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2010年のぼくはどんな感覚だっただろう。

最近、話題に(炎上?)なっているある芸能人のツイートから思ったこと。

ツイートの内容は、お会計時のこと。レジ打ちは外国の方。日本語がまだたどたどしくて、それが面白かったね、というツイート。

確かにちょっと配慮に欠ける感じもする。

そしてツイートは2010年。

10年前

10年前。

自分は25歳ごろ。

仕事をはじめて、数年たち、土日は社会人サークルでスポーツと飲み会ばかりだったころかなあ。

でも、その時の社会の感じは思い出せない

少しだけツイートのコメントを見てみると、その頃は、ツイートの芸能人は、おバカを売りにしてクイズ番組で活躍していた頃らしい。

それから10年。

今じゃ日本の最高学府の学生さんが知識を披露して、すごいと言っている番組が人気のよう。

10年で真逆と言ってもいいぐらいの変化。

10年前。

ぼくはおバカを売りにしていたその番組をどうみていただろう。

好きではなかった。それは単純に好みの笑いと違ったから。

では、その番組を社会の一部として見ていただろうか。

いや、そんなことは全く思ってなかった気がする。

好きではなかったけど、問題だとは思ってなかった。

そういえば、先の芸能人の話題と同じくして、あるテニス選手のマスクが話題になった。

黒いマスク

人種差別を発端に亡くなった人々の名前も書かれていた。

ニュースでは「勇気ある行動」「確固たる信念」と。

ぼくもそう思う。

でも、この人種間の問題は、最近始まったのだろうか。

考える。

いや、ぼくは教科書でこの問題を習った。

60年近く前に、もう大行進が起こっていた。

考える。

そのときに、このマスクのニュースが流れたら。

考える。

10年前にこのマスクのニュースが流れたら。

考える。

10年後にこのマスクのニュースが流れたら。

10年前

ぼくはどんな感覚だっただろうか。

自信をもって正しかっただろうか。

というか、正しいとはなんだろうか。

10年前

ぼくらはどんな感覚だっただろうか

全然わからないなあ。

だから、今回のツイートに関して、この10年前が掘り出されるのは、フェアではない、と思った。

あのツイートの正しさは、どうだっただろう。

きっと笑われる側だった彼がどんな気持ちでツイートしたのか。

いまの彼がその時の自分を見て、どう思うのか。

同じように
10年前のぼくを、いまのぼくはどう見るだろうか。

考える。

わからないけど、きっと考えることがとても大切なんだと思う。

2010年のぼくはどんな感覚だっただろう。

(例によって写真は区切りの役割です)

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