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【二人のアルバム~逢瀬㉗~オテル・グランデ】(フィクション>短編)

§1.帰郷

皆で会うことにしたその週の土曜日の午後、にこやかに大塚が門扉を開けて、外の道路から車を屋敷側に通してくれた。

彼が運転する黒光りしているSUVは、管理会社の間波磔まばたきさんの下で働く、クリーナーの王寺おうじさんが他の車と一緒に洗車して磨いてくれて、まるで購入直後並みに輝いていた。

助手席に座る彼女と運転席の彼、後ろの席に座る彼の父とその荷物で後部座席が溢れる様だった。

屋敷の入口で彼女と彼の父は順に車を降り、彼が荷物を持って出るまで、外で待っていた。
「あ、好いよ、先に部屋の方へ入って貰って」
彼がそう言うと、父は頷き、彼女に笑顔で「お先に」、と手を振って、スッと中に入って行った。大塚が彼から父の大荷物を受け取り、彼は楽になり、後をついて来た若い女中に彼女の荷物を取る様にさせていた。

彼女は彼を待っていて、女中から荷物を取ろうとしたが、彼がそうさせなかった。
「中庭が見える側の廊下に頼みます」、
と彼が女中に言い、荷物を渡して、彼女に
「こら。少し、病人らしくしてください」
と言うと、彼女は、にこにこと朗らかに、
「はいはい。でももう治ったわ」
と嬉しそうに笑った。

彼女の緩やかな笑顔が、楽になった彼女の様子を見せていた。
療養2か月を数えた頃から彼女の血圧は覿面てきめんに120台まで落ちて来た。150後半ほどだった、元の血圧の平均値よりも、低くなった。

如月医師は、今の状況は降圧剤が効果を見せている、と彼に語った。
彼の実家の鎌倉で外泊は許してくれたが、後で彼に、
「突発して220を超えて上がった当初の最高血圧の数値の状態から、降圧状態は好い状況ですが、突然薬を止める様な事は止めさせてくださいね」
と、注意された。この手の患者がやり勝ちの、投薬を突然、自分勝手にストップする事は、禁じた。

「急がずに降圧剤はこのまま継続し、状況確認をしながら次のアクションを決めましょう」、
と如月は彼女に提案し、また、彼もそうしたい、と彼女に話し、彼女は素直に、はい、と言った。

今は何ら問題のない、彼女の首を彼は見た。病院でベッドから起き上がった彼女の横の動脈が膨れ上がり、首の後ろがぶよぶよして、もったりと真っ赤に腫れあがっていた彼女の後頭部の様子を、腫れ上がった四肢を、彼は忘れる事が出来ないでいた。もう二度とそんな思いをさせるか。

彼は、彼女に、およそ血圧が上がる様な荷物を持たせるとか、走らせるとか、長湯をさせるとか、そう言う動作は一切させなかった。

彼のトランクや父の荷物を大塚と女中達に渡してから、彼女の横に廻って来て、彼は彼女の手を取った。

「どう、具合は」
彼は前を見ていたが、彼女の掌の熱を考慮し、彼女の方向に瞳だけ動かして、さり気なく訊いた。
「大丈夫よ、ホントに」
彼は彼女の肩を抱き寄せた。
「良かった。でも、薬は止めちゃいけないよ、駄目だからね」
「うん、分かってるわ、あなたったら神経質なんだから」
彼女は静かに微笑んだ。
「大丈夫よ、ホントに」
彼の腕に自分の手を架けて、彼女は彼の大きな方にもたれて甘えた。

明子さんが台所の窓を開けて、
「新婚さん、いらっしゃぁい。焼けるわぁ」
と、笑いながら、声を架けた。

彼は彼女を抱いたまま赤くなり、
彼女は彼に抱き着いたまま笑って、にこやかに手を振った。
彼は手早く、明子に、彼女は塩制限かあり、塩を入れないで欲しいと言うメモを大塚に渡した、と言うと、
「うんうん。受け取ってます。
おうちで食べてるようなメニューで作りますよ。
だから、安心して。ね、」
とにっこり笑って彼女に言った。
「はい、明子さん。有難うございます」、
彼女がお辞儀しながら言った。
彼も珍しく、素直に頭を下げた。

