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【二人のアルバム~逢瀬⑫~風来坂~】(フィクション>短編)

§ ONE 修復
酷い風が吹いていた。
朝は春並みの陽気だったが、午後3時を過ぎてから、暴風が吹き始めた。
北風が強く、烈しく、頬に痛かった。そろそろ午後4時半だった。暴風が北から吹き寄せ、髪の毛は乱れるし着ている薄いジャケットも風を吸込んで、風を通し、彼女の肩は、ガタガタ震えていた。

今日は、車で午後5時近くに駅の近くの国道にある大きなメガネ屋の前で待ち合わせをした。

突然、お昼時間に彼女に電話があって、彼が逢いたい、と言ってきた。2か月ぶりだった。吹っ切れた感じの声で、上機嫌だった。
最後に逢った際、彼がヤキモチを焼いて、軽い口論の様な感じの雰囲気で、
「愛し合う」
と謂うより、ふくれっ面だった彼女にひたすら彼が力で押すような形で二人の夜を過ごしたので、翌朝、彼は彼女の顔を見ないで帰宅していた。
その後、数日して陳謝のメールが数行、他人行儀に着いていた。

こう言う状況になると、彼は、彼女と喧嘩をした事で、彼女に逢う敷居が非常に高くなり、プライドの高い彼はいつも数か月懸けて待ってから、次のデートを誘って来た。

もう彼は彼女に逢う気が無いだろうと悲観的に思っていた彼女は、喧嘩を後悔するだけでなく、毎夜泣いていたから、彼からこざっぱりした声で電話があった時、非常に驚いていた。

国道の土手の横にある指定されたメガネ屋の端っこで待っていた彼女の前に、タクシーが停まり、車内灯が点いた時に、彼が中からニコッとした。頭を軽く下げると、
「よぉ」
と開いたタクシーの扉にもたれ、彼が、中で運転手から釣りをもらっていた。 彼がタクシーを降りたのをみて、
「お疲れさま」
と彼女が言うと、着ていた上着を脱いだ彼が、きつく締めたネクタイを緩めながら、にこにこして右中指にひっかけて、重いリュックを左手でぶら下げて、こちらに歩いてきた。
「今日は随分早いのね」
嬉しそうな機嫌の様子の彼に、彼女がそう言うと、
「うん…、早く終わったからな」
彼は嬉しそうに上着を持った手で鞄を持ち替え、上着を左腕に架け、右手で彼女の肩を抱き寄せて歩幅を合わせた。
「まだ陽が高いのに」
「うん…もう日暮れだよ。好いじゃんか」
デレッとした顔でにやつく彼に、彼女はふと笑ってしまった。
「何?」
彼が彼女の顔を覗き込んだ。
「何でもないけど…ご機嫌ね、今日は。何だか、ウキウキして、嬉しそうで…」
彼は彼女の腰に右手を廻した。
「んふ。長引いていた最終交渉が思ったよりずっと早く終わってさ。今まで頑張ってきた、ご褒美だな」
「自分への?」
「ん…、そうだね、かなり時間懸かったし」
「あなたへのご褒美ね。あ~ぁ、私のご褒美はどなたが下さるのかしら」
「あ、俺が(笑)。一生懸命、尽くさせて貰いますから」
二人でクスクス笑いながら歩くと、段々日が暮れて暗くなってきた。

彼女が歩く時に吹く風に息が乱れて咳き込むと、
「この辺てさ、店無いの?呑み屋さんとかさ」
振返って彼女に熱燗を呑むふりをして尋ねる彼に、
「うん。駅に行かないと。ココからじゃちょっと遠いわね」
「あぁ、失敗したなぁ。咳は大丈夫?」
「うん…大丈夫。寒いけど。この辺タクシーもないしね、歩いて駅に行きましょ」
「俺の上着、着なさい」
「有難うございます。でも、あなた、風邪ひかない?」
「大丈夫。俺、泊って行っていい?」
「泊って❓良いですけど…、会社行かなくていいのかしら?珍しいわね」
「有給休暇、取ったんだ。数日、一緒に居させてよ」
「そう...、好いわ。私、今、仕事はそう入っていないし」
彼女はこのところ、フリーランスで、したい時に仕事をするような状況だったが、彼が世話してくれたアパートのお蔭で、余計な費用は懸らず、有難い事だった。彼はこのアパートを物件投資として購入していた。家賃収入としてかなり入るようだった。自分の勤める会社での仕事だけでなく、
怪訝そうな顔の彼女が、彼の腕にもたれて、甘えた。彼は彼女の手を取り、彼女の肩に自分の上着とコートを被せて、肩を手に、駅の方向へともに歩いて行った。

§ TWO 電話
アパートは彼女が彼の手配で手に入れたものだ。喧嘩の後、彼は彼女を説得してこのアパートに引越させてきた。

前のアパートに比べてサイズが大きいのと、オークホワイトのコンクリート壁と、窓の多い部屋だ。ワンルームで、ベッドが窓辺にあった。

昨夜の暴風が嘘の様に早朝から、彼女のテラスには陽の光がさしていた。

未だベッドで眠っている彼女が前の棲家から連れて来た、灰色の猫、ブルーは窓の横の四角い白木で創られたチェアにちょこんと座って、カーテンの隙間の中に小さな頭を突っ込んで、外を眺めていた。

彼はそんなこの美しい仔猫を見ながら、台所の換気扇の近くで煙草を吸っていた。換気扇は、大きな騒音ではなく、煙草の煙だけが、上の換気扇に向かって、吸い込まれて行った。

白い壁にかかっている蒼いデザインの壁時計が、朝の7時を指していた。キッチンには、彼の持って来た鞄とオーバーコート、上着が無造作に置かれていた。

彼女が上着をハンガーにつるそうとしたところで、後ろから彼が抱き付いて離さなかった。

彼はいつになく情熱的で、遅くまで、彼女を自分の傍から手放さずにいた。彼女が可愛がるブルーに餌をやって、キッチン傍の椅子に温かい起毛したセーターを猫の為に置く以外、彼がする事はひたすら、彼女とベッドで互いの思いを確かめ合うだけだった。

昨夜の疲労感で、彼女はぐっすりと寝ていた。暴風の中、凍えそうになりながら、彼に引っ張られて歩き続け、さらに昨夜は夕飯もそこそこでベッドで睦み合い、さすがに疲れたのだろう。

彼は煙草を終えて、冷たく凍る身体で彼女の横に滑り込んだ。彼女はまだ深く眠っていた。彼は彼女の髪に手指を絡ませて、後ろから抱きしめて、彼女の左肩に口づけした。彼女の指が彼の手指に絡んだ。
「おはよ」
彼が言うと、
「おはよう」
彼女が返した。
「国道から帰り、坂を上ったでしょ?」
「うん。寒かったなぁ、凍えただろ」
「ごめんなさい、あなたのコート取っちゃって」
「いやいや」
「あの坂、風来坂ふうらいざかっていうのよ」
「へぇ...」

電話が鳴った。
(つづく)


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