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【二人のアルバム~逢瀬⑳~斎言 その参】(フィクション>短編)

§ 5.  斎言いわいごと前夜

前の晩に白無垢と着替えなどを持ち、猫を新品の旅行用ケージに入れて、彼と彼女は会社を開始してからすぐに新たに購入した中古車で、彼の実家へ向かった。

鎌倉の奥、肌寒い日本屋敷が彼の実家で、暗闇にそっと建っていた。

彼女は、何も全く知らない場所に行くのは旅行でもなかなか苦手であり、心から信用する彼以外と旅行などへは行けなかった。この10年、彼以外と、旅行など、行った事はない。

彼は彼女が一人で彼を待っているのを分かっていたので、たまに逢う時くらいは、と彼女の行きたい場所を見つけては、結構贅沢に色々な場所を選んでは手配をしてくれた。

各地で、彼女は良い思い出を作った、と感じた。今や、最愛の彼が彼女の許で共に暮らしており、旅行は二人が仲直りして同居を決めた後はしていなかったし、彼女は不要と感じていたから、祝言の為に彼の大きな実家の大座敷を目指して二人で車に乗り込み、彼の実家に帰るのは、一種の旅行に思えていた。彼は、いつも彼女の為に時間、心、そして愛を分けてくれた。

今回、彼の実家は初めてであり、鎌倉とは言え、余り知らないエリアだったので、車を彼が運転していても、不安には不安だった。

彼は上機嫌だった。実家にいる連中を紹介する、とはしゃいでいた。実家には総本館と家族の寝室などがある離れと、実家敷地で働く連中の古風民家が数軒立ち並び、実家の総本館の後ろには茶室があった。大きく彼の実家の敷地を包んで、竹林が他の場所からの目を塞ぐ形で配置されていた。非常に古風で美しい日本家屋が、彼の実家だった。

彼は非常に育ちの良い男性で、彼のてにをはの正しい日本語や、挨拶、礼儀の教育が行き届いている、と感じていた。丁寧で礼儀正しく、TPOも心得ていたので、こんな実家など知らずに、余程、立派なおうちの息子さんなのだ、と思っていたので、実家の家屋の大きさや歴史に驚きはなかった。

彼女が驚くのは、彼の素直さだった。通常、彼女が知っている育ちや家柄の好い男性は、どちらかと言うと、否定的ネガティブであり、尊大で、自己中心的で支配的コントローリングな人が多かった。彼にはそのような自分のイメージを落とすような所が無かった。彼を知る限り、彼に関して、彼女が持つ尊敬の念のレベルが落ちた事など、一度も無かった。

家の持つ金の力で甘く育てられていたり、生活レベルの低い人間を見下したり、軽蔑したりする事は、彼はした事が無かった。

彼は彼女の心を癒す事しかしなかった。

夜、雪が降った。

内庭に面した離れに、彼女は一人でこの大客間で、もう雪など降るような時季ではなかったが、凍るような夜に、雨戸を開けて季節外れの雪景色を楽しんだ。冷え切った身体は震えたが、眠れない彼女には何となく時間を忘れるような美しさだった。

「猫が震えてるよ、奥様」
彼の分厚い半纏の内側から、自分の灰色の猫が震えながら彼女を見詰めていた。彼は和服の冬の寝間着に半纏だったので、彼女の様に凍えていなかった。彼女の部屋は、炬燵の布団を挙げて、中の真っ赤に焼けた炭火が最高に熱く燃えて焼けていた。近くにある火鉢にも真っ赤な炭火が光っていた。

彼女の視線を見て、彼は、含笑いした。
「ここに泊まる人は、皆だいたいこのような事をする」、
と独り言の様に言い、彼女がゆっくり休める様に、と持って来させた湯たんぽを布団の中に居れて、さらに大きなふわふわに膨らんだ布団が女中らによって運び込まれていた。どうも彼が女中らに依頼して、彼の布団を運ばせていた。

彼は彼女を雪で凍った、湿った浴衣から、冬用の寝間着に着替えさせ、分厚く、奇麗な赤と黄の花柄の半纏を彼女に着せ、猫を連れて、温まり始めた部屋の布団に猫を下ろして、部屋を暖めさせた。

彼は猫を温かい布団の上に下ろしてやり、寒くて固まったままの猫に、自分の羽織っている半纏をかぶせて、湯たんぽを包ませて猫が火傷せぬ様に配置して温かくしてやった。温かい温度が感じられたのか、少し固まっていた小さな体を緩め、猫が気持ちよさそうに包まれた半纏に安心して身体を埋めた。