午後に架けて、彼女は彼と二人で一階の客室の広間で、窓辺の長椅子にもたれ、微睡うたたねをした。彼は彼女に軽い毛布を掛けてやり、少し休む様に言い、彼女も頷いてまた寝てしまった。彼の父も自室で休みたい、と寝てしまったので、大塚は彼に、午後の3時ごろに軽食と一緒に話し合おう、と提案し、彼も喜んでそれが良い、と応じた。

§ 2.撓身継手たわみつぎて

「あ~、それじゃこれから、今の状況をしますね」
大塚の一言で、用意された「お三時の軽食」を真面目にモグモグ食べていた彼女が、赤面して慌てて口元をナプキンで拭いて、手をそろえて膝の上に置いた。
彼が微笑んで、横の彼女に小さい声で、
「慌てなくて、大丈夫、みんな食べてるし」
と言って、腹が減っていた先程の彼女の様子を、大塚とクスクス笑った。
彼の父はニコニコしながら、おずおずと赤面しつつもモグモグし始めた彼女を見て、大塚に頷いた。


大塚が経緯を説明した。
彼の父が丁度、幸子の暴力のPTSDで彼と彼女の住む家近くの病院の心療内科に通い始めた頃、彼の実家では、大塚が作業部屋で市役所からの電話に出ていた。

市役所側では、最近、増えるばかりのオーナー不在の古民家を管理すべく、残された家族と話し、民家が不要であれば、廉価で譲り受け、改造してホテルや合宿所、アパートなどにして、賃貸事業を繋いで、物件に従業員等がいる場合、この雇用も込々で賃貸関連事業として活用していると言う。

同時に、当代で終わりそうな屋敷なども、ホテル会社や賃貸事業をする事業者に間に入って購入して貰い、オーナー募集している、と言う。

まだ、この先使える屋敷だが、次の跡取りが現状の仕事で満足しており、田舎の屋敷に帰る気がない、等と言う場合、撓み継手ではないが、全然違うホテル会社とかビジネスのやり手の企業に屋敷と従業員を諸味もろみ併せて買い取れる様にして貰う事が、一番簡単な答えになる場合がある、と言う。

「どうだろう、屋敷を引継ぐ予定の次世代オーナー様と内々で話し合ってはくれないか」、
と言う相談が、市役所の担当さんから入ったと言う。

「じゃ市役所の担当さんは、俺達に話してみてよ、って言ったんだ」
彼の確認に、大塚は頷いた。
同時に、大塚は、彼の父に、
「でも、私は、まずは旦那様が当代なんで、旦那様に相談したい、と」
父は、頷いた。
「うん」
大塚は頷き返し、彼と彼女に、
「ちょっと、その当時、幸子奥様が大変だったようなので、先に若奥様に話し、旦那様が時間が懸かりそうなことを報告戴き、同時に若旦那様への連携を待つ様にと言われ、大塚側で従業員の見解について話し合いをしてみる様にと、大塚にご指示戴き、現状よりずっと楽になりそうなので、市役所を通じて、誰が当家を引き取るかを訊いたところ、オテル・グランデさん側が旦那様の後を引き取って、従業員を面倒見てくれる、物件に興味がある、と言う話だったので、皆様と話をするので待ってください、とオテル・グランデさんと市役所側に話して、現在に至る、と」。
彼女は頷いた。
大塚から電話で初めて相談された際に、自分の聴いていた話にほぼ同様で、大塚の話の通り、彼女が彼に伝え、その間に大塚が善処していたからだ。
彼は、頷きながら彼女を見て、
「うん。そうだね、その通り、聴いている。
—親父には悪いが、彼女の発病前後、俺も言訳じゃないけど、自分でフリーで始めた仕事に、客がつき始め、昔の後輩も手伝ってくれるようになり、段々業務拡張出来る状態になって。
—ま、その為に、この人を病気になる程、扱使コキつかったりして、彼女には悪い事をしたけれど、まぁ、事業的にも将来が見えて来て、このまま、やって行きたいなぁ、って感じになっている、と—」
そこで、父が引き取った。
「俺はもう高齢でもあり、お前がこの話を持って来た時には、お前の退職金で可能にしてくれた施設の料金や何かがまだあるので、幸子の認知センター料金と、俺の老人施設代金分を合わせて、これにこの屋敷を売る多少の収入で、俺自身の身の振り方なんて充分過ぎる程に、用意出来るんじゃないか、と思う、と昨日、話していた」

