現代思想入門を読んで

「現代思想入門」 千葉雅也

を読んだメモです。

「現代思想とは、差異の哲学である。」
差異はdifference。
同一性identityと対立している。

それは、物事を「これはこういうものである」と固定的に定義すること、に対して、ズレや変化を重視する思考とのこと。 

この世の中には、二項対立(生/死、健康/不健康、秩序/混乱、パロール/エクリチュールなど)として物事が存在しているが、そのどちらかをとるのではなく、常にグレーゾーンが問題である、というのが、デリダの「脱構築」という思考法である。

●このような現代思想における思考法や視点が社会問題へ適用された例

ジュディス・バドラーの『ジェンダー・トラブル』は、同性愛を名誉回復するための原理論。「ポストコロニアリズム」という議論も、デリダの発想によって可能となった。

●上級な絵画鑑賞にも
「山という意味の手前において展開している要素の関係性に意識を向け、それを楽しみ、山の絵であるというより、それらタッチの集まりによる「そういう絵」なんだと鑑賞する視線」

第六章の現代思想のつくり方

この章のタイトルのつくり方
に着目したい。

「デリダはパロール(話し言葉)とエクリチュール(書かれたもの)を対立させ、人々がパロール的だと、つまり真理に近いと見なしているものであっても、決して純粋な真理ではありえず、つねにそこにはズレや誤解の可能性がある、すなわちあらゆるものには「原エクリチュール」という面がある、とします。」

この考えのつくり方は、
マービン・ミンスキーがインタビューで言っている、
https://www.youtube.com/watch?v=Yz4m65nAMjg

6:52 あたりから、
mind について、
emotional vs intellectual,  conscious vs unconscious, rational vs intuitive 
と考えることは、dumbbell theories

「There is nothing mysterious about that.
I think the problem is that there isn’t really anything called rational.
Everything depends on what goals you have and how you got them.」

と共通するのではないか。

二項対立で物事を分けて考えるのではなく、両者にある共通性を見出しながら、別のポイントに視点を持っていき、概念を引っ張り上げているような、そのようなやり方ではないか。

これが、創造する、ということなのかもしれません。

また、とても面白ろかった点。

哲学がいかに言葉によって操られて(?)いるか、というところだ。

レヴィナスという哲学者が、
存在、というものを存在なしに考えようとする時、
存在するとは「別の仕方で」「別様に」というふうに、もはや副詞でしか言えないことを言おうとする、ということ。
「存在するとは別の仕方で」で止めているようだ。
これは、詩が行う常識的な言葉遣いでは表現できないものを表現する、という領域。

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