映画『リトル・ダンサー』レビュー
バレエとボクシング。そして、ロック。
冒頭でT.RexのCosmic Dancerのレコードがかかった時から、
私はこの映画を好きになる予感がしていた。
映画『リトル・ダンサー』を観ました。
▼あらすじ(以下ネタバレあり)
1984年。イングランド北部・ダーラムの炭鉱町に住むビリー・エリオットは、炭鉱夫である父と兄のトニー、祖母と一緒に暮らしていました。炭鉱不況の真っ只中で、父親と兄はストライキに参加しています。
ボクシングの熱烈なファンである父親により、ビリーは近所のボクシング教室に通わされています。しかし、ビリー自身は、ボクシングに抵抗があり、悩んでいます。
そんなある日、ボクシング教室の隅でバレエ教室が開かれることになりました。そこで、ビリーはバレエと出会い、バレエ教室に通うこととなります。コーチであるウィルキンソン夫人はビリーにバレエの才能を見いだし、次第にビリーも上達していきます。ある時、ビリーが内緒でバレエ教室で通っていることを父親が知り激怒します。
ウィルキンソン夫人はビリーの父親に内緒でビリーにオーディションを受けさせようとしますが、オーディション当日の朝、ストライキのリーダー格であった兄が逮捕されます。オーディションに向かう待ち合わせ場所でウィルキンソン夫人はビリーを待ちますが、ビリーは現れず、家に向かいます。そして、今日がオーディションの日であったこと、そしてビリーのバレエの才能をビリーの父親に訴えます。
しばらくして、父はストライキに参加するのをやめ、ビリーを受験させようとし、ビリーはロンドンのロイヤル・バレエ学校を受験することができます。
14年後、父とトニーが駆け付けた大劇場でビリーが「白鳥の湖」を踊ります。
▼バレエとボクシング
この映画は、一見関係がなさそうな”2つのこと”を同じテーブルに上手く並べている。
例えば、ビリーが通わされていた”ボクシング教室”と”バレエ教室”。
映画の冒頭でビリーは”ロック”のレコードをかけるけど、ラストでは”クラシック”を踊る。
ビリーが生まれたのは”炭鉱町”、14年後は”劇場”で活躍する。
このように並べて書き出すと、”2つのこと”は真逆で関係のないように見える。
それらの”2つのこと”が関わるきっかけは、
「ある日、ボクシング教室の隅でバレエ教室が開かれることになったこと」
興味がなかったらスルーできるような、ほんのささいなこと。
そのささいなきっかけでビリーの人生が動き出していったことって何なのかなって、
”それは運命”なのではないかと思う。
「運命」って言葉は、ロマンチック過ぎるかなって、おおごと過ぎるかなって、なんかもやっとしてて曖昧なものかなって、でも私はそんな不確かものに思えなくて、
じゃあ、一体、運命って何者なのって、調べてみたら、
運命(うんめい、ラテン語 fatum、英語 fate、destiny)とは、
・人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。
・人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福。
・将来のなりゆき。 (ウィキペディアより引用)
”人間の意志をこえて”って不可抗力じゃないですか。
自分自身ではどうにもできない。
「人は幸せになるために生まれてくる」って言葉を思い出した。
瀬戸内寂聴先生もこのようにおっしゃってます。
人間は幸福になるために生まれてきたのです。 誰の命だって「人を傷つけろ」「人を殺せ」と言われてこの世に送り出されてきたのではありません。 (瀬戸内寂聴「今日を生きるための言葉」より)
ビリーにとっての幸せがバレエで、それに出会うために炭鉱町でロックを聴き、ボクシング教室に通っていたならば。
一見関係がなさそうに見えることも、幸せを”かたちつくる”ひとつの必要なピースに過ぎない。
人生に無駄なことなどないと気づかされる。
しかし、いくら運命だとしても、最後は自分の力で掴まないといけません。
ロイヤル・バレエ学校の受験で実技試験の後、試験官からの質疑応答があります。
試験官からの質問にビリーは「さあ...」としか答えません。
そして、ビリーが退出しようとした時、試験官が呼び止め、最後の質問をします。
「踊っている時はどんな気持ちが?」
ビリーはこう答えます。
「さあ...いい気分です。最初は体が硬いけど踊りだすと、何もかも忘れて、すべてが、消えます。何もかも、自分が変わって、体の中に炎が...空を飛んでいる気分になります。鳥のように、電気のように。そう...電気のように。」
受験から家に帰ってきたビリーは炭鉱町で今までと同じ日常を過ごします。
そして、結果を待ちわびているビリーの家族の元へ一通の手紙が届きます。
その手紙をビリーが開くと、それは、ロイヤル・バレエ学校からの合格通知でした。
そして、そのことを父親が仕事仲間に報告しに行くと、仲間からストライキが終わったと知らされるのです。
最後にビリーと父親のこんな会話があります。
「父さん僕怖い」とビリーが言うと、
「いいんだ誰だって怖いんだから」と父親が答えます。
「イヤなら戻ってきていい?」とビリーが言うと、
「バカ言うな。部屋を貸しちまった」と父親が答えます。
そして2人は笑い合うのです。
「人は幸せになるために生まれてくる」と決まっていても、
幸せになるのは怖いのですね。
しかし、その背中を押してくれたのは父親で、
最後に自分の幸せは決定づけたのは、ビリー自身の言葉(意思)だったのです。
▼最後に
映画を観ることは、”井戸を掘ること”と同じだと思います。
井戸を掘ると、水が汲めます。それは、冷たい水かもしれないし、暖かい水かもしれない。いくら掘っても水脈は見つからないかもしれない。
この映画を見終わった時、涙が止まりませんでした。
ビリーがバレエを通して成長していく姿は自分の子ども時代と比べると、羨ましくありました。
そして、運命とは何かについて考えた映画でした。
またひとつ好きな映画が増えました。
Written by アレキサンダー李乃 / Alexander Rino
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