大塚は反対するだろうと思っていた彼の父が、思いのほか、簡単に都内の老人施設に移転したい希望を明らかにした事に驚きはしたが、彼と彼女が家族として傍に居た事で、安心したのだな、と分かったらしい。
「—じゃ、全員一致と言う事で、オテル・グランデさんが市役所さんと一緒に屋敷とこの土地の購入をする事に反対はないって事で—」
皆、頷き、大塚はかしこまった旨、頭を下げた。
「じゃ、そのようにお伝え致します。皆様、有難うございました」
「大塚、大塚」、
と父が大塚に手を振って話しかけた。
「はい、旦那様」
父は座っていた椅子から、立ち上がり、テーブルに手をついて、涙声で低く頭を下げた。
「本当に世話になった。お前のお蔭でこの家は成り立っていた。
有難うよ、大塚。本当に世話になった」
大塚は涙を流して、父に頭を上げてくれ、と言った。
二人のやり取りは、彼女には涙なしでは見られなかった。長い間のこの屋敷の維持に苦労してきた、大塚執事の仕事ぶりと、当主としての父が、如何にフェアな態度を取り、長きに亘る皆の奉公を理解し、各々の仕事ぶりを評価して来たかを垣間見るやり取りだった。

彼女は、彼が貰い泣きしていたので、既にボロボロ涙してしゃくり泣いていた自分のハンカチを渡して、涙を拭かせた。
彼は、真っ赤な鼻をタオルのハンケチで拭いながら、
「で、オテル・グランデはいつ頃に買いたいって?」
大塚が手元のメモと書類を見ながら、
「え~、来年の1月には契約締結したい、と。で、4月に竣工して、再来年オープンです。今年一杯でオーナーの引継ぎをさせて頂きたい、と」
父は涙を拭きながら、
「—そうか...皆に挨拶しないとな」
大塚はまだ鼻を真っ赤にさせて涙していた。

§ 3.オテル・グランデ

オテル・グランデは、スペインのオテル・グランデ・グループが赤坂に大きなオテル・東京・グランデを建設し、それなりに売れていた。ビジネス客からは簡単に東京グランデと呼ばれ、結婚式場、パーティ、記者会見場と宴会場数個に高級レストランと、2000の客室を抱えていた。

海外からの客層に受けが良く、コロナ禍以降は右肩上がりの同ホテルは、事業部門が、各観光地の小さな宿泊物件を投資物件として取り上げていた。

古民家を使った個別家族向けの宿泊物件に伸びを感じ、「外は和風古民家だが、中に入ると外国の高級ホテルを思わせる内装」で、物件販売を委託と直接で二途に分かれて販売し、オテル・グランデの名前で纏めて顧客を迎えられるところの購入を直接投資し、委託改造させ、地方行政に委託購入、改造販売を2018年ごろから開始した。

コロナ禍を経て、今は海外からの観光客も増え、裕福なファミリー旅行中に一軒の屋敷を借り切りで使える点が受け、各有名古都の古民家買い上げを完全に物件が壊れる前の時点で投資して、改造及び宿泊物件としての買い上げを各役所を通じて、其処にまだ住んでいる従業員等を含めた一族に雇用と収入源をオテル・グランデのグループ配下のホテルマン育成やサービス会社に与え、観光事業のスキルや手数が入る様にしてやり、各地域の役所の担当達の間で、同ホテルグループはウィン・ウィンのやり手として知られていた。

初めての顔合わせでは、東京グランデ本社から、投資部署のグループが鎌倉を訪れ、鎌倉と言っても奥地の彼の実家に真っ黒の外車数台で訪れた。

市役所の担当が今まで本家側と色々やり取りがあった事を話してあったのか、大変ホテル側が配慮を見せ、彼の父にも失礼がない様にしてくれた。

彼の父と相手側代表者の氏名で契約書が取り交わされ、今後の移転等、相談に乗る旨も皆に約束してくれた。オテル・グランデ日本側の代表者の氏名は、アレッサンドロ・フィンツァと言う名前で、多言語を話し、日本語は片言だった。見るからのプレーボーイ風の外見で、彼には胡散臭いタイプだった。

彼女がチャーミングな英語を話す為、アレッサンドロは彼女を矢鱈と気に入り、英語の通訳に遣ったが、夫の彼が面白くなく、病人として休ませているので、彼女に神経を使わせたくない、とホテル側に話し、殺意のある様な目で睨みつけて見るので、社内の日本人男性の通訳を傍に置く様になった。彼女は彼の傍でにこにことしていた。彼のアレッサンドロへの不信が激しい為、彼の父は、今後のコンタクトを大塚と設定し、アレッサンドロの通訳、林田と名刺を交わし、林田が大塚と連携する事に決定した。

