし、待ち時間がご近所さんと交流する時間にもなっているらしい。

スワイプした!?
残念、静止画です〜
あ、インスタの投稿からのスクショです…

『島留学生が主催するイベントのお手伝い』では、テントサウナの設営から撤収までを手伝ったり、朝市でオリジナルタンブラーを作るワークショップのスタッフとして稼働したりした。

テントサウナのイベントには、僕と同じ島体験生が海士から7,8人来てくれた。
スタッフもテントサウナに入ってOKとのことだったので、僕も体験生と一緒に入った。
サウナで体を温めてから日本海にダイブ。
自分がスタッフ側であることをすっかり忘れて楽しんでしまい、後日主催者の方から無事にお叱りを受けた。

3.3ヶ月を通しての変化や気づき

①人とのつながりは自分から作りに行かないと生まれない

体験生の研修を終えて職場に配属された後に感じたことがある。
それは、「どうやらここには人とつながることが正であるという空気があるらしい」ということだ。
僕は挨拶とか社交辞令とか、そういう類のものが苦手だ。
初めて会った人に「初めまして。1月から西ノ島に来ました。島体験生の岩田といいます。」なんてことは言えなかった。
より正確に書くと、言う意味が、言葉の意図が分からなかったから言えなかった。
そのおかげ(そのせい)か、西ノ島で関わった人と深い関係になることはなかった。
この経験から、人とのつながりというものは自然には生まれない、つまり自分から作り出そうと動かなければ生まれることはないのだろうと(後ろ向きに)悟った。

②見えない行動に「ありがとう」を言えるようになった

島に来てからやたらと「ありがとう」という言葉を聞くようになった。
あまりにも聞くものだから、一体この人達は何に対して「ありがとう」と言っているのか考えてしまった。
考えた結果、「事実の裏にある見えない行動に対してありがとうを言っている」という結論に達した。
具体例を出して説明する。

「事実の捉え方は人によって色々だよね」という例え話だ。
目の前にコップがあって、コップの半分まで水が入っているとき、どう考えるか。
「半分も入っている」と前向きに考える人もいれば、「半分しか入っていない」と後ろ向きに考える人もいる。
僕は「ちょうど半分だけ入ってるね」と客観的に考える。
しかしたくさんの「ありがとう」にさらされて、こう考えることもできるんじゃないかと思うようになった。
「誰かコップに水入れてくれたの?ありがとう」と。

『目の前に水が入ったコップがある』という事実の裏には、『誰かがコップに水を入れた』という行動が存在したはずである。(もっと言えばコップを作ってくれた人がいて、水をキレイにしてくれた人がいて…キリがないけれど)
島に来てから聞いたたくさんの「ありがとう」は、事実だけでなくその裏にある人や人の行動に対しての言葉だったように思う。
僕も目に見える事実だけでなく、目には見えない何かを見ようとする人でありたいと思うようになった。

③コミュニケーションは「できない」から生まれる

要は不便益とかそういう話である。

毎週金曜日の体験生の研修で、摩天崖までピクニックに行くことになった。(研修の内容を考えたのは僕を含めた西ノ島の体験生の3人だ。)
「シェアハウスごとにお弁当を作って持っていこう」という運びになった。
西ノ島のシェアハウスに体験生は僕1人だ。
しかし僕は絶望的に料理の経験がない。
いわゆる普通のお弁当なんて作れっこない。
だから何を作ったらいいか悩んだ。
西ノ島に住む僕だから、1人だからできることは何だろう…
結論、僕は鍋いっぱいに豚汁を作って車で摩天崖まで持っていくことにした。
海士や知夫から温かい鍋を持ってくる人はいないだろうという読みだ。

というわけで、ピクニック前夜に豚汁を作り始めた。
研修に参加するのは30名弱。
全員が食べられるだけ作ろうとすると、かなり大きな鍋が必要になる。
ところがシェアハウスにそんな大きな鍋はなかった。
困った僕は毎日お昼を作ってもらっているお弁当屋さんにお鍋を借りた。
給食センターでしか見たことがないような、くすんだ金色の鍋だ。

その後商店で材料を買い込み、いよいよ調理開始。
最初に大根をいちょう切りしているところにシェアメイトで島留学生のTさんが帰って来た。
そしてIHヒーターの上の鍋を見てひとこと。

「この鍋、IH対応してる?笑」

知らなかった。
まさか世の中にIHで使えない鍋が存在するなんて。
IHってボタン押して温かくなるだけじゃないんだぁ…

勝手に電源が切れていくIHコンロの前でめちゃくちゃ焦った。
このままでは1人だけお弁当を持ってこないクソ野郎になってしまう…

そのとき一筋の光が射し込んだ。
思い出したのである。そういえば小向はガスコンロじゃないかと。(小向邸。西ノ島の体験生2人が住むシェアハウス。)
というわけで小向の2人に連絡し、鍋と材料と、既にいちょうの形に切られた大根を持って小向まで向かうことにした。時刻は22時。
僕のシェアハウスから小向までは歩けない距離ではない。
しかし鍋を抱えて、となると腕の筋肉がパンパンに膨れ上がること請け合いであった。
それを察したTさんが車を貸してくれた。

背負った鞄からは長ネギが飛び出していたそうな…
(山芋とごぼうも)

小向に着くと2人もお弁当を作っているところだった。
出来上がったおかずをつまみ食いさせてもらいながら、豚汁の材料をひたすら切りまくった。
完成したのは深夜2時のこと。

振り返って思うのは、「全部『できない』からコミュニケーションが始まってるよね」ということだ。
家に鍋がないから、お弁当屋さんに鍋を借りる。
鍋を抱えて歩けないから、シェアメイトに車を借りる。
IHでは調理できないから、他のお家のガスコンロを借りる。

自分ではできないから、他人を頼る。
他人を頼るから、会話が生まれる。

人のありがたさでできた、奇跡の豚汁。
「僕が作ってきたのは、豚汁です!」
みんなに紹介したときの歓声を、生涯忘れない。

4.今後の予定

この3ヶ月で予想もしないほどたくさんの出来事が起きた。
自信に満ちあふれて走り出したい気持ちになったこともあったし、自分がここに存在する意味を見失って島からいなくなりたいと思ったこともあった。
でもたくさんの出来事を通してたくさんの気づきを得た。
総じて、島に来るという決断は正しかったと考えている。

だから離島するか島に残るか迷ったけれど、結局離島することにした。
島に残ればまたたくさんの出来事が起きて、たくさんの気づきを得られることに間違いはない。
でもそれは自分以外の何かが、僕にとって有益な何かをもたらしてくれることを期待しているに過ぎない。
自分が何かをしたいから残る、隠岐という環境が必要だから自ら残ることを選ぶということではない。
そんな状態で「残りたいです」と人の目を見て言えないし、残ったところで価値ある時間にはならないだろうという結論に至った。
だから一度帰ることにした。

帰ったら、この3ヶ月をゆっくり振り返りたい。
ここで起きた全ての出来事に、僕なりの意味を見出して次に進みたい。

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