女中頭の明子さんが、猫を微笑んで見つめる彼女を、微笑ましい表情で見ていた。気づいた彼女に、
「お寒いでしょ。客間風呂をたて直させました」
「余計な事をさせてしまい、申し訳ないです」
頭を下げる彼女に、
「いいえぇ。何をおっしゃります。坊ちゃんが初めて一目惚れしてこの屋敷にお連れになった方ですもの。余程好きなのね、ってわかりますよ」
明子さんは彼を指さした。彼は頬を染めつつ、知らん顔していた。彼女は赤面しつつ、お辞儀した。

「今から湯たんぽ温かくして部屋を温めて置きます。坊ちゃんも奥様とここに寝たいとの事で、布団も移してるんで。旦那様もお許しでした。
猫ちゃんは逃げないので大丈夫ですよ。動きが多いと嫌だろうと、そこの陶器の中にベッドを用意して温めてあげたんで、坊ちゃんの床が用意出来るまで、一時的に其処に入ってもらいます」

部屋の隅に丁度四角い瀬戸物が置いてあり、中に温かな毛糸で創った小さなベッドがあった。
「一時的避難には、丁度だ」、
と彼は陶器を温めた猫ベッドを覗き込んで、そう言い微笑んで、彼女と一緒に明子さんに礼を言った。

彼は、着ていた褞袍どてらの帯を緩めて、
「も一度、風呂に入らないか。一緒に。俺、先に入ってるよ」
と、謂い捨てて、すたすたと彼は先に風呂場に行ってしまった。

明子さんが頷いて、
「好いお湯に仕上げましたから、奥様もぜひお楽しみを。こちらの方は大丈夫、猫ちゃんは大丈夫ですよ」
と言いながら、褞袍並みの暖かい寝間着を手渡した。

好い湯で彼と温まった彼女は、ガラスの窓の向こうを見ていた。外はまた降り始めた雪の景色だったが、お風呂で温まり、熱い蜂蜜入レモネードをすすりながら、全く違う世界にいる自分を感じた。寒くも、ひどく暑くも感じなかった。頭の先から足の先まで、温かった。

何だか、この一週間、不要に感じた「心の準備」で、自分を追い詰め、身体的に神経的に、彼女は気疲れしていた。立派なお家だから、と気後れし、気遣いし、その度に彼が癒してくれたが、不要に責任を感じて、彼を頼ってもっと気を張らずにいればよかった、と後悔した。

真っ赤に燃える炭が火鉢で小さく音を上げた。時々、窓の隙間を開けて、空気を入れ換えるくらいであとは何にもしなかったが、充分、暖が取れ、気持ちがぬくぬくとした。猫は彼女の布団で温い湯たんぽの近くで天国に居るかの様にへそ点と呼ばれる無謀意な姿勢で、ぐっすり眠っていた。

さぁ寝よう、となって、彼が自分の床に入り、
「ブル君は其処において、こちらへお出でよ」、
と手を伸ばしたので、猫は自分の床に寝かせたまま、横の彼の床で一緒に寝た。

布団は二人が一緒に床に入っても丁度良いくらいで、クイーンサイズの彼女のベッドより嵩があり、広かった。広くて大きな彼女の布団の真ん中に猫は幸せそうに四肢を大の字に広げて鼾を掻いて熟睡していた。

彼は彼女を自分の腕の中に居れて、少し睦み合ったら、緩く抱いて、一緒に寝息を立てて、お互いの肌の暖かさと柔らかさに癒されて、直ぐに寝てしまった。

§ 6.  斎言

翌日、美しい晴天の遅い朝を迎えて、日差しを浴びるスカイビューが見える、建て直された洋風キッチンダイニングで、彼の父の下で家を預かる、大塚執事の妻、恵理子が彼女に自己紹介後、彼女が腕を振るったブランチを彼の両親と彼と三人で舌鼓を打った。

彼が、家族に見せたいので、写真を撮る、と言った。彼はもう結婚経験者だし、派手にする積りはない、と言っていたので、食事後、訪ねて来た写真館のカメラマンが加わって、義母がくれた白無垢になった彼女は、やはり着物を凛々しく着た彼と並び、カメラマンの指示で立ったり、座ったりして写真を撮って貰った。さらに午後の二時半ごろに近くの神社から神主が来てくれて、お祓いの後にお互いの誓いの三々九度をし、カメラマンはその様子を写真に撮ってくれた。

婚礼の儀が終了したら、フィルムに残りがあるから、と屋敷の外で、陽の光を浴びて、先程の記念写真のカメラマンが白無垢の彼女を庭をバックにどちらかと言うと、芸術的な写真を撮り、義母が見ていて、ため息をついてうっとりした。

彼と彼の父はそっくりの顔で呆れたかの様に笑い、並んで彼女の白無垢姿を美しい、とにこやかに眺めていた。猫は寝室の窓辺から彼女の様子を見ていた。

カメラマンが業務終了して、帰って行ったのが午後4時過ぎだった。彼は、少し疲れ気味の彼女を見て、今夜は泊って、明日朝に帰ろう、と提案した。

(つづく)

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