§ 4.楼閣塔ろうかくとう

彼は、既に彼が契約して父が幸子と入室予定だった私立の老人ホームでタワーマンションに直接、移転させる事にした。当初、鎌倉に近い場所を設定していたが、不要となり、都内に設定し直した。

彼は、顧客契約担当に連絡し、義母は認知センターに入院したので、父が一人で移転する事にしたと伝えた。担当が、費用を夫婦の額から父一人分に減額してくれると言い、そうして貰い、指名したマンションのケアマネージャに余分に払い込んだ分を父の生活費として管理して貰える様な方法はあるか、訊いた。

担当は場所が変わるので、お金を契約担当側で受け取り、タワー側に手渡す、だから可能だ、と答え、入室を今すぐ可能にするには少々高額だが、都内のタワー上階のプライベートルームがあるので、それが今すぐ用意出来る、との事だった。

ドクター連携も看護師が常時父に着く事も可能なので、安心である、と担当は言い、
「前にお二人分のご契約金をお払い頂いた、ご夫婦のお部屋より場所も違って、スペースは広めで、窓が多いし、タワーマンションなので安全で安心です。楼閣塔ろうかくとうタワーと言うビルです。お医者様や看護師さん、薬局も完備で安心ですし、小動物なら、ペットも飼えます。息子様ご夫婦も受付を通してご訪問可能で、事前にお話がありましたら、お泊りになれますよ。
—あ、それから、同じ階に娯楽室やジムもあり、トレーナーもつけられます。色んな方と接触出来るし、お話や食事、ミーティングや会合が開けますよ」
生活費のための予算は充分あるので、追加の支払いは不要である、と担当が付け加えた。

彼は担当からタワーマンションの住所を改めて教えて貰い、大塚に住所を教えて父の私物を送って貰うようにした。また、父の為に中古車も用意しようと思っている、と話した。

アパートメントハウスに着いて、父に電話して、楼閣塔タワーについて話した。父は、ほほぅ、と言いながら聴き、彼が中古の車もつける旨言い、父は喜んでくれた。
「お前の所には近いか?」
「楼閣塔から?あぁ、そうだな、2,30分かな。俺がそっちに行くから好いよ、彼女とドライブしてさ」
「あぁ、そうだな。動物は飼えそうか?ブルちゃんみたいな猫が欲しいなぁ」
「あぁ、大丈夫だ」
「感謝してるよ、お前は親孝行だ」

その翌々週末に、父は楼閣塔タワーに移転した。鎌倉の屋敷には毎日のようにオテル・グランデの関係者が外で測量したり、図面を見たりしていた。もう元の屋敷を見る事はないだろう、と父は写真を撮り、もうその後は移転準備に入っていた。


如月は久しぶりに会った彼女の顔色が非常に好い事を喜んでいた。どす黒かった顔色がいつもの白い肌色になり、血圧もなかなか落ちなかった140以下になり、今は120平均で、低いところで110まで落ちて来ていた。

「100以下に数値が落ちる場合は、薬を私の方で減量します。多分、落ちないと思います。降圧剤は今、かなり効果を見せているし、途中でスキップしない限り、この調子で助けてくれる筈です」
と言いながら、食餌療法についても気持ちよくコメントし、看護師に指示を出し、血圧テストと血液検査と尿検査をした。調子は上々、との事だった。それでも薬は続くし、食餌も塩分を完全カットのままだ。

それでも、彼女ははしゃいで、嬉しそうだった。専門医である如月からお褒めの言葉を貰い、変わらずにキチンと食餌療法を続ける彼女に管理栄養士の女史も嬉しそうで、食餌は変更なしで、塩分は完全カット、また全体的にあっさりした内容を推奨された。

脚の腫れが無くなり、痛みが減り、頚や肩の凝りも少なくなり、肌荒れが減り、妙な寒さや頻尿、腰痛も減り、イライラジリジリもしなくなった、と報告した。彼は彼女がそんなにたくさんの愁訴に苦しんでいたのか、と不憫になり、今後共、彼女の闘病に一緒に寄り添う事を心に誓った。

(つづく)



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