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井の中のカワズ、大海を知らず。…の続きに胸がえぐられる。

ども。すみぃです。
突然ですが、
「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」
ということわざをご存知でしょうか。
 
生まれた時から井戸の中で暮らしている蛙は、
海の存在を知らないので、
自分は目に見える世界のことを全て知っているかのように勘違いして、
偉ぶっているけど、愚かだねぇ

 
というような意味で、
世間知らずのことを指します。
何でもすぐにわかったような気になって調子に乗ってしまうので、
この言葉は、結構、若い頃から気にしていた言葉だったのでした。
 
最近読んでいる
「40代から人として強くなる方法」
に、このことわざの元になったエピソードの
続きについて書いてあり、
それを読んで、
かなりの衝撃を受けたので、
ご紹介しますね。

突然井戸に落とされるような絶望を

「井の中の蛙、大海を知らず」
は、中国古典「荘子」に出てくる物語が元になっているそうです。
その中に
 
「管(くだ)を用いて天をうかがい、錐(きり)を用いて地を指すなり」
 
という言葉が出てくるそうです。
コレは
「君がやっていることは、細い管(くだ)から天を覗き見て、
 先の細い錐(きり)で地面をしめすようなものさ」
という痛烈な皮肉なのですが
…コレ、痛烈すぎやしません?!
 
もっと現代語風に言ったら、
ストローの穴から空を覗いて、
「おぉ、コレが空か。なるほどな」と言い、
爪楊枝で地面をチョンってして、
「いいか、コレが大地というものだ」と言う

みたいなことでしょ?
そんな、
そんなの恥ずかしすぎる(><)
 
井戸の中の蛙が、
「俺は世界の全てを知ってるぜ」ってふんぞり返ってるのは
どうせ井戸の中で誰にも見えないし、可愛いものだなぁ、
と思うのだけど、
でも、何というか、この皮肉は、
想像してみたら、側から見た滑稽さが桁違いで、
尾骨がモゾモゾして、
ちょっと吐きそうになっちゃう位。
共感性羞恥が火を吹くわ。
(共感性羞恥:共感性が高すぎて、
 人が恥ずかしい思いをしているのを見て、
 自分のことのように恥ずかしく感じてしまう現象)
 
でも、私が、こんなにもこの情景に過剰反応するのは、
ただの共感ではなくて、
まるで自分のことのように感じるからだと思うのです。
 
ドヤ顔で管の中の空を説明している自分自身の姿が
綺麗に重なってイメージされて。
胸がえぐられるみたいに痛む。
私の中の強烈な「思い込み」のフィルターが、
本来の故事の意味を勝手に塗り替えて曲解していく。
あぁ、また、迷子になりかけている…。

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思い込みの迷路(ラビリンス)を抜ける

さて、
↑の絶望から二日たち、
ちょっと落ち着きました。

そんなふうに、
すぐに迷子になるのが私という人間だから。
迷子になっている様や、
傷ついている様をそのまま発信することで、
少しでも、同じような人の救いやヒントになれたらいいかなぁ。

なんて、考えているので、
迷子になった私が抜けていく様を思い出しながら、
抜けて一日経ってちょっと落ち着いた私が、
実況中継しようと思います。 

「君がやっていることは、細い管(くだ)から天を覗き見て、
 先の細い錐(きり)で地面をしめすようなものさ」

noteの文章だし、と思って、茶化して書いていたけれど、
コレを最初に読んだ時、
かなり本気で吐きそうになったんだよね。

コレまでやってきた色んなことや
ここまで学んできた色んなこと
わかった!と思った時の喜びや
その知識を受け取った時、伝えた時、使った時の感動。
いろんなものが、
「そんなちっぽけなもので調子に乗るな」
って、突き落とされるような。
そんな絶望を感じたんだと思う。
 
だけど、
この故事は、
お前がやっていることは浅はかで意味がないからやめろ
ということを伝えたいのではないはず。
 
一部しか知らないのに、全てを知ったような気になるのは愚か。
とは言うけれど、
「全てを知ること」自体は不可能で、
「全てを知ったような気になること」自体が浅はかだ、
と言っているのだよね。
 
全てを知る必要なんてない。
誰かと競う必要も、
誰かを貶める必要も、
自分を責める必要もない。
 
探究とは
好奇心を持って探ること。
探ることをやめぬこと。
 
何かに到達することを目標にするのではなくて
探究それ自体を楽しむこと。
 
だから、いいのだよ。
細い管で天を観るのが好きなら、それでもいい。
細い錐で地を指すのが好きなら、それでもいい。
管を使っても望遠鏡を使っても、裸眼で見てもいい。
爪楊枝で指しても指示棒で指しても、体全体で抱きしめてもいい。
 
世界と叡智は、
無くならないし去っていかない。
いつでも自分の側にあり、
どう知覚するのか、どう学ぶのか、どう受け取るのかは、自由だ。
そう。
自由だから、焦らなくていいんだ。

と、
繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせる。

されど空の蒼さを知る

中国故事が日本に伝わり、
「井の中の蛙、大海を知らず」
がことわざになった後に、
日本で独自に付け加えられたと言われる続きがあります。

「井の中の蛙、大海を知らず。されど空の蒼さを知る。」
 
私にとっての井戸は、この心の迷宮なのかもしれない。
この迷宮にずっといるからこそ、
この迷宮の出方を知っている。

自分も今でも時々迷うからこそ、
迷う人を見下さずにいられる。

四十にして惑わず。
と、孔子の言葉にあるのをその直前に読んで、
さらに焦りを感じていたのかも。
まぁ、そういう自分なのだ、と、受け入れるしかないよね。
 
四十にしてまだまだ惑う私ですが、
今後ともどうぞよろしく。
ではでは。

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