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大転倒 (BIG FALL)

6月後半にランニング中、レースしていて、大転倒した。

私をどうしても追いこしたい男性のウォーカー・ランナーが、5㎞目に入るランニング中にレースを提案、疲れていたけれど競争する事となり、市役所裏の50m2周目のところで、私を追いこしついでに何処か揺らいで私方向に傾き、コレを全身で受けたくなくて、よせばいいのに、ずっと横へ足を出したところがロードバンプだった。バッテーン、ズサササササー、と転倒。駐車場などに良く配置されている、膨らんだ道路のベルト状の凸部分を蹴飛ばして、其の侭大転倒である。

ライバルが引きつりつつ、止まらずに走りゆくのを見ながら慌てて走り出そうとして躓いて転び、キロ8分20秒の速さで走っていたので、結構なG-FORCEで体重の3倍以上の力が懸かり(主治医によると)、吹っ飛んで、両膝がこの大きな力を引きずられながら受けとめたのだ。

お蔭で下肢の部分に全治2か月の大怪我をした。なじみの整形外科・外科の先生は、
「表面の傷が癒えるのに、まぁ1か月。リハビリして元通りに走れるようになるのが、もう1か月、2か月ってところだね」
と言ってくれた。大当たり。いまだに腫れてるもん。

今、8月になったところで、7月中盤に再開してドクターストップがあった、膝の瘤と打撲部分がやっと治りつつあり、腫れも大分引いてきた。私の足って実は細かったのね、と言う程、腫れが引いて、それでも右膝下にまだ直径15㎝程の特大の打撲瘤があるものの、痛みはなく、何とか継続走行出来る様になってきた。

いまだにトラウマなのか、下の方を見ながら、自分の進む方向をさり気なくチェックしつつ走っている。また、市役所の裏の駐車場近くを通ると、膝が、軽く当時の打撲傷を思い出すのか、自然に脚が歩行になる。目線は下へ行き、躓かない様に注意し出す。転んだ痛みも衝撃的だったが、大転倒、と主治医をして言わせた様な転倒だったので、自分の身体が凄く意識しているらしい。

もともと、10年前位に階段から落ちてその後、無理をして遠路の仕事へ通い、倉庫でキッティングなどをした為に鵞足炎を患い、医者通いを3年した。まともに歩ける様になってもたまに杖が必要な程痛んだので、右膝が悪くて、階段の上り・下りも侭ならなかった。

3年架けてリハビリに努力して、杖なしで歩ける様になり、一昨年からリハビリが効をなしてウォーキングからランニングを始め、次第に脚力が強くなり、今では手すりを捕まりながらだけど、階段の上り・下りも平気になってきた。

少なくとも全治半年と言う様な、骨折並みの大怪我ではなかったが、かなり激しい転び方をした為、装着していたランニングウェアの下肢部分のレオタードは見事、血だらけで且つ縫い直しも出来ない程、ボロボロだった。医師はレントゲンを撮って、骨折が無いのを何度も確認し、転んだ際に体重のかかったG-FORCEで身体を引きづったらしく、右と左の膝上から弁慶の泣き所に架けて、ボロボロの服をみて、ランニングにはドクストが懸かった。
出血激しく、市役所の裏のパーキング内で発生した事故だが、車でも絡んでいたらどの様になっていたかと思うと、いまだにゾッとする。

脚はひきづっても痛み激しく、数週間はまともに歩けなかった。包帯を両足に巻いて、悲惨な状態だった。

転倒した当時はこんな感じだったが、

転倒の当日夕方の図

翌日から腫れ始めて、とんでもない内出血と、膝の皿下の内出血が瘤になり、内出血が変な脳血栓にならない様に、血栓止めの薬さえ呑まされた。下の写真は何を隠そう、2週間後の内出血紫斑が降下している写真で、紫斑がひどい。下肢の腫れ具合は「約3倍かな、歩く事も侭ならない筈なので、ジョギング・ランニングはお休みね」と医師に言われた。
それから3週間経過しても、足の腫れと痛みは激しくて、速歩がやっとだった。左右の足首はねん挫しており、これも治りに時間を懸け、いつまで経っても段ボール紙の様な表面になったまま、毛穴が開いて、熱を持ち、腫れていた。

走れないまま紫斑が続いた…

やっと、最近、普通にランニング出来る様になってきた。でも、主治医からは「本気で走るな」と言われている。また、本気で実際に走る事が出来ていない。まだまだ完治への道が長いのだ。

最近、6㎞を77分で完走した。走行もゆっくりになっちゃったけれど、一時は65分程度で6.5㎞行けた速度だったのに、まだまだ、本当の完治はしていない。

私はこれまで、何かやっても大きな怪我や負傷はなかった。転んでも精々膝頭を擦切るくらいだった。だから、シリアスにこの様な負傷について注意深く考えた事は無かった。転倒は一瞬だ。だが、その転倒で傷つけた身体は、物凄い時間を懸けて完治する。今回、本当に実感した。

主治医いわく、9月くらいには何とか元々のランニングが出来るだろう、とのこと。でも、周囲に目を配り、躓くな、転ぶな、と再三再四謂われている。確かに強くカムバックしたけれど、本当に脚が道路を踏み締めて走れる様になるまでは、まだまだだろう。それだけ時間が懸かっている。

転んで、脚を上にあげて休め、と言われて休んでいたが、一人暮らしだと、安静なんて、出来はしない。自分で何事もやらないと、誰もしてはくれない。熱を以て毛穴が開いて大きく腫れている膝を抱えて、大引き摺りしながら歩き、皿を洗う時間中も足が痛い程、大怪我をした。

安静中、好き彼がここにいて助けてくれたらいいのに、と思ったものだ。彼はきっと目をむいて上を向き、「ざけんな、甘ったれるな」としか言わないだろう。彼に大切にして貰える女の子が羨ましいくらい、彼は好きな人に心優しかったんだと改めて思ったものだ。

自分で自分を大切にする事。その重要性をまさに学んだ。

6月末から最近まで、3か月近く継続して、いまだに右膝下にまだある大きな打撲痕と打撲瘤。9月になってもまだある様なら、外科医師に相談するか。
そう思いながら、大転倒の後の2か月を考えた。

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