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バンクシー展 天才か反逆者か?と考えられることを望んでいるのか?

先日、バンクシー展に行ってきました。
バンクシーについての予備知識はそこまであるわけではありません。
絵画の知識もそこまであるわけではありませんが、美術館や展示会というものを楽しめる人間になりたいなという理想実現もあって行きました。

知らないなりに興味を持って、行く前にWOWOWで「バンクシーを盗んだ男」を視聴したりはして行きました。

日曜日の昼間に行ったので、なかなかの混雑ぶり。そしてけっこう老若男女幅広いお客さんで溢れていました。

私はアプリで聴くことのできる音声ガイドを聴きながら(途中から説明文を表示させて文章だけ読みながら)鑑賞していました。一緒に行った友人も解説と共に楽しみたいタイプだったので、私たちはすごくゆっくり回っていた方だと思います。
「これどういうことだろうね?」とか、「これに見えるね。」とか、「この絵見るとこんな気持ち」とか、話しながら見てて、すごく楽しかったし考えさせられた。2時間半ほどかけて回ったので、頭も使ったしヘトヘトになったけど(笑)

思ったよりそれぞれの絵に解説が付いてないので、絵の背景などを知るには解説必須という感じでした。

でも、周りのお客さんはほとんど、絵の前で写真を撮り、次々と歩いて行きました。

いいと思うんです。芸術の楽しみ方は人それぞれだし、私だってバンクシーのファンとかではなく、ミーハー心で行ったので。
でも、なんか、

「もったいなくない?」

と思わずにはいられなかった。

会場の出口には、「あなたはバンクシーを天才だと思いますか?反逆者だと思いますか?」という投票サイトの紹介などもあったのですが、私は天才とも反逆者とも思えず、とりあえずスルー。

バンクシーの思想とか知らんけど、彼はこうやってただ作品を写真撮られて、天才か反逆者か判断されることを望んでいるのかな?ということを1番思ってしまった。

彼の作品は芸術でもあるけど、社会に対する叫びだと思うので、解説をがっつり聴いて"鑑賞"するというのもまた、望まれてはいないのかもしれない。

正解なんてないから、これは誰に対する批判でもなんでもなく、こういうことを考えさせてもらう機会をもらえて、ありがとうの気持ちです。

他の展示会など行っても同じ気持ちになるのかな?

芸術の秋ですね